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旅 レ ポ 。


北陸進軍!!!


ずっとやってみたかった、
「検証!倶利伽羅合戦」!!!!! とうとう実行してきた〜〜〜
3日かけて行って来たのですがなんか盛りだくさんすぎた…!


東京出発、上越新幹線MAXとき号で→「越後湯沢駅」特急はくたか号に乗換えて「富山駅」下車。
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1日目。


1日目のスケジュールは
 富山駅
  ↓
 呉羽山
 丸山八幡社(呉羽山ふもと)
 白鳥城(呉羽山南)
  ↓  
 中田常国・弓の清水
 戸出公園・駒繋ぎの松
  ↓
 高岡(泊)
こんなカンジ。

最初の「呉羽山」は木曽軍の先遣隊・今井兼平6千騎が陣をしいたところ。
ちなみに北陸本線は「寒原(現在の親不知)」を越え「黒部川」「神通川」を渡るというそのまんま北陸道進軍ルートを通れるんで、それだけでテンションあがりまくり。


気分↑↑で向かった呉服山(呉羽山の古名)
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最寄り駅は呉羽駅だがシロートが歩ける距離じゃない…oTL
位置的にはGoogleMapの「呉羽山」と書いてあるあたり(山の北)で、とにかく東西に見晴らしがよい。
そんなに高い山じゃないけど南北に長くのび、東西を分断している。 そのためか、どうやら富山ではこの山を境に呉西・呉東で方言や文化が違うらしい。
それにしてもココには今井隊の手がかりなんにもなし。


いったん山を降りて「富山民俗民芸村」に向かう。

観光地で有名だけどワタシの目的はそのすぐそばにある「八幡社
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ここで今井兼平が戦勝祈願したという伝承がある。
そばに立て看を発見!

←クリックで大きく
「この地には円明延命寺が建てられていたので丸山と呼ばれるようになった」とある。なるほど、だから「丸山八幡社」ともいうんだな? やっと1跡ゲット!




お参りをしたあと、こんな看板のある場所から南下。


呉羽山の南にある「白鳥城址」へ。
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白鳥城は石碑によると「平家の武将斉藤兵部只輔が築城」とあるが、ここに今井隊が陣を布いたという話もあり。

石碑のあたりからは多少の移動で東西を尾根から見晴らすことができそう。西は現在薮になっているけども。

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↑東出丸跡からの展望



ここで呉羽山を離れ中田常国という場所にある「弓の清水」に向かう。 読み方は「ゆみのしょうず」
最寄り駅は戸出駅(だけど徒歩では少々遠い…
GoogleMapに表記無いので「高岡市中田常国」常国神社を目印に。


途中「庄川」を渡る。このあたりは開けてて大軍がぶつかるにはかっこうの場所だな!
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庄川(中田橋周辺からのぞむ)

城端線戸出駅が最寄り駅のようだけども…歩くには遠いT_T でも!こちらでは! 義仲殿がお出迎えしてくれたぁ〜んv

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古戦場、というのは「般若野合戦」の戦場跡。
呉服山に陣を布いたあとに麓のこのあたり(庄川の東)で今井兼平隊6千騎vs.平盛俊隊5千騎が対戦したんだが、正確な位置は伝わっていないとのこと。

この戦いで平氏軍はじりじりと押し戻され小矢部川まで退く。 まったく今井隊はいい仕事をする…!
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ところでこの清水は立て看によると

「般若野の合戦に木曾義仲の軍勢人馬諸共渇したること甚だしくこの土地の松原大助の進言で此の地に弓を射たところ清き水湧出して渇きを医て士気大いに上がったところである」といういわれが。
そういわれたら味見してみたくなるが、さすがに生水は飲むなと書いてあったので、口に含むだけに。



