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旅 レ ポ 。


ゴールデンウィーク〜諏訪〜辰野〜塩尻三角地帯ぐるぐる〜

このところ写真の撮り逃しが多いなーと思ってたので、GWを利用して細かい宿題のフォローしに行ってきました。ある意味、スタンプラリーみたいな?

1日目2日目3日目5日目



1日目

まずは中央本線を特急あずさで西に向かい、JR
茅野駅で下車。
茅野には「諏訪大社上社」があって、神党の諏訪・千野・藤沢氏の他、血縁関係のある依田氏や保科氏にも重要な地。現在では下社に比べて控えめの社殿、これは後世に起こった下社との内訌も関係するのかしないのか…ワカラニャイ…

初めて御柱祭をみたのはこの上社だった。。。と感慨深く徒歩で上社に向かう。


確か御柱は川を渡って行くんだけど、この川だったっけ…?

上社には本宮と前宮があって、まずは前宮へ。


歩いて40
分くらい?距離的にタクシーのほうがよかったかも…oTL


二の鳥居。
左に見えるのは十間廊、古くは神原廊と呼ばれた。
そしてこの上の一帯を神原(ごうばら)という。うーん、もしかしたら「神党」はゴウのトウ、と読むのかもしれない…


十間廊の反対側の道にある五輪塔。案内板によれば「諏訪照雲頼重の供養塔」とある。照雲とは上社大祝をつとめた三河入道頼重のことで「太平記」にも名をとどめ、建武2
年に北条再興を図り決起したという。


土塁の址↑。諏訪では「くね」と呼ばれ、もっと高く作ってあったとか。城郭の要素も備えていた。


前宮本殿。本来はこの奥に本殿があったのが、今はこのお社しか残っていないという事のようだ。また、さらに奥に墳墓があると伝えられ、今でも立ち入り禁止とのこと。中央の参道に加えて左右に道が続き、中世には上社大祝直属の家臣の屋敷が建ち並んでいたという。
前宮、という呼称は本宮より以前に有ったとも考えられ、下社とは違った意味合いらしい。


本殿左手には「水眼(すいが)」と呼ばれる清水が流れ、ご神水として使われてきた。

このあたりで次の目的地・本宮に向かう。

…と、途中「神長官守矢資料館」をみつける。

明治まで諏訪大社上社の神官をつとめていた守矢さんの屋敷(?)内に資料館が建てられていて、主に神事に関係した中世以降の資料が多数ある。


敷地内には木の神様も。急ぐ旅ではあるので、資料館はちょっとのぞく程度にして先を急ぐ。



途中にあった「旧杖突峠入口道標
左に『西 神宮寺』、正面に『従是北 高島 一里二十丁』、右に『東 金澤宿』とある。
うーん、いわれはヨク分からず。
そして、この道標のナナメ向かいくらいに↓


旧権祝屋敷」の案内板がある門。現在は残念ながら無人のようだけども、隙間から見える庭とか石祠から立派だった屋敷の片鱗がみえたような気がする。


てくてく歩いていくと、今度は左手に「境石」ハッケン。江戸期のもので、どうやら「矢島」と「守矢」の領境とのこと。
このすぐ先に本宮一の鳥居がある。

そして一の鳥居の次には「若宮八幡宮」。

このあたりは既に(昔の)諏訪大社上社の境内、というか神宮寺があった頃の境内だったと思われる。
この若宮八幡宮の向かいに、小さな鳥居と祠というか石碑みたいなのがあって、「矢島氏発祥の地」とかいてあったんだけども、石柵でガッチリ囲んであってまるで写真には撮れなかった…oTL多分、さっきあった境石の「矢島権祝」さんの家のコトかと思われる。

神宮寺仁王門址の前を通り…


二の鳥居をくぐって駐車場脇をとおると…諏訪大社本宮到着!↓(これは東三の鳥居)


実はこの鳥居左手にある山手一帯は諏訪神社の神宮寺で、明治前までは立派な建物が建ち並んでいたといい、武田信玄にも縁があって供養塔もある。が、今は法華寺を除いてわずか痕跡が残るのみ。

