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旅 レ ポ 。


丸子:リローデッド!


…と、言ってる事はイミフですが、再アタックしてきました、長野県は丸子の地。

どうしても徒歩では廻りきれない場所をガッツリ行って来たんだけども、結論から言うと…ムリ!ムリムリムリムリムリ〜!レンタカー使っても日帰りではやっぱムリoTL


さて、トレン太くんで借りておいたレンタカーでJR上田駅を出発。
真っ先に向かったのはしなの鉄道「大屋駅」。ここから国道152号線を南下していく。

まず道路沿いに探すのは「長瀬」の地名。この地名を探していたら「五穀山延命寺地蔵尊参道」の看板を見つけたので左折。さらに「望月道碑」という古そうな石碑をみて左に入っていくと、延命寺の参道が見える。
このあたりは狭くて車を停めて写真を撮るわけにもいかず残念。
さらに道なりに上に上っていくと、延命寺の境内に入る。

延命寺



木曽殿の家の子(血縁関係がある家来)の館だったといわれるが、残念ながら正確には分かっておらず
信憑性に欠ける。三方が崖になっており城にするのに都合はよさそう。
実際には、ここからもう少し北へ上に上っていくと「古城」という地名がありそこが長瀬城だと言われているが(現在は畑が広がる)、タイトなスケジュールを組んでいるんで速攻退散。

国道に戻る道すがら見つけた長津瀬神社



このあたりの氏神さまとおもわれ。
木曽殿に直接のゆかりがあるわけではないけども、氏神様は史跡巡りには重要なランドマーク。市町村合併等で地名が変更されても神社名や地元に伝わるローカル地名に残っている率も高いので、こういうものは大切にしたい。


そのまま道なりに南下(国道152号は外れる)すると、左手(東)に丸子稲荷の鳥居が見える。

丸子稲荷(開戸城址)



丸子稲荷の祠脇に、開戸城のあらましが書かれた碑がある。


実際は稲荷のある土地一帯が館址だったと思われ、ここも西〜南が崖。北国街道からの道沿いに城が2つ…。


そのまま南東に移動して禅宗の寺、長福寺へ。



裏手に「木曽義仲の景勝地」の碑がある。


なにやらこれも関係ありそうな祠↓もあるんだけども、由緒書がすっかり読めなくなっているのでマッタクどんなゆかりがあるのかワカラナイ…(>_<)




この後、ホントは国道に戻って蓮乗寺址に行くはずが、ウッカリ忘れた!
腰越橋という橋がかかっており、その昔は木曽殿が武石峠からこの橋を渡って丸子に入っていたという渡河ポイントで、その橋の西側にあった蓮乗寺は木曽殿が開祖と言われている。


次のポイントは
安良居(あらい)神社



ここは八幡宮で、上丸子地区の氏神さま。由緒によれば白鳥河原へ趣く際に笠懸神事を行い見事命中させてその矢をこの神社へ奉納した、という。
裏山は依田城、丸子公園内の神社左手から登山道がでているが、この城は戦国の頃に整備されたとか。


ここから三角に向かう。
「三角」は地名で、その名の通り山と川に囲まれた三角の土地。この中心ちかくにあるのが愛宕神社、別名「小太郎宮」。



清水冠者が鎌倉に人質として赴く際、海野小太郎幸氏が笠懸を命じられてこの地で行い、見事にこれを命中させたという。


次のポイントにむかう途中、「依田庄碑」を通る。



依田庄は前斎院御領(ゴッシ〜の皇女・式子内親王の荘園)だった。この石碑自体にそんな事まで書いてあるわけではないけども。
ちなみにこの石碑は「県営団場事業依田地区事業概要」の記念碑だと裏に書いてあった。総事業費九
億百万円也。


さて、県道169号を東に向かうと飯沼神社へ。



ここは飯沼の氏神さまだったという。平家物語ではあまりなじみのない飯沼氏だがこれは依田氏族で、義仲敗死の後にこの地の「飯沼」を名乗ったという。


この神社と県道を挟んで反対側の田んぼあたりが中城館址、別名飯沼館址



案内板によると、依田川西岸の段丘上にあるこの館跡は、飯沼氏の居館跡であったと言われている。
あたりに多少の堀跡が残るらしい。
近くには「御所」と呼ばれる祠があり、ここが館の中心だったという。



