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旅 レ ポ 。


川本喜八郎氏追悼で飯田→中山道を上る


残暑厳しい9月のある日、人形師「川本喜八郎」氏の訃報が…


NHK人形劇「平家物語」の人形を作られた方であり、もともと秋までには人形を観に行こうと思っていたところだったので「コレハ運命ダ!」とばかり長野県飯田市の「川本喜八郎人形美術館」に記帳しに行ってきた。。。


飯田は電車で行くとカナリのタイムロスなので、今回は京王高速バスを使って新宿から出発。しかし結局渋滞にひっかかって1時間の遅延oTL




飯田駅前から15分?ほど歩いて美術館に到着。
すっげ近代的建物!


入口で記帳している間は悲しい気持ちだったのに、2階に上がってお人形を見始めたら燃えまくり!状態。
とにかく「平家物語」の面々が人形になってるだけでも垂涎なのにその衣装や鎧の豪華さ、表情の豊かさ、髪の美しさに目を奪われまくり!

何度もグルグル廻って(「三国志」「平家物語」の人形メインに飾ってあったんだけども)最後は義仲さま&巴&葵の前に釘付けw
堪能。。。
平家物語ファンは行く事を強くオススメ!


さてその後、
せっかく飯田まで来たんだからすぐ帰っちゃうのもツマラナイと思い、そのまま南下。



JR飯田線では三州路(三河方面)に行ってしまうので、木曽殿関連の史跡をたどるには中山道に戻らないといけない。ってワケでこれまた名鉄高速バス「名古屋行」で中央道を西へ向かい「馬籠」下車。


位置的には「神坂(みさか)PA」、この近くに「義仲駒繋ぎの桜」があるらしい
 #ソース:神坂ふれあいマップ

が、
馬籠と逆側にあるのであきらめて馬籠方面に向かう。

ここから車。さすがにこのあたりは短時間での徒歩はムリ!
馬籠信号を東へGoogleMapでいうところの「いろりばた」という店を目印にむかうと、その手前の左折路に「法明寺址(200m)」看板ハッケン!

左折して、カーブに入る手前で左手の田んぼを見回すと、なにかある…ってカンジ?


今年の猛暑で異常に植物が育ってしまったのか、あじさいに埋もれた7基の五輪塔を見つける。



ということはこのあたりが「法明寺」のあった場所。
五輪塔は木曽殿の異母妹「菊姫」さんのお墓と言われている。

「吾妻鏡」に、
菊姫(宮菊)は北条政子の養女となり「美濃国遠山荘の一村」を与えられた、と出てくるがこのあたり(馬籠)が遠山荘と目されている。菊姫はここに法明寺(比久尼寺)を建てて住んだらしい。
恵那市大井町に住んだという異説もあってサダカならぬのだけども、まずは合掌。

個人的に言って「宮菊」は木曽殿の妹じゃなくて「山吹は労りあってとどまりぬ」という説、=京で山吹が生んだ木曽殿の娘だったらいいのにな〜と妄想。


「馬籠宿」は江戸時代の宿場町を再現してあって?観光客も多いし素敵な場所だけど、すぐに出立。


みなさん覚えておいでかどうかワカラナイけども、この「馬籠宿」から西に4〜5km先にあるのが「落合宿」、中原兄妹の1人と言われている落合五郎の居所だったとされる「おがらんさま」があるのよ。
←コレは以前撮った写真。



でもここは西に行かずに、旧中山道(国道7号)を北上して一路「南木曽駅」方面へ。
途中国道19号に入り、駅までいかないで南木曽変電所を右手にみつつJRの鉄道高架をくぐってすぐの「神戸(ごうど)信号」を右折!!


ちょっとキツめの坂道を上ってくと
あるのが「兜観音



てか、その手前にある看板にも若干萌を感じるのだが…w




入口にある立て看によると、木曽谷の南の押さえとして妻籠に砦を築き、その鬼門にあたるこの場所に祠を建て、木曽殿の甲の八幡座の観音像を祀った、らしい。

境内には木曽殿が兜を脱いで休んだという「腰掛石」と



なにげに水をたたえた水舟が。
なるほど、これが!「巴袖振の松」の末路か!


思い起こすコト今年の7月に、宮ノ越で「木曽義仲・巴御前全国連携大会」で南木曽代表のヒトが「残念ながら巴振袖の松が虫に喰われましてーやむを得ず伐りました」とおっしゃってた。

立て看によれば「義仲が弓を射るのに邪魔となった松を巴が袖を振りなぎ払ったといわれる」とか。
ちょ!www
枝をちょっと払ったとか、それくらいですよね普通!

後日、地方ニュースで知ったんですが、地元の人ですら名称は「振袖の松」だと思ってたら実は「袖振りの松」だったんですってね!