そしてこの日のラスト、戸出駅方面にゴ〜!
「戸出公園」という公園に「駒繋ぎの松」という木曽殿に関係のある場所があるとのことでこれを探そうとしたんだけども… … ない! ないよ!? GoogleMapにもないし、どうしたらいいのよ!?
と彷徨うこと2時間。

だいたい公園があるらしい「中田往来」って何よ?
ソースはWiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/駒繋ぎの松

とうとう交番に駆け込む。
おまわりさんに聞いたところ
木曾義仲?誰それ?そんな武将はしらないけど中田往来は駅南東の道だよということでヽ(`Д´)ノ 、木曽殿の知名度の低さに涙目になりながらそっちのほうに向かうと、


「この道さっき通ったじゃん!」

この工場見覚えあるし!とウロウロすること数十分、やっと塀のすきまにある戸出公民館を発見!
Nec_0881こんなのあったっけ〜!?

実は戸出公園はこの公民館に隣接、しかも公園の端の植え込みの向こうに松があるって…ちょ!どんなトラップですか!!


なんとか「駒繋ぎの松」跡をハッケン…!
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一応松が植わってるがこれが「駒繋ぎの松」というわけではない(なにィ!?)。

昔このあたりには松原があって、義仲はここに馬をとどめ今井や巴らと群議をひらいたという由来が立て看に。

ウィキを鵜呑みにすると正園野神明社跡という「祠」の周辺に松原が広がっていたというコトか… と、この祠を探す…

…… ないよ?
そんなのないよ!?
どこなのだ!ホコラ〜!!

ウィキにある写真みたいな形の祠は見つからず。
そして犯行現場ならぬ元の戸出公園近くに戻り、 「もしかしてこの『開発のため伐採』したのってこの戸出物産なんじゃね?」と工場を中心に周辺を移動すると…


あった! あったよう!祠!
正園野神明社
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しかし祠の前には自動車が駐車してて正面から写真いただけず; このあたりで木曽軍が軍議を開いたか〜、と妄想してると近所の方の不審の目が…イタイなあ。

行かれる方のために↓

とにかく「戸出物産」が必ず目に入りますが
駒繋ぎの松(戸出公園)→駅からみてその手前の奥まったところにある「戸出東町公民館」を見つける事…
祠→駐車場みたいな?場所の片隅にひっそり立ってるので駅からみて左手側をじっくり探すと吉。

ちなみにこの日は高岡泊。




2日目。


2日目のスケジュールは
 石動駅
  ↓
 埴生八幡宮(源平の郷・埴生口)
  ↓
 道林寺(巴・根井進軍ルート)
  ↓
 巴塚・葵塚
  ↓
 砺波山登山(くりから不動寺・猿ヶ馬場・地獄谷など)
  ↓  竹橋(樋口の進軍ルート)
  ↓  石動(泊)
と、ガッツリ「倶利伽羅合戦」の現場をまわる。


普通、各隊のどれか1ルート歩くだけで1日かかるのに、軽く3ルートまわろうとしてるのはカナリ無理。

というわけでここは渋々レンタカーを使う。
で、車で「小矢部川」を越え


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途中、石動駅に到着。石動と書いて「いするぎ」と読む。<知らなかった…



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↑なんですかこのツッコミ待ちの看板はw

メルヘンと火牛は並列できない気もするけど、たしかに小矢部市を一言で表すのならそれしかないのかもしれない…

そして駅前中央にはミニ木曽殿の像がお出迎え!
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火牛の絵もかざってある。

なんか胸が高鳴ってきた!

この駅前の喫茶店「源平」も気になる!
入りたいけどそんな時間がないのが残念…



期待感が高まる。 ここなら木曽殿の知名度は高いのでは…(前日のトラウマでちょい涙目…)


程なく「埴生八幡宮」(別名:護国八幡宮)に到着。
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まずは本日の行軍の成功祈願をば… と参道を進むとなにやらでっかいものが…

これが!

よくネットで見かけるあの写真の!

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 で け 〜 !


