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旅 レ ポ 。


京都為義リターンズ。


京都はどちらかといえばよく行くほうだけど、2012年は大河清盛ということで「保元の乱」的な史跡をおさらいのため回ってみた。


東京で見逃した「清盛展」が京都平安博物館でも開催するという情報を仕入れたのが発端だったけども、折しも大河清盛では、源為義(義朝や義賢なんかのお父さん)がちょうど保元の乱で負けて船岡山で処刑された頃だったので、為義追悼廻りなどをゆるく計画。

6月の梅雨の時期だけに、多少の涙雨覚悟でまずはバスで七条千本バス停へ。
権現寺の門前に「源為義公塚」がひっそりとある。


なにげに塚は塀で囲われている上、門が閉ざされていて敷地には入れないので、門前にてそっと手を合わせる。


ここから北東の西本願寺方面目指して六条通りまで徒歩で上がる。
と、西本願寺敷地の角に「左女牛井(さめがい)跡碑」。


源頼義以来、源氏重代の館はこの井戸から水を引いていたと言われる。源為義が「六条判官」といったのもここ六条堀河邸に住んでたから。

東に歩いて行くとこの辺りの地名は「醒ヶ井」。
現在、ちゃんとした六条通りは残っていないがだいたい「花屋町通り」がそれっぽい。

さらに東に歩くと「若宮八幡神社」。


これが平安末期頃の源氏の館・六条堀川邸のランドマークで、頼義の頃、館の一角に祀られたのが始まりという。現在、若宮八幡の本体は鴨川の西に移動したが、お社は残っている。


烏丸通りに出たらやっと出現した「六条通」に入って

東へ歩いて「長講堂」。


この日はなにやら工事中。
ここはゴッシーが晩年を過ごした「六条殿(六条御所)」の敷地の一角に建てられたもので、この寺は六条殿の持仏堂だったという。
木曽殿がクーデターを起こしたときには院近臣の「
大膳太夫成忠が六条西洞院邸」があり、ゴッシーはここに幽閉されている。こうしてみると、堀川邸の隣でたしかに監視しやすいね。。。
てか、ゴッシーってば幽閉されてた土地を譲り受けて晩年に院御所にしてるって、ちょ、どうなの?平気なの?
ちなみに長講堂は通常非公開。


ここでお昼になったので、タクシーをつかまえてこの日のメインイベント、京都文化博物館に移動。

清盛展、これはカナリいいものが来てました!
厳島神社に行ってもまず見ることができない平家納経がバーンと展示。意外と清盛は途中までしか書いてなくて、続きから書いてる重盛(だったっけ?)乙…

ついでに京都の地層なんかも常設展で見たりして、ここだけでゆったり半日費やす。
ところで忘れちゃいけないのは、この京都文化博物館はゲンペイの頃には高倉宮(以仁王)の邸があったところだということ。建物の中だけでなく、立地も貴重!
とはいえ、脇にひっそり石碑が立つ以外、何も残っていない。
高倉宮邸跡碑」。



午後からは雨が降っていたのであまり移動はしないつもりだったけども、博物館の近くということで「高松神明社」に寄っておく。

高倉宮邸のほど近くのこの場所には昔、高松殿があって、ここでゴッシーが即位し内裏とした思い出の場所。保元の乱では後白河天皇側の拠点となるも平治の乱で焼失。以来、神明社のみが今に残る。

このあと友人とヲタ話を肴に深夜まで飲んで終了。




2日目

…は市バスで「船岡山」へ。梅雨の時期なのに奇跡的に多少日が射すくらいの天気。とはいえサスガ京都だけあって蒸すー…。
もののついでなので「今宮神社」へもお参り。




その都合もあって、北からのルートで船岡山に登る。


山といっても丘程度の高さなのですぐに山頂、東側にある建勲神社にお参りするけどもこれは源氏一族とは関係ない。


蓮台野により近い西側にまわる。と、京の町並が見渡せる。


保元物語によればこの山で為義親子は斬首されたのだけど、場所は定かではないらしく碑や痕跡など何もない。
ただ、船岡山から西の蓮台野は死者が葬られる場所だったので、建勲神社とは反対の公園側で斬られたのではないかと妄想。
山には由緒のわからない石塔がいくつもあった。造りとしては平安時代よりは新しいと思われるけども、やっぱり戦場や刑場になりがちな場所だけに気になる。