そんな新しい時代のコトはどうでもよいので、さっそく拝殿へ向かう。


東から来ると実はちょうど拝殿の真裏で、長い廊下(布橋)を通って拝殿脇を通って正面に出る仕組み。

拝殿。



その奥にある幣拝殿。ちなみに諏訪大社に本殿はない(山が御神体だから)。


布橋を北から見たところ。


布橋の北にある巨大な神楽殿と巨大太鼓。


そして、北参道に出る。

参道はお土産屋さんがあってにぎわってる。いつ食事がとれるかワカラナイ旅なので、ここでふかしたての「おやき」を食しつつ、さすがに歩いて帰るのは時間がもったいないと思いタクシーを召還。ちなみに本宮から茅野駅までは1200円くらい?

茅野駅からの電車のアクセスが悪かったのでカナリ凹むけども、タクシーの運転手さんに教えてもらったお店で名物の寒天スウィーツなどいただいて時間をつぶし、次の中継地点JR岡谷駅へ。

JR岡谷駅からさらに飯田線に乗換えて→JR伊那新町駅へ。

電車の本数は1時間に1
本のペース、ヘタに動くとヤヴァイかもなー、とドキドキしながら徒歩移動開始。
まずは天竜川を渡る。


川を渡しているのは「新樋(しんとい)橋」という名で、ビミョーにこの土地の古名「樋口」を反映しているような気のせいか。

このあたり、樋口兼光の本拠地と目されている。
ただし「樋口」という地名自体はありふれていて全国のあちこちにあるので注意が必要。

川を渡ってすぐにある八王子神社。由来記によると、平出・辰野のあたりは湖だったのが涸れ、その後毎年疫病が流行ったので八柱を奉祀し無病を祈願したところ、病は忽ち跡を絶った、という。
樋口兄と直接関係はナイにしろ、面白い伝承だ。


きっとアレなんだろうなあ、と思いながら西の方角にある山(荒神山)をめざして歩く事40分、「荒神社」へ。


ここは樋口兼光が氏神としたらしいが、案内板もなくイマイチよく分からない…。アニィ!ここで合ってるの!?


社殿。
この山の裏手(というか上の方)は荒神山公園という公園になっていて、どこからかバーベキューのうまそうな匂いがただよっている…

参道を下りて、県道に出る手前に樋口家の方が建てた「樋口家御祖之奥津城」、これは神道墓。スミマセン勝手にお墓撮っちゃいました…m(_ _)m


高速道路の下を通って東に向かうこと20分くらい。
途中で会った猫ニャー。


そして県道19号に出ると庚申塚をみつける。


この庚申塚にも「樋口」の刻印があるんだなあ。と、思ったらそのナナメ向かいに↓



果たしてこの左手に見える畑にあるのかと思いきや、グルリと廻ってガソリンスタンドの裏手の「樋口次郎兼光之墓」にたどりつく。



この慰霊碑自体は新しいが、多分この場所はもっと古くからあったものだと思われる。
脇にあった案内碑によると、「
当樋口の樋前に居城したので、世に樋口次郎兼光という」とあり、また最後に「兼光の従臣は彼の髪を形見に郷里に持ち帰り、当地の菩提寺香蓮寺に納め菩提を弔った。この時六歳の遺児左近兼重この地に養育され後、鎌倉幕府から領地を課証されたという。」とあって興味深い。
この香蓮寺というのは今はないが元は荒神山に建てられ、荒神社はその鎮護の為に建てられたものという。


帰り道も荒神山の脇をとおる。
写真は通り過ぎてから振り返って撮ったところ。
右端に鳥居があって、こっちが荒神社の南参道。
なんとか電車の時間5分前に駅にたどり着いて岡谷に宿をとる。


<つづく>

<上に戻る>


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


2日目



さて、朝からバスで北上、岡谷市の「今井」という場所へ。ここを中山道が通り、塩尻峠に続いている。このあたりには「今井姓」の家も多いらしく、今井兼平の本拠地候補でもある。ただ、残念なことにそれらしい遺跡はナイ。

