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旅 レ ポ 。


木曽殿最期の地、粟津


1月21日は木曽殿の命日。(ホントは旧暦なんだろうガ)
それに因んで滋賀県の『義仲寺』では毎年第3日曜日に法要をされているというのをココで知ってしまったので、一年越しの悲願ということで行ってきました。




出発地はいつもの東京からJR東海の新幹線に乗って「京都」で下車。

←ごぞんじ京都タワーw

さて木曽殿は【河原合戦】で、六条西洞院(後白河院の無理矢理御所、てか木曽殿の京滞在中の館)をあいさつもできず引き返し(でも六条高倉に寄り道w)、
京都から追われるようにして六条から北上、三条あたりで賀茂川を渡り、粟田口から東へ。

多分地下鉄東西線ルートかな?「東山」から乗って「山科」下車とか…


…などとそんな悠長なコト言ってられナイ!何故なら日帰り強行軍だから!


と言いながらまずは京で腹ごしらえ!駅ビルにある京都拉麺小路の「宝屋」。ちょい少なめだったな…


で、東海道本線「膳所」駅で下車。



 


ここ、膳所は木曽殿の眠る「義仲寺」がある。
東海道線に乗り換えたあたりから、だんだん空が曇ってきた…今日はヤバいな。



駅前に小さな地図をみつけたけど、義仲寺の表記が見当たらないぞ!
しかし前日にgoogleマップで綿密なブリーフィングを行ってるから大丈夫!と自信タップリに歩いてたらいつのまにか通り過ぎて「湖岸道路」に出てしまった。てか、パルコがある!でか!
今まで観てきたところはそば屋がせいぜい一軒あるような場所だっただけに驚愕!!

というわけで引き返して細い道を右折。


義仲寺の門

義仲寺到着。
拝観料は200円。右手の受付でパンフレットをもらう。『義仲忌』のためだろうか、庵主さま?がすでに読経されているのが聞こえてくる。

入って左手奥に山吹の塚がひっそりたたずむ。

山吹の塚


なんでも元はJR大津駅前にあったものを駅の拡張工事に伴って昭和48年に移転されたとのこと。

そして少し離れて巴の塚、



巴の塚のすぐ奥に木曽殿の墓。


合掌…
立派な石塔!しかしいつ頃建てた物かはワカラズ。さらに奥に有名人・松尾芭蕉の墓が、まさに俳句通り背中合わせっぽくある(正確には並んでいる)。
芭蕉先生のお墓はこちら↓



朝日堂も開け放たれていて、御位牌も今日ばかりは拝見する事ができる


1時から『義仲忌』が始まるとのことだったが、関係者の方々が沢山いらっしゃってちょっと一般人には居づらい空気……


しかもワタシの雨センサーが「そろそろ降る」と言ってるので、サクっと失礼T_T
何故なら、ワタシは傘を持っていなかった!(しかもこのあと本降り)
さっそくパルコでカワイイ傘を購入。現地調達…oTL




さて、義仲寺から西は「打出浜」と今も地名が残る地。



このあたりが粟田口から下ってきた木曽殿と、勢多から戻ってきた今井が奇しくも出会う事ができた場所。1町(約109m)くらいで互いにそれと分かり、っていうんだから見晴らしよくなきゃだよね?

昔は見通しがよさそうな浜だったんだろうけど、今やパルコに警察署にNHKホールといった、でっかいビルが立ち並んであまり面影ナシ。


実際に浜まで出てみた。

琵琶湖畔。



この寒いのに鴨が…4騎…

ま、これよりもっと寒いのに、最期のいくさせんと木曽軍残党300騎で甲斐一条6000騎と戦うワケなので大変だ。

しかし多勢に無勢、最後には木曽殿、今井、巴、手塚親子、多胡(延慶本)が残り「5騎になるまで巴は討たれず」。ってことは、巴のアノ働きと離軍はこのあたりだったということ?





というわけで雨が弱いうちに『京阪膳所』駅から『粟津』駅へ。



ここはほとんど地名だけっぽいが、昔、教科書だったか参考書だったかに「粟津の松原」のモノクロ写真が載ってたのを思い出して、カーナーリ湖岸周辺を歩いてみた。が、それっぽいものはござらぬ!