日本最大の!源義仲騎馬像!!しかも神社の方に頭が向いてるので、馬の尻から見えてくるあたり何事かと。

そして石段脇にあった「鳩の清水」という清水で手水うがいして清める。
どうやらこの水、砺波山からここまで引いてあるらしい。
その水源の方で木曽軍がのどを潤したらしい。うーん、なんとなくありがたい気がしてきた…

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…のでちょっと飲んでみたらおいしかった。
ハラも壊さなかったのでヨカッタ(笑


多少くじけそうになる石段をのぼって八幡宮にお参り。
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ここの宝物庫には義仲が祈願した際に奉納した願文(写し)、その際一緒に奉納した上刺の矢、矢じり、道祖幣、覚明筆の奉納経が納められているらしいが、この日はみることかなわず。

本堂。旅の無事を祈る。




ところで八幡宮の入り口脇には「源平の郷・埴生口」という案内所のようなきれいな建物があって、本日の計画を立てるのに重要な情報が室内に満載。

・手書きのウォーキングマップ
(これが後でチョー役立つ)
・砺波山の航空写真を引き延ばした地図
・木曽殿の一生を簡略かつ丁寧に説明したパネル
(この写真がまたスゴイ)
・埋蔵金
(レプリカ)

などなど。
時間ない旅だけど無策で山中をさまよう方がよっぽど危険なので、ここでじっくり計画を練る。
で、ここから数km先の「巴塚・葵塚」という塚を目指す。

平家物語に出てくる1万騎の伏兵を置いた「松長の柳原」は現在の松永付近、
ぐみの木林」は道林寺という地名のあたり、

その付近を通りつつ「砺波の関」を発見。
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このあたりも多少道が分かりづらい。

この景色が見えたらここからは歩きで山に入って行き、かなりの山道になってきた頃やっと「巴塚」に到着〜
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そのすぐ先には「葵塚
どちらも石碑自体は新しいのだが、塚は伝承なのかなあ…



ここから車道を進んで一気に砺波山を登る。途中、展望台があり芭蕉の句碑があった…。ヤハリ奴はここにも来たのか…と思いつつ、 「矢立」へ。
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ここは砺波山「塔の橋」に布陣した平家軍と谷を挟んで対陣を敷いた木曽軍が矢合わせを行ったと言われる場所。
今回最も来たかったところなんである!

今は谷にフツーに道路が走っているので判りづらいけど、200mくらいは離れているだろうか。
↓塔の橋側からとった谷だったところをはしる道路。


これだけの距離の矢を飛ばして矢立に平家の矢が沢山刺さったというんだから、昔の漢はやっぱ強弓なのだなあ… この矢立近くの道路から義仲本隊の布陣した場所ものぞめる。
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写真だとほぼ写ってないけど5流くらい旗がひらめいているところが本陣の布陣跡。矢立から少し山道を戻ると

矢立堂という石碑があり、さらに八幡神社方面に道を戻って行くと「茶屋跡」があって、ここで今井隊が陣を布いたとある。 火牛を用意して通ったのもこのあたりとか。
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さて矢立まで戻ってきて、
本来谷だった道路をひょいと歩いて平家陣営に渡ると


塔の橋」の説明書きと赤旗がひらめいている。
「源平合戦の時、平軍の将「平行盛」この地に陣を布き源氏方と対峙した」とある。
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ここで道が分かれて3手に分かれていて、遊歩道(要は山道)「砂坂」と車道「源氏ケ峰」方面。この二つは猿が馬場に通じており、右手道は義仲本陣の方に降りて行けそうだ。


源氏ヶ峰」はこんな階段をあがって山道を多少あるくと


少しだけ広い?場所に出て、石碑がお出迎え。
碑によるとここに平氏の城(仮?)があったのを、源氏軍が敗走させた(とのこと)。



さて「砂坂」。茶屋からひきつづき火牛はここ砂坂を通って行ったらしい。でも猿ヶ馬場までずっとキツい上り坂が続くんだよなあ、ホントに牛ひっぱってったとしたら大変疲れそうだ……