何か手がかりないかなあと思って、今井の「十五社神社」にも行ってみるけども、(昔の)今井村の戊亥(西北)に建てられた鎮守としか分からず。


不思議な建物(舞屋というらしい)をくぐって…


拝殿↓。

お参り。


歩くにはちと遠いのでコミュニティバスで1時間半かけて岡谷駅に戻ると、次の電車まで30分時間があいている。ちょうどよいので駅近くの「城向山照光寺」へ。



こちらは文明年間(1469〜86年)に今井四郎兼平の末孫・今井兵部兼貫が堂宇を再建した、といい今井家の菩提寺にもなっている。



時間ギリギリでJR岡谷駅に戻ってくるとホームに駆け込み飯田線で(っていうか0番線ホームってどこよ!)、JR飯田線川岸駅で下車。

徒歩20分くらいで「新倉観音堂」へ。


この観音堂境内に「義仲手植の桜」があるらしいんだけども、案内板などは見当たらず。
お堂の前の見事なしだれ桜の脇に立つ石碑も「太神宮」とあるのみ。


後で調べてみたら、この桜は「神代桜」とも呼ばれるが義仲手植えの伝説もあるのだとか。


お堂の裏にも2本の立派な桜と沢山の庚申塚がある。もう少し早く来てたら花が見れたのに…残念。

観音堂のさらに山手には御嶽権現さんがある。これは駅からすぐ見えるので、ランドマークになるかも。



道祖神を左手に見ながら



さらに南下すると「新倉毘沙門堂」へ。


左手に見える、樹齢200年以上の大杉が目を引く。


新倉観音堂の観音像、毘沙門堂の毘沙門天木像はどちらも室町時代に制作されたもの。
ただ伝承によれば、このあたりは下社・金刺氏に支配地だったので(聟であったかもしれない)義仲の守本尊としていた毘沙門天をこの地に祀ったのがこのお堂の始まりという。

お札をアリガタく戴いて先を急ぐ。

JR川岸駅に戻ると、次に来た上り電車がちょうど上諏訪駅まで行くヤツだったので、JR下諏訪駅まで行く事にする。
今年の1月にウッカリ写真を撮り損ねた「唐糸・万寿の五輪塔」の為にね!

  ◆

ちょうどお昼時、日差しも強くなってきてにわかに日焼けが気になってきたところで、諏訪大社春宮は鳥居前で会釈する程度、まっすぐに五輪塔を目指す。
登山道ウロ覚えだったので近くを歩いていた方に聞くと、「そこの登山道を登って、祠のさらに奥にあるからね」と、丁寧に教えていただく。

果たして登る事5分?で「唐糸・万寿の五輪塔」ハッケン!


この高台から桜城(金刺氏の城)が見える。まだ桜の花が残っていてうっすらピンク色。


五輪塔を失礼して山道を降りる途中、野草を摘んでいた御婦人に挨拶がてら世間話をしていたら(今年の桜城の桜の事とか…)「お昼だしおなかすいてるでしょう?」と、パンを頂く。

なに!?諏訪っていい人ばっかりすぐる〜!

とても21世紀とは思われない、旅人へのあたたかい対応に感謝〜

急いでJR下諏訪駅に戻り、またしても目の前の電車に飛び乗って塩尻駅に向かう。いただいたパンは電車の中でオイシくいただく。

  ◆

JR塩尻駅で名古屋行きに乗換えて(乗換の待ち時間は30分くらい?)、JR木曽福島駅で下車。
ここからまたしても中山道を歩く!

次の目的地は「木曽の棧(かけはし)」、昔の中山道の難所。


中山道の古い道をひたすら歩く。道すがら道祖神などみつける。


旧国鉄のトンネル。
車一台通れるくらいの幅で、一人で歩くのは多少の勇気がいるけども通ってやりました。そしたら車が2台ほど通り過ぎて、やり過ごす時にちょい恐…

さらに道しるべに沿って歩いていくと、

板敷野あたりでとうとうこんな道になって心細くなったところで、

「沓掛馬頭観音」に到着。


ヨシナカスキーのテンションアガる場所キタ!
言い伝えによれば、木曽殿が「木曽の棧」で愛馬に目算で
「七十三間とべ」と言ったところ、馬は言われた通り七十三間飛んだのに実際は七十四間あったので、人馬とも川に落ち、木曽殿は助かったけども馬は残念なことになってしまったと。
それで木曽殿は金の観音像を作り、堂を建てさせて供養したのがこの馬頭観音堂のいわれだとか。
ちなみに一間1.8m、七十三間は131.4m…って、ちょ、どんだけ!?