お参りすると記帳が置いてあり、どっかで見た名前が書いてあるのをみつけてしまったw
多分、全国連携大会のパネリストの1人とお見受けしました。

お社右手をちょっと上ると無人販売所があって



素朴な絵馬を無人販売でゲト。


その道向かいには伐採された袖振の松の切り株が残る。

満足いったので兜観音をあとにする。

ここで観光インフラの第一歩アイデアを出すとすれば、袖振の松の木片をとっておいて京都の一乗寺下がり松みたいに御守にしたら「怪力祈願」なんかのご利益ありそうなんだけどなー



国道19号を西へ、次は坂下駅を目指す。「弥栄橋」交差点で右折・木曽川を渡る。←この木曽川を渡るっていうのがこの坂下ミッションにおいてのキモ。

坂下信号をさらに右折、解りづらい道をグニャグニャ北へ上っていくと「坂下八幡神社」へ。



ここ坂下八幡は木曽殿の要請でこの地に移され、近隣三郷の産土神と合併された。木曽殿は出陣の際いつも参拝していたが、折からの大雨で木曽川が増水して渡れず、樋口次郎兼房(!)の進言で鏑矢に誓願を結んで対岸に渡し、村人はこれを馬の鞍に立てて代参、木曽殿も対岸の山上から拝した、という伝説が残されている…といった旨が立て看に。

木曽から国道19号で坂下に来て、木曽川を渡れず、矢で願書だけ渡して参拝、なんとなくあきらめて引き返さないあたりが風情あるってゆーか木曽ズっぽいというか。

というわけでお参り。



確かにこのあたりの木曽川は、かなりの断崖になってて鉄骨の橋が渡されてなかったら渡れる気がしない。↑橋の上から無理矢理撮ってみた木曽川。

それにしても川幅が広いので、よほどの強弓でないと対岸に届かない気がする…!


坂下をあとにして国道19号に戻り、少し西に向かうと左手に山口諏訪神社が。

この諏訪神社の歴史は鎌倉より時代が後で1817年、宮ノ越の宮大工・中村伝佐衛門によって建てられたもの、とある。
こんなところにもビミョーな接点が残っているのもなんかイイ。


このあたりで日が暮れてきたので、中津川駅に寄って大好物のくりきんとんを買って本日終了!
ヤヴァウマでしたよ栗きんとん!
猛暑とはいえ秋!秋といえば栗!…オヤスミナサイ。






二日目。

二日目はおとなしく宿からJRを乗継いで岐阜駅へ。
途中、駅弁で有名な美濃太田駅を通るけど駅弁買えず (T_T)まだ時間早いもんな…


岐阜駅に着くと金色の信長様がお出迎え。アオリすぎて写真に写ってないけど、茶筅マゲがどうかしてる存在感で爆笑w

さっそく墨俣に向かう。
世間的には戦国時代のネタ、秀吉の「墨俣一夜城」が有名なので、一夜城をランドマークにして移動。


もののついでなので墨俣一夜城を見学。


こんな城が一夜で建つか〜!
てのはおいといて、古戦場リアルで見るとやっぱ燃える!生『名将の采配』<NHKの番組 みたいだ!


さて、一夜城を見つけたら土手沿いに南下、


…と、おお!土岐悪五郎のお墓だ〜〜〜
#これも脱線。(悪五郎は南北朝の頃のヒト、この頃の土岐氏はかぶいててなかなかカッコイイと思う)


橋をくぐってさらに南下すると土手を降りる道があるのでこれを降りて道なりに右折、次の角で左折してちょっと行くと…



本日の目的地の一つ、「義円公園」別名・墨俣合戦古戦場が見つかる。実はすっげ狭いです。



墨俣合戦は木曽殿の戦歴ではなく、行家叔父がまだ頼朝配下っぽい時にこのあたりでで平家軍(大将重衡)と合戦。


ズーム!「史跡 源平墨俣川古戦場」とある。

行家叔父と共に出陣したのがこの公園名になってる義円で、このヒトは義経と同腹の兄。
義経とは別に一方その頃京の寺から頼朝の前に駆けつけ、平家追撃を命じられ、行家叔父に先陣を取られたくないとつい一騎で西対岸の平家の陣に躍り出て、あえなく戦死。


供養塔も建てられている。これは新しいもの。

25歳の若さゆえのアヤマチだからか、里人たちが義円地蔵を刻み今でも供養されているとのこと。地蔵は地蔵堂の中に手厚く祀られている。


スンマセン、地蔵堂のスキマから撮っちゃいましたT_T

そして立て看によるとここから150mほど行ったところに義円のお墓とされる五輪塔があるとのこと。


すぐ脇の民家の横の小道を抜けてそろそろ行くと、なんとなーくそれっぽいナニカがあるような景色が右手に。


近くまで行くと…


おお、ビンゴ!