そして合流地点には本日2つめのメインイベント「猿ヶ馬場」へ!
いざ!
途中、砂坂の砺波山山頂を越えて
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すぐに「猿ヶ馬場」が見えてくる。
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このあたり、多少ひらけた雰囲気。
でもココに額面通り7万騎の人馬が居たとしたら、かなりぎゅーぎゅーになりそうだ…
見渡していると なんか平家の公達が会議したところがある!<ホントか!?

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わあ、牛だ!カギューん!<意味不明
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猿ヶ馬場あたりはメインイベント会場( ´;ω;`)ブワッ だけあって、観光客にも楽しめるようイロイロ頑張ってます。
そして猿ヶ馬場から少し歩いたら、すぐ「地獄谷」。

 こ こ か … !

7万人もの大人数がパニックを起こした場合、この狭さで、しかも夜でまわりが見えないのは素人目にみても圧倒的不利な気がする。現代であっても同じ状況なら死人が出る事疑いなし。
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地獄谷、写真ではあまり判らないけどけっこう崖で、数人で転がり落ちる分には死なないだろうが、上からどんどん折り重なって人馬が落ちて来たら…と想像するだに恐ろしい。


そして地獄谷に落ちる手前みたいな場所にちょうど「源平供養塔」が…
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しばし黙祷…。
供養塔の裏には「為盛塚

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平為盛、いったん加賀に逃れて翌朝、手兵50騎で逆襲を試みるが樋口鏞光に首をはねられた、とある。
一夜にして平家の味方6万8千騎を失う大敗にも関わらず戻って逆襲をかけるとは、敵の武将なれどあっぱれ!木曽殿もこういう漢は大好きだったにちがいない。(妹尾のコトもあるし)

為盛塚の近くに「蟹谷次郎由緒之地」なる石碑があって、この蟹谷(かにだ)さん、地元民で地理に明るいため根井隊の案内をした(源平盛衰記)。ふもとに『蟹谷』という地名も残ってるし。
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ここからしばらくゆるい山道を歩いて「五社権現」の階段前までくるが、あまりの石段数と高さにあきれはてて素通り。そのまま「手向神社」へ。
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そろそろ疲れてきたので休憩もかねてゆっくりお参り〜



この手向神社の隣(というか奥)はもう「倶利伽藍不動尊」。
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立て看の説明によると、

手向神社は神仏分離以前は「長楽寺」で、これが源平の戦いの折に兵火にあって伽藍が焼失という残念な目にあっており、その後源頼朝の寄進によって再興されるも江戸時代にまたも焼失して今に至る、とのこと。 頼朝、さすが細かいケアのできる男…!


↑盛衰記で木曽殿が「倶利伽藍峠が燃えていると思ったら金剣宮だった」というありがたい御神宝。写真ではイマイチだけどでかいです。当時ホントにこんなんだったら目立つけど、どこから見たんだろうなあ…


この不動尊では毎月28日に「お不動さまの日」があって、この日だけ不動尊参詣バスがでるとのこと。


境内にはおみやげ&うどん・そば屋があったので、おうどんイタダく。
一休みしたあと、旧北陸道で「龍ヶ峰城跡」をとおりつつ、竹橋口を目指す。
このルートはちょうど樋口隊の搦手の進軍を逆走するかたち。
気がつけば、倶利伽羅峠が県境になっていていつのまにか石川県に入っている。 途中、車で通るにはヤバい狭さの道をとおりつつ思ったのは
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こんな山道、夜中に電気もないのに通りたくない…
ヒィー(((゚Д゚)))ガタガタ
樋口隊、サスガ!