国鉄の鉄道が通る時に今の位置に移されたとのこと。元はもう少し南の観音坂にあったとか。だとすれば何故この位置に建っているのか納得…



国道19号に出る下り坂(観音坂)を降りると「沓掛一里塚」


そしてちょっと南下すると見えてくる「木曽の棧」



よく注意されるんだけども、この赤い橋は「木曽の棧」ではなく、
沓掛一里塚方面から見て左手岸(国道19号側)にあった狭い道と、そこに板を渡した通路(ウッドデッキ的なものがあった)が棧。

現在は棧の基礎になった、江戸時代の石組みが一部保存されている。(写真では分かりづらいけども、左右の斜行している石組み)



多分、元々は木曽の棧を臨む位置に沓掛馬頭観音があったんだろうなあ。そして、昔はこの悪所で馬もよく落ちたんだろう…


この棧を眺める位置に、芭蕉先輩の句碑も鎮座。
センパイ!お疲れさまです!

それにしてもココまでで徒歩3時間(道草しすぎ…)。
上松まではあと徒歩1時間くらいで着くはずだけども、棧の入口にコミュニティバスのバス停を発見、しかもあと15分くらいで来るというナイスなタイミングだったので、これを利用しない手はナイ。
バスにJR上松駅まで乗せていってイタダく。

上松ならホントは「寝覚の床」という名勝があって、芭蕉先輩もここで「寝覚の月」の一句ひねってるのでご紹介したいけども今回は補習というコトでパス。(実はワタシは何度か来てる)
他にも、ナゼか木曽福島〜上松には高倉宮とその姫君の伝説がいくつか残っているので、別の機会でまた紹介できればいいなあと思っております…


<つづく>

<上に戻る>


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


3日目

さすがに3日目ともなると、お天気もくずれて雨模様。
 
JR中央本線上松駅→JR多治見駅経由→JR太多線美濃太田駅経由→JR高山本線岐阜駅へと移動。

ここからは岐阜在住の友人に車を出してもらって、まずは「美濃国国分寺址」へ。



電車で行くならJR東海道線垂水駅からバスかタクシーがオススメ。
ちなみに、大河ドラマ清盛で登場した傀儡の宿場・青墓宿とは目と鼻の先の距離。JR美濃赤坂駅からレンタサイクルで青墓町→国分寺址、と西に向かう手もあるかも。

美濃国分寺の史跡はよく手入れされていて、壮大な規模を妄想させてくれる。けっこう写真撮ったんだけど、雨のせいで全部暗い…oTL


現在の国分寺は遺跡の北にある。



東西に延びるJR東海道線を越えて南下し、「南宮大社」へ。
「南宮」というのは、国府の南にあったからだという。


こちらは、宮ノ越にある南宮神社の本社にあたる。
金山彦命を主祭神とし、鉱山や金属業の神様として祀られている。境内にある奉納絵馬は金属に関係したもの(ノミや金槌を象ったもの)が多い。
木曽殿がこの神社を勧進したとしたら、鍛冶に関係するナニカが宮ノ越に必要だったというコトだよなー
…と勘ぐるけども、宮ノ越の南宮神社由緒によれば、南宮大社は源氏に縁が深いということで、木曽殿幼少のみぎりに分社されたことになっている。




朱塗りの社殿は重文。
それにしても雨はいよいよ強くなってくる…

  ◆

さらに車で移動、関ヶ原方面に向かう。
関ヶ原といえばチョー有名な戦国時代の史跡だらけだし、雨が降ってなければ「○○布陣地」とか「ウォーランド」wとかあちこち寄り道したいところだけども…ムリ…。

先ほどの南宮大社の西には「南宮山」があり、この山を迂回して南宮山の西にまわると、次の目的地。


↑こんな案内を見たら、坂道を上っていくと


こんな祠を見つける。
祠の右手にナゼか芭蕉先輩の句碑が!ム、くさいな!



