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旅 レ ポ 。

突撃!武蔵嵐山


たまたま朝、早起きした
ので行ってみた
しかも毎度の事ながら何の用意もしないバーチャス・ミッション形式

*バーチャス・ミッションとはMGS3(メタルギアソリッド3)の最初の潜入作戦で、武器も食料も現地調達、しかも潜入の痕跡も残せないという過酷さw


出発地は東京、JR池袋から、東武東上線で小川町行きに乗って「武蔵嵐山」で下車。ちなみに埼玉県。


ここには木曽殿(義仲)の父君、源義賢が関東に勢力圏をつくるために構えた「大蔵館」跡があり、木曽殿もこちらで生まれて2歳まで居た…というゆかりの地。



↑クリックで高解像度w

武蔵嵐山駅の西口を出ると案内板があるのでさっそく激写!これが後に何度も自分を助けてくれるコトに…
で、とりあえずルートをここで決定。


班渓寺(伝/山吹姫の墓&木曽館跡)

鎌形神社(義仲産湯の清水)

大蔵神社(源義賢の館跡)

源義賢の墓

菅谷館(畠山重能の館跡)



駅前はとりあえずラーメン屋とか喫茶店などがあるし、タクシーも待機している。「宮ノ越」とは大違いだ…!さすが埼玉県!

停車していたバスの運転手さんに話を聞いて「日影」行きバスに乗り「鎌形」停留所で降りる。

南下してすぐに左折、まずは班渓寺への看板発見。



ほどなく
班渓寺に到着。


こちらの門前に「木曽義仲生誕地」の石碑があり、


中にお邪魔してお参りのあと、左手にある墓地の手前に義仲公の顕彰碑も見つけて浮かれ気味w


「山吹はいたはりあって都にとどまれり」の「山吹姫」のお墓が墓地のおくにたたずんでいます。合掌。


なんでも案内板によるとこの寺の梵鐘に「木曽義仲 長男 清水冠者源義高為 阿母 威徳院殿班渓妙虎大姉 創建スル所也」とあったとか、でも実際にかかっていたのはまた別の鐘。


お寺の裏手には「
木曽館跡」があり、ここに木曽殿が滞在していたようだがここではくわしいコトは分からず…幼少なら大蔵館にいたんじゃないかと思ったり、兵募集時に滞在したのかと思ったり。

しかも竹やぶは坂になってるのでホントにここなのかなあ…?と見回してみたけど、やっぱりよくわからない。
そのうち調べてみるか〜。



班渓寺を後にして「
鎌形神社」へ。
 



まずは手水うがいして2礼2拍1礼、ミッションの成功祈願をし


…さっそく手水場に戻る!




というわけで、どうやらこの竹樋の清水が「
木曽義仲産湯の清水」らしい。ありがたや!と何度も手を洗うが、さすがに生水を呑むのはNGということで…
すぐ右手には池に祠もあって涼しげ。



次の目的地はここからは随分遠い「大蔵館」、鎌形神社入り口の案内板と方位磁石とをニラメッコして最短ルートを計る。



↑この山を左手に見ながら日陰ひとつない道をドロドロ歩いていると「そば処」看板発見!
これはデジャヴュか!?
木曽でもそば屋に助けられたことがある。


もうなんでもイイ〜v と入ってなめこおろし蕎麦とドリンクバーを注文。うわあ、クーラーだ!涼しい〜!メロンソーダ冷えてて〜極楽!



それにしても何故、田舎というところは何も無いところにいきなり蕎麦屋があるのだ…
まったく有難い事です。

ヒットポイントも回復したところでさらに道なりに東へ。



大蔵神社は、少し土塁に囲まれたような場所。
手前の道を入ったところに大蔵館跡の案内板を発見、とにかくその敷地が広〜い。町ひとつぶん!?石垣も一部みつかっているらしいが、さすがにそこまで見学に行く気力はすでになく。

↑クリックで高解像度

こちらでも手水うがいして…って水がないT_T…気持ちだけ改めてお参り。

175号線から入った鳥居



東の鳥居


大蔵神社のすぐ近くにこのような石碑をハッケン。
どうやら源氏一門と平家一門の連名で供養碑を建てられたようです。何世紀もたって、源氏も平家も今では仲良く!って雰囲気がいいです。



謎の「大行院」はノーコメント…


信号を越えてさらに東に進むと
源義賢の墓の看板があるんですが……え〜?ココって人ん家じゃないの!?

庭の犬に吠えられて「ゴメンネお参りしたいだけだから〜;」と言い訳しつつ入って行くと、ありました、お墓〜
うわ〜ん、木曽殿の父上〜、合掌。
  
お墓のすぐ左にたつ石碑。文字はうまく読み取れない…

あとは菅谷館を残すのみ、なのだが…と、遠い!遠すぐる〜!


まずは渡河しなければならないが、地図をみて二瀬橋の方を渡る事にする。
日頃の運動不足がたたってか、あまりの足の痛さにしばらく裸足で歩いてみた。マムシ注意。




大蔵館から菅谷館までは(川を挟んでるけど近くを鎌倉街道が通っていたから橋はかかっていただろう)歩いて行ける距離で、源義賢と畠山重能に親交があってオカシクナイ。

義賢が甥の悪源太義平に襲われた時、異変に気づいて義仲母子をまず保護できたのは重能をおいて他に出来ないカンジ。

と考えている間に疲労がピークになり、都幾川の二瀬という場所で休憩。



川に降りて足を冷やす。こういうとこ、中世のヒトとやってること変わらないんだろうなあ。でも、中世の人はたったこれだけ歩いたくらいで「足痛い」などとは言わないだろうけどネoTL

都幾川って、耳だけできくと美濃にある「土岐川」と同じだなあ、とか思いつつなんとかたちなおって鎌倉街道の石碑を左手にみながら

←鎌倉街道と書いてある



「蝶の里」に入り込んで菅谷館へのショートカットを試み、森をウロついていたら遺構らしきものをみつけ↓


菅谷館」の碑と案内板発見〜


またしてもなんと広大な敷地…。戦国時代も経ているので守りも強固になってるようで。なにより馬が沢山飼われていたとの説明書きが源平の時代らしさを感じさせる。


小山になった一角に畠山重忠公(重能の子)の像があり、館跡を見下ろしています…どういうわけかシャッター切ろうとするたびに虫が!耳元を!ザ・ペインか!?<MGS3ネタ

菅谷館跡には「嵐山史跡の博物館」が建っており、比企郡の貴重な資料が多々保管されているようです。が、もう残機がありません…E缶もないし!



というわけで博物館はまた別の日の楽しみにとっておきます。


2008年8月


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<今回の移動ルート>

東部東上線・武蔵嵐山駅

班渓寺

大蔵館址

鎌形神社

大蔵神社

源義賢の墓

菅谷館(畠山館址)

嵐山史跡の博物館




◆今回のヒント

今回は入れなかった
埼玉県立嵐山史跡の博物館

帰ってきてからHPみてちょっと舌打ち…!やっぱり死んでも行けばよかった…
「重忠ロボット」とかいるんですけど!
…と、いうよりは始めにここを訪れてから史跡を廻るのが正解のようですoTL


イーグルバス
お世話になった武蔵嵐山の路線バス。
鎌形に行くには「日影」行きです。


丸梅大蔵店
175号線沿いにあるお蕎麦屋さん。
過酷な環境のせいもあるかもしれませんが、とてもおいしかったですw



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