それにしてもこの旧北陸道はヤヴァい。
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「歴史国道」と銘打ってるけど(普通、国道といったら舗装してあるのを想像しがち)とても車で通れそうにないポイントがいくつもあって、レンタカーに傷がついたらどうしてくれるのよ!と思いたくなる未舗装の道が続くんである。
しかも急な坂道多し。
じゃ、歩けばいいかっちゅーと…遠い!

地図に乗ってなさそうな間道もあって道に迷いそうな気配がただよってるし!(3日目はホントに迷いかけた) 蟹谷さんみたいなガイドがいないと、山歩きに不慣れなヒトはまず遭難するのかも。


そうこうしているうちに「竹橋口」へ。 ここは竹橋宿という北陸道の宿だったらしい。
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源平の郷・竹橋口」という、埴生口と対のような案内所があって
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こ、ここにもカギュ〜ン!
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ここで国道8号線に乗り、倶利伽藍トンネルを抜けて小矢部市(富山県)に戻る。 よかった、本当の国道は舗装してあるネ!<当たり前だ きっと石動で木曽軍本隊と別れた樋口隊はこの国道8号線を通っていったに違いない。 と、2日目は石動に戻って終了…


オマケの倶利伽藍駅。




3日目。


3日目のスケジュールは
 日埜宮社(今井進軍ルート)
  ↓
 砺波山登山(木曽本隊ルート)
  ↓
  ↓
(加賀国へ移動)
  ↓
 安宅海浜公園(安宅の関)
  ↓
 篠原古戦場(実盛塚)
  ↓
 首洗池


実は日埜宮神社には2日目に行くつもりがドサクサにまぎれて行くのを忘れていた;
ので、予定より1時間早く宿を出て向かう。
ああ進軍の順番がバラバラになってきた…oTL


今井隊6千騎が倶利伽藍攻略の際、最初に布陣した「日宮林」がここだと伝わっている。
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Nec_0985「日宮」の碑。

本来ここで安宅に向かう予定が「返す返すも木曽本隊の布陣地を辿れなくて残念だ…」 とゴネまくり、再度砺波山へゴー!
これが地獄の一丁目になろうとは…w


さて、木曽本隊ルートは未舗装の道っぽいので、軽く2日目の「矢立」までのぼり「塔の橋」の三叉路で2日目に行かなかった本陣に至る道に入る。 ここから「黒坂口」に入って
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この間1時間半くらい?

さんざん山道をいったりきたりしたあとにケモノ道みたいな道を見つけて「木曽本陣」にたどり着く。
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本陣ちかくからさっきまでいた矢立をのぞんだところ↓
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この間、実に2時間くらいのロス(T_T
スズメバチにも遭ったし∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
本陣を降りて北東方向に向かう山道をいくと黒坂口の入口に出る。 (木曽本隊の進軍ルートを逆走中)

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このまま木曽本隊ルートを埴生八幡方面に進むと途中「鳩の清水」の看板が。

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川向こうの山を上らないといけないらしいけども、なにしろこんなケモノ道なので涙をのんでやめる。

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やっとのことで埴生八幡ちかくまで戻り、そのまま小矢部インター方面に向かう途中「膿川」を渡る。

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膿川はその名の表すまま、平家軍のおびただしい死体から流れた膿が川を流れてきたのが由来。川のむこうに見えるのが砺波山。




…それから1時間、「安宅関跡」へ。
一応、最寄り駅は小松駅の模様。

ゲンペイストなら知らない者はいない、超有名な「勧進帳」の舞台。まあ義経と弁慶なんて木曽殿の敵だからどーでもいいんだけど。<失礼

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真ん中がべんべん、左が義経。さあ、殴りますよッ!



安宅の関と表裏一体になってる住吉神社にもべんべんが立ってる。

こちらでは「難関突破の御守」がイチオシ、そのCMに義経の話を神子さんが流暢にご説明してくださるのがスゴいのなんの…


それにしてもこのあたり、義仲町っていう地名! 木曽殿歓迎ムードがただよってる?隣は木曽町らしいし。
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意外と信州木曽より北陸の方が木曽殿にあたたかい気がしてきた。


次に、よくわかってない場所「実盛塚」を目指す。
正直、加賀市篠原町としかわかってなかったけど、なんとかたどりついた!