というわけで「木曽神社」に到着。
この神社には、木曽殿の娘・糸姫が家臣に守られてここまで逃れ、隠れ住んだという伝承がある。元は木曽殿が祈願所として建てたが、後に僧が入り「義仲寺」となり、禅僧が入って「宝聚院」となったという。明治の神仏分離策で宝聚院を分けられ「木曽神社」となった。

というわけで、珍しくも主祭神は源義仲となっている。
兼平が祭神というのは見かけるけども、木曽殿が祭神、というのはちょっとレア(しかも信濃から離れてるし)。

南に下りると、今もある「宝聚院」。



お堂の手入れ中とのことで木材が積んである。お庫裡さんらしき方が丁度いらっしゃったので木曽殿の話などを聞いてみると、丁寧に娘・糸姫の伝説を教えていただく。
この山一帯が寺の境内にあたり、国道が通る前は糸姫お手植えの桜の古木があったのだとか。国道敷設の際に伐られ、今は若木を道路脇に植えている。


こんな感じで、案内板には糸姫の伝説、右手に桜の若木。

そして寺の墓地には宝篋印塔群がある。不敬ではあるけども見事な数。写真は斜面の穴にあった大切そうに見えた五輪塔2基。


しかし、哀しいかな数基盗難にあったとのこと。もうね、盗んだヤツにはバチがあたればいいと思う!
この宝篋印塔はもう少しちゃんと調べたら深い謂れがありそうだけども、平安時代より下るモノなので、とりあえずお参りだけして退散。

この後、ついでなので大垣城址に寄ってこの日は終了。



ちなみに大垣は芭蕉先輩が「奥の細道」の旅を終えた土地で、大垣城敷地内に「奥の細道むすびの地記念館」とか句碑がある。駅前には芭蕉先輩の銅像もあって、これをオガムのも何回目…?みたいな。

言っときますが、ワタシは俳句に全く興味ナイです…
芭蕉先輩のコトは好きだけど、それは先輩としてであってですね…!


<つづく>


◆閑話…

4日目は?というと、木曽殿と関係なく「国宝犬山城!」とか「小牧山城址☆」とか廻ってました。これで戦国時代にマッタク興味がないとか言ってるんで、なんとかした方がいいと自分でも思う…
戦国時代の城と古戦場と地形は大好きなんだけど、カンジンの武将にあまり興味がないとか、サイアク…。
大河ドラマと司馬遼太郎の小説くらいは読んでるので、一般的知識は有る方だと思うんだけど、細かいコト(家臣とか繋がりとか)がイマイチ分からない…ので、歴女スゲーといつも思う…



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


5日目

JR中央本線を東に向かって帰途につくけども、どうせJR塩尻駅で乗換なので、そのまま小さい電車(JR飯田線)に乗る。

たったひと駅のJR小野駅で下車。
駅を出て右手に、いきなり大鳥居出現。これなら道に迷いようがない。



本日の目的地「矢彦神社」。思ったより随分立派で敷地も広い。実は小野神社と境内が繋がっている。



案内板の由緒によれば「(略)
安徳天皇の御代、木曽義仲が宮材を木曽山林より伐り出し社殿を造営し、以後約七百年にわたって宮材を木曽山林から出材されることになりました(略)」とある。


奥の拝殿。


矢彦神社正面の鳥居。

そして、矢彦神社と小野神社の間あたりの境内の奥まったところにナゼか芭蕉先輩の句碑が。↓


「うきわれと 寂しがらせよ 閑古鳥」

スミマセン、何故ここにあるかは分からず…
向かって右手にあるのが小野神社


小野神社の正面にも鳥居があって、内の境内はつながっている


けども外からみると鳥居が2つ並んでいるという、ちょっと不思議なカンジ。
小野神社の拝殿奥には、県宝にもなっている社殿が四殿あり、そのひとつが八幡社という。


天気もいいので、境内で弁当を使わせてもらうw
塩尻駅で購入した「アルプス道づれおむすび弁当」。この「弁当をつかう」という表現大好きで、池波正太郎あたりの小説によくでてくる言い回しなんだけど、ヘタに言うとまわりに変な顔をされるんだよなあ…