菊姫供養塔もそうだけど、植物で見えなくなってて発見難易度が高くなってる気がするヨ、このオリエンテーリング…

というわけでお参り。

きっとお母さんに似てイケメンだったんでしょうね、などと余計なことを考えながら合掌。


ちなみにこのあたりまで鎌倉街道は伸びてきていたようで。




墨俣合戦妄想に満足したところで、ここからまたググーンと足をのばして
大垣どっちだ!?
っと不思議な地名の「青墓」へ。

徒歩アクセスならJR大垣駅→バス「赤坂総合センター行」終点下車。
ここから歩いて30分「青少年憩いの森遊歩道入口」から山に入って上る事2〜30分。どうやら消防署で無料レンタサイクルがあるらしいので、これがあれば入口までちょっと楽かも…



このあたり、かつては東山道青墓宿という宿場町として栄えており、源義朝も京と関東の往復で使っていた。その証拠?に青墓宿の長者「大炊氏」とも懇意で、大炊氏の娘・延寿との間に夜叉御前という娘をもうけている。


平治の乱で平清盛に負け、義朝と息子達が東国へ逃げる途中、足に受けた傷が悪化した息子の朝長はここで亡くなり(ヒドい伝承が残ってるけども割愛)供養塔が残されている。


というわけで供養塔に至る目印その1。


遊歩道口には古い道標が。「右 朝長公之廟道」


元は(てか当時は)このあたりに円興寺という大きな寺があったらしい。今は…単なる山じゃん!
厳しい残暑のおかげでセミうるさい!ツクツクホーシの大合唱なんて久しぶりに聞いたわ!


汗みずくになってやっと開けた場所に出ると、ここがどうやら円興寺の仁王門があった場所らしい…


見回すと
ワタシのライバルの石碑が!


まあライバルってゆーか完全に自分負けてるんですが、芭蕉の句碑デス。


木曽殿関連の史跡を巡り始めて思ったのは、芭蕉の痕跡マジパねぇ!です。
あの木曽殿ファン、徒歩だけで木曽殿聖地巡りやってるのに行ってる数が凄い。こんなトコまで来てるのかよ!と思う事も。
現に大垣は四回来たらしい。
句碑のあるところ必ず来ているワケでもないだろうけど、句碑があると何か負けられない気がする…!


まあそれはおいといて朝長さんのお墓へ。


すぐに「刀石」という石があり(参拝の時ここに佩刀を置いたと言われる)
その向こうにお墓が三基。



こんなところで亡くなるとはなんと無念だったコトか…としみじみしつつ合掌。
立て看によると右から「義朝の墓 義平の墓 朝長の墓」で、左にちょっと見えてる小さな三基は従僕三人
のお墓。



さらに奥、というか隣には大炊氏一族のお墓もひっそり佇んでた…。


ゆっくり合掌したいとこだったが早々に退散、いやもう蚊がすごいのなんのって(>_<)




このあと麓の八幡神社にお参り、

鎌倉時代より新しいようだけど八幡神社にはお参りを欠かさないと決めているので!


おつかれちゃん自分!と青墓宿を少し歩いて帰途につく。

で、帰りついでに「岐阜城(稲葉山城)」に登ってやった!


もちろん登山道ではなくロープウェーで。

岐阜城のゆるキャラ、のぶさま。



天守閣からみた空。
あまりのキレイさに、30分以上ボーっと見ていた…気がする…。
9月というのにこの日も猛暑で、天守閣に登ってやっとさわやかな風を満喫できたのもあり、濃尾平野(だったっけ?)をかなりの高さで一望できるのも他の城にない絶景で、オススメです岐阜城!


この後、JRで岐阜から名古屋へ行き、東京までは新幹線で快適な帰路だったので駅弁を食べる間もなく爆睡。
…てカンジでした。


あまり参考にならない強引な旅で申し訳ない。ここまで読んでいただいた方あざーす!
行った気になってもらえれば何よりです…

2010年9月

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<今回の移動ルート>

京王高速バス/飯田駅

川本喜八郎人形美術館

名鉄高速バス/馬籠駅

法明寺址(菊姫墓)

兜観音

坂下八幡神社

落合宿(おがらんさま)



JR/岐阜駅

義円公園(墨俣古戦場址)

義円墓

JR/大垣駅

青墓宿

円興寺址

朝長墓




◆今回のヒント

◆頑張る人のための高速バス。

信南交通高速バス名古屋線
名鉄バス高速バス飯田線


川本喜八郎人形美術館
川本先生の人形はキャラが立っててイメージしやすい&衣装はTVドラマなんかより考証がしっかりしてるので一見の価値アリ!



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