地元の老人に訊くとか、粟津中学の先生にインタビューするとか、ちゃんと取材すればよかったのかもしれないケド、そんな気力なかった…


だってねー、粟津ったってこんな景色ばっかなんだもん!↓これじゃ、「さてこそ粟津(の松原)はなかりけり」だよ〜T_T









とか思いつつ、ここから南下して次の目的地を目指したのだが、ここでなんとなく道を間違えた…



……ら、国分寺の前を通った。
そしたら門前に巴御前供養塔を発見!


この塔の但書によると「粟津国分尼寺は後白河天皇が薬師如来像を下賜し建立させられたが、粟津原合戦で消失し 云々」とあり、さらに、この国分尼寺跡に「兼平寺」が建てられた後これも移転、昭和59年にこの供養塔を建てた、というコトらしい。





ブラブラ南に向かって歩いていると、どうやら次の目的地「今井兼平墓」にたどりついたようだ。



ババーンと!
墓の入り口は解りづらいのだが、その分看板が豪華っちゅーかデカい!
この石碑脇を通るんだけど、この通路で正解?と疑うほど狭い!モンクはおいといてまずお参り。



これもまた立派な墓。「兼平寺」の移転先ってココなんだろうか…?墓の手前には「兼平庵」なる建物が建ってるんだけども、命日ではないせいか静かに閉まっている。




ところで、この近辺(石山駅まわり)はウォーキングルートになっているらしく、こんなかんじの史跡の地図があちこちに見つかる。この地図のおかげで兼平の墓も見つけられた。
それにしてもやっぱり「粟津の松原」と銘打った名所は見つからないなあ。>地図にもないし


気持ちとしては、湖岸はほぼはガラス工場だのNECの工場だのが立ち並んでいるので、それらがなかった過去に遡れば、深田や松原なんかがあったんじゃないかなーと、悔し紛れに妄想。


↑石山駅からみたNECの工場。敷地が広すぎ!





さて、今井ファンの方とおいとました後、瀬田の唐橋を目指す。


瀬田の唐橋は名勝地なんだが雨なので望むべくも無い。とはいえ瀬田は今井が守った要衝の地なのでチェックしておきたかったのだ!



手前に看板があり、思ったとおりとゆーか「俵藤太のムカデ退治」の伝承の説明書きがあった。源平の頃より百年以上前の伝説なので、木曽殿も当然知ってたエピソードだったかもしんない。



唐橋。けっこうオシャレなアーチ型。



橋から琵琶湖側を眺める。けっこう川幅が広い。遠くに見えるのが国道1号の橋。もう雨が本降りで寒いのなんのって。



↓瀬田の唐橋を渡って西光寺前でみつけた石碑。



この但書がかなり心にヒット!
何故なら、新幹線に乗ってる間のヒマつぶしに網野善彦氏の「無縁・公界・楽」を読んでたんだけど、それと同じコトが書いてあるw
 #同じ場所の同じ事を説明してるんだから当たり前なんだけどネ

何が書いてあるかというと、平安時代、朝廷に魚介類を献上するための御厨がおかれていた云々といった内容。写真小さくて読めない;




瀬田の唐橋から国道1号線に回って、さらに湖岸までもう一度出てみる。



このあたりは京阪「粟津」駅のほうが近い、御殿浜。やっぱ教科書にあったような松原ってのはなかったなあ。と、足下をみたら何故かこんなモノが。



イイっす。もう御殿浜ゴールでいいッス!







そんなわけで石山駅まで戻ってきた。時間が遅くなってしまった〜T_T
そういやこの近くに(といっても2kmくらい先)、紫式部が源氏物語を書いたとかいう「石山寺」があるんだよね。


狭い範囲ながらも、木曽殿ファンにとってはいろいろ見どころ満載デシタ。



オマケの駅弁




2009年1月


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<今回の移動ルート>

JR京都駅

JR膳所駅

義仲寺

打出浜

京阪電鉄・粟津駅

国分寺

JR石山駅

今井兼平墓

瀬田の唐橋




◆今回のヒント

史跡 義仲寺
木曽義仲と俳聖・松尾芭蕉が眠る国指定史跡の寺。名もなき尼僧(巴御前といわれる)が建てたという伝承があります。



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