電車もしばらく来ないし、どうしようかなあと思っていたら、コミュニティバスの停留所を見つけて、これまたピンポイントな時間(1日3本しかない)で平日のみ運行と書いてあるんだけども、11:58の塩尻行きがあと15分くらいで来るらしいのでとりあえず待ってみる。

ktkr!バスが来たので乗り込む!

  ◆

そして塩尻に向かう途中、GoogleMapを確認してたら、丁度「阿礼神社」の前を通るので「宮本」というバス停で下車。

バス停からは徒歩1分で「阿礼神社」に到着。


阿礼神社の前を中山道の旧道が通っている。
境内の案内板の縁起に「(略)
高倉天皇治承四年(西暦一一八〇)木曽義仲が親しくこの神社に参拝、塩尻諸豪族や諏訪一族らに対し挙兵参加を要請したので諸豪族ら奮って応じた(略)」とある。

ゆっくりお参りさせていただく。


さて、次のバスは少なくとも2時間先にしか来ないので、JRみどり湖駅まで歩く事にする。

途中にある「永福寺」は、義仲子孫が建てたといわれているので、寄りたいなあ…と思いながら歩いていたんだけども…
電車の時間が迫っているのを知って永福寺は涙をのんでスルー。
子孫建立系は残念ながら優先順位が低いのよ(ちょっとだけね)、それにしても残念…

  ◆

JRみどり湖駅に時間ギリギリに着いて電車に乗り、JR塩尻駅に戻ると、今度はもう一度中津川行の中央本線に乗ってJR洗馬駅で下車。

歩く事20分くらいで「床尾神社」に到着。
残念ながら案内板らしきものは見つからなかったけども、由緒によると、挙兵時にここを通過する際、木曽義仲の祈願奉納があったという。のだ!



元は、「天孫神に逐われた健御名方命が越から諏訪へ向かう時にここを訪れ、牛鬼という賊を打ち払った」と伝えられ、健御名方命を祀ったところから社を建てた村を床尾村といったらしい。(今は合併して宗賀という地名になってるけども)


お参りもそこそこに、来た道を早足で戻り、 JR洗馬駅に着くと塩尻行の電車まであと5分!(ちなみにコレを逃すと1時間半くらい後)

サスガ、鄙の交通機関は侮れないなあと思うやっつけ旅もここで終了。
GWだったのが幸いして、帰りの特急しなのは増発が出ていたので、自由席でゆっくり座って戻れたのも助かったー。(以前ほぼ満席でドキっとしたコトがあるんで)


毎度ここまで読んでくださった方に感謝m(_ _)m



2012年5月


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<今回の移動ルート>

▽一日目
JR茅野駅

諏訪大社上社・前宮

神長官守矢資料館

諏訪大社・本宮

JR茅野駅

JR岡谷駅経由JR伊那新町駅

荒神社

樋口兼光墓

JR岡谷駅


▽二日目
岡谷市神明町今井(十五社神社)

照光寺

JR岡谷駅

JR川岸駅

新倉観音堂

新倉毘沙門堂

JR川岸駅

JR下諏訪駅

唐糸・万寿の塔

JR下諏訪駅

JR木曽福島駅

沓掛馬頭観音堂

木曽の棧

JR上松駅


▽三日目
JR岐阜駅

(JR垂水駅)

南宮大社

(JR関ヶ原駅)

木曽神社

宝聚院

(JR大垣駅)

息抜きに大垣城


▽四日目
息抜きに犬山城

息抜きに小牧山城


▽五日目
JR塩尻駅経由JR小野駅

矢彦/小野神社

バス

阿礼神社

JRみどり湖駅

JR塩尻駅経由JR洗馬駅

床尾神社




◆今回のヒント
●神長官守矢資料館
南宮大社



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