ここからさらに北東、北丸子中学校を通り過ぎたところに竹ノ花五輪塔(鎌倉中期のものといわれる)があり、ここにも掘割などが残っている。竹の花は館(たち)の端(はな)という意味の地名で、古くは館があったことを伺わせる。




そんなわけでそろそろお昼になったので、今回のメインイヴェント『御岳堂』へ。

前回雪で登れなかった「依田城址」に登るんだ!
と、思ってたら、前日に雪がパラついてたせいで山にはまたしても雪がうっすら積もっている…!(まあ12月に行ってるから当たり前といえばそうなんだけど)

山はあとまわしにして、上組から北、砂原峠に伸びる道(鎌倉街道といわれている)をいくと「義仲挙兵の地」看板が右手に見える。



この看板の脇に木曽殿関連史跡の案内板もあるので、これを見ながら丸子をまわるのがタダシイんじゃないかと。
この看板から100mくらいに正海清水という清水がある。



こんな看板が出ているので分かりやすい。



依田氏が飲料水として使っていたといい、清水冠者の名はここからきているともいわれる。
単にわき水かと思うと、フタがしてあり鍵がかかっているのでちょっとビックリするが、これは明治に正海清水を利用して簡易水道を敷設した名残で、涸れることなく800年以上も涌き続けていたのがすごい。


この正海清水の道をはさんで反対側に、高築地(たかつじ)館址。依田氏が元々の館を木曽殿に譲った後、ここに移ったという。まったくの平地ではなく、段構えになっていたっぽい。


今ではすっかり畑。背後には義仲館址、そして依田城のある山。昔は連絡道路が作ってあったに違いない…




もう少し北上すると小鍋立(こなべだち)の湯跡黒地蔵が左手に見える。



木曽殿との関連はヨクワカラナイが、ここには昔温泉が涌いていたといい、皮膚病や火傷に効いたとか。
木曽殿が居た頃にも鉱泉が涌いていたら、利用したかもしれない。



黒地蔵の由緒はヨクワカラナイが、小鍋立の湯でこのあたりがにぎわった頃「病や火傷が治りますように」との祈りを込めて作られた…といったところかなあ…




さて、ここで依田神社まで引き返して(依田神社は以前おまいりしているので、今回割愛…)、宗龍寺に向かう。

境内までは車道と歩道が別にあって、車道の方に「扇池」という池がある。



寺まではすぐだが、その左から伸びている山道が長い。



車は境内の下にある駐車場に失礼して置かせてもらい、山道は徒歩で行く。


途中にあった源の井戸
しばらくは轍の跡もあったけどもだんだん山道っぽくなって、やれやれずいぶん登ったなあ〜と思った頃にやっと「依田城跡登山口」が。



こ、 コ コ カ ラ 登 山 カ ヨ 〜!

と、最近めっきり山城に馴れてきたのに叫んでしまったりw



すんごい山道を登る事30分くらいで山頂へ。



依田庄が一望でき、この日は浅間山も見えて、ホントに眺めがヨイ。
しかし、ここで一番テンションがアガルのは依田川とそれによって出来た隘路!

大軍に攻められた場合に南は理想の隘路戦ができるし、北国街道や伝・鎌倉街道には信濃の有力武士の館が軍備を整えておおり、要所には出城も構えてカナリの用心をしてたと言えなくもない?
探せば堀切跡などもあるらしいけども、燃え尽きた…。


といったところで山を降りて、御岳神社へ。
御岳神社の鳥居の左手あたりが依田氏から譲られて木曽殿が住んだという義仲館址



今は草木が生い茂るままになり、3段構えになっていた敷地の1段目が分かる程度。建物があった場所とか分かるともう少し萌えるんだけどなー…。




そして、木曽殿も先勝祈願したという御岳神社をお参り。




本日は回れるだけまわりたかったので、