行かれる方への道しるべ↑
実盛塚は「加賀市篠原新町」北出瓦店
首洗池は「加賀市手塚町」源平食堂
を目印にするとヨイですよ

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例のごとく立て看板によると

この一帯が源平争乱の舞台「篠原古戦場」、だとあり、この場所で手塚光盛に討たれたらしい。 塚は立派な松の木ごと囲ってある。
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近くに実盛の首を洗ったという「首洗池」があるという看板の情報のもと、移動開始。
まったく道は解らないけどあたりを走り回る。
佐美町という町名があって、これは宮崎の佐美太郎の…?とか思ってると、今度は源平町という看板、そして源平橋を渡ってすぐにあったのは「源平食堂」。

匂う!

と思ったらすぐに「篠原古戦場跡」の石碑を発見!
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ここは公園になってて、内に入ると昔はもっとうっそうとしていたであろう池が。

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池のなかに「首洗池」の石碑が突如として立っていて、妙に怖い…
その池の脇には首実検のシーンを再現した銅像が。

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この木曽殿、今までの銅像でイチバンかっこいいかも〜ヽ(´▽`)/
控えてる樋口?と手塚も若い〜〜〜!
真ん中に置いてある兜は、木曽殿が奉納したと伝わる実盛の兜が再現してある。

この兜は多太神社奉納のものを模してある。

なんだか地元の方々の愛を感じる、加賀、いい国だv

この首洗池の回りは手塚町となっているし、裏の山は手塚山、コレは光盛を意識せずにはおれぬ!
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池のそばの東屋の内には、木曽殿のダイジェストと実盛のエピソードが絵で丁寧に説明してある。 イイ仕事だ!
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ずいぶん楽しんじゃったけども、ここは悲しい場所。 反省して合掌。

さて、ここで木曽軍はさらに南下して火打ケ城を過ぎて敦賀から湖西をとおって比叡山に「願書」を提出して入京…と、アゲアゲ行軍が続くのだが、ワタシのおっかけはここまで。

ホントは入京までおつきあいしたかったんだけども涙をのんで帰りました… 以上!


2009年6月


<上に戻る>




<今回の移動ルート>

JR/富山駅

JR/呉羽駅

呉羽山

丸山八幡社

白鳥城址

JR/戸出駅

弓の清水(しょうず)

駒繋ぎの松(戸出公園内)

正園野神明社

JR/高岡駅



JR/石動駅

埴生八幡宮

源平の郷・埴生口

砺波の関

巴塚・葵塚

矢立

塔の橋

源氏ケ峯

猿ケ馬場

倶利伽藍不動尊

源平の郷・竹橋口

日埜宮社

黒坂口

鳩の清水



JR/金沢駅

JR/小松駅

安宅関址

実盛塚

首洗池(篠原古戦場)




◆今回のヒント

◆上埜別館
料亭旅館とはいえ交渉次第で宿代リーズナブルにできます。おかみが親切!
お食事も美味。温泉はないんですが、矢立山(矢立の正反対側)ふもとにあるのがなんとも風情あります…。


◆倶利伽藍不動尊
猿が馬場の目印にするならココ。
縁日バスを利用すればラクチン…
  ↓
◆加越能鉄道(路線バス)
くりから不動寺線(28日のみ)


◆倶利伽藍源平の郷(埴生口)
埴生八幡宮前にある案内所的なもの。砺波山攻略の際には必ずよっておきたい場所。

◆道の駅/源平の郷(竹橋口)
埴生口と同じ名前だが別の場所。
津幡駅方面から攻める方はここに寄っておくと吉。倶利伽羅塾という宿泊施設もある。



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