山を下りて市バス「建勲神社前」バス停からバスに乗り、「堀川今出川」で下車(ちょっとウロ覚え)。

そこからちょっと歩くと「白峯神宮」。


境内にはサッカー少年達がいっぱい参拝にきていた。摂社のひとつがサッカーの神様ということで、この神社も元は蹴鞠の宗家の邸跡だという。



かと思えばかの崇徳院が祀られており、神社の由来も院が葬られた讃岐の白峯稜からきている。

しかしワタシが目指すのは、境内にある摂社「伴緒(とものお)社」。


ここは為義・鎮西八郎為朝が祭神として祀られており、弓道の神様として信仰されている。

為義・為朝父子が仲良く祀られている、というのもなんとなくほほえましい。
足早にお参りし、ここからバスで五条へ



五条で降りたついでに女人守護の神様・市比賣神社にも御礼参り。
以前、病気の時にこちらの御守を友人がいただいてきてくれたので、その平癒の御礼。

この神社のすぐ裏に昨日訪れた「長講堂」がある。


さて、ちょい北上して五条大橋まで出て、滅多に見に行かない「牛若丸と弁慶像」を撮る。
国道1号線の、4車線の道の中州にあるので普段は通りすぎちゃうんだよねここ。。。ここで立ち止まる人もまずいないし。


この五条大橋はあまりにも有名すぎる橋だけども、本当は平安時代のほぼ六条の位置にあって、実はこのあたりが六条河原=刑場…と考えると、ちょっと複雑な気持ちになる。
木曽殿も六条あたりの女房と別れたあと河原に出て転戦しながら北上していく。とか、なんとなく憂鬱なイメージ。

さて現代の五条橋のたもとには「扇塚」もひっそりとある。敦盛の妻が出家しこの場所で扇を作ったことに由来するという。



橋を渡ってしばらく歩き、六波羅蜜寺へ。


ここにはもと平家の六波羅邸があった。


境内にはでっかい供養塔(清盛塚と阿古屋塚)がある。また、宝物館では貴重な仏像を拝観することができる。(有名な重文の「空也上人像」「平清盛公坐像」がある!)
そして、以前はすぐ近くの中学校の敷地に六波羅跡の石碑があったとおもうんだけども、六波羅蜜寺の境内に移されていた。

この破損状況からみて、中学生が壊しかねないから移動したとみた…!

近くに残っている平家ゆかりの地名「三盛町」。
盛がつく人の家が3つあったからって、大雑把だなあ。



足早にお参りをすませ、六道珍皇寺に向かう。
その道すがら「ハッピー六原」を発見!


ハナシには聞いてたけど、この存在感なにか面白い!
「六波羅は平家の象徴であった」とか、「都落ちの時には平家に町ごと焼かれた」とか、ここに住んでた人はみんな死んでしまった、という悲劇をふまえて訪れてるのにこの明るさったら。ギャップで笑っちゃうのかもしれない。

宗盛が店長やってたり二位尼がレジ打ちしてたらと思うとウケるわー。なにげに高級感ある外観も平家っぽい!


といってるうちに「六道珍皇寺」に着く。
かつてはこのあたり、鳥辺野という葬送地だった。そんなわけでこの世とあの世の境にある六道の辻と呼ばれた。平家物語的に特別な話はないけども、平安前期をおさらいするためにも押さえておきたい場所。小野篁が井戸を通って閻魔大王の裁判を手伝ったというエピソードがあるうだけども、


本堂横にある小窓からお庭をのぞくと、地獄とつながってるというウワサの井戸がチラ見できる。




ここから北上、八坂の塔を目指す。どうでもいいけどほぼずっと上り坂、キツい。


京都の有名な風景といえばこの五重塔のシルエットと町並だよねー、といつも思う。
正式名「法観寺」さん、拝観料400円なんだけども京都にきた時にはなるべく寄らせていただくようにしている。
ここの境内には木曽殿の首塚が安置されていて、いつもきれいにして下さっているのでそれに酬いたいと意味と、当然ながら木曽殿にご挨拶したいという意味で。


いつも寄らせていただいておりますー


さて、西の賀茂川まで一気に坂を下る。
河原に出ると「松原橋」。


この橋の位置が平安時代当時の五条橋と目されている。



ここで最寄りの地下鉄祇園四条駅に駆け込み、中書島駅乗換で宇治へGO!
前回は宇治平等院の門前でむなしくも日暮れとなり拝観できなかったので、リベンジだ!
というわけで宇治橋。川の水に注目してもらいたいのだけど。


この日は宇治川が危険なほど増水していて、「以仁王の乱における宇治川合戦」というよりは「木曽軍×義経軍の宇治川合戦」に状況が近い気がする。
川に近づかないよう警告するアナウンス車が走り回っており、普段は浅瀬のはずの中州周辺も緑色の水で川底が見えない。



途中、中州にある「宇治川合戦碑」をながめつつ川を渡る。


さて、十円玉で有名すぎる「平等院鳳凰堂」に無事到着。
観光客の皆さんはみな平等院を背に銅貨を持ってニッコリ写真に収まっている。


ワタシの目当てはモチロン源三位頼政自刃の地、扇の芝


境内には、ぐるっとまわると頼政公のお墓もある。
世界遺産になってから拝観ルートが固定されてちょっと面倒だと思うけども、これも時代の流れというものか。
まあここまで来て平等院鳳凰堂に用事がないっていうヒトも少ないだろうがな…!
ところで、頼政公のお墓に行く途中に「太敬庵通圓政久之墓」というお墓がある(写真左)。


案内板によると、源頼政の家臣・古川右内の墓で、右内は隠居していたものの宇治川合戦では頼政と共に戦って討死したという。
この右内=通圓政久が隠居していた庵で宇治茶の店「通圓」を創業し、今に続いているとか。
通圓さんはまあアレだけど、どうせなら仲綱さんや仲家父子の塚もあればいいのになあ。

そして「源三位頼政公の墓」。


頼政公の自刃シーンは見事すぎるけども、読む度に胸が痛くなる。
老齢ゆえに、刀を腹に突き立てる力がなく、刀を立てて上から体重を乗せる形で俯せて自刃、その後忠臣の渡辺唱が泣く泣くその首を(敵に取られる前に)取るのだ、あの庭で。
くっそー!奈良(興福寺)がグズグズしてるからいけないんだよな!
と考えてみたところで800年以上も前のことなんだからしょうがない。


なんとか日が暮れる前にミッション終了。
んで、せっかく宇治にきたので宇治っぽいスイーツ。抹茶白玉ソフト。


そして今回の駅弁は「京都牛膳」をゲット。黒七味をかけていただきます。




毎度ここまで読んでくださった方に感謝m(_ _)m

2012年6月


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より大きな地図で 旅レポ船岡山編 を表示


<今回の移動ルート>

JR京都駅

源為義公塚

左女牛井跡

若宮八幡神社

長講堂


京都文化博物館(高倉宮邸碑)

高松神明社(高松御所)


二日目

船岡山

今宮神社

白峯神社(伴緒社)

市比賣神社

五条大橋

六波羅蜜寺


六道珍皇寺

八坂の塔(木曽殿首塚)

松原橋

宇治川(合戦碑)

宇治平等院





◆今回のヒント

京都府京都文化博物館
お茶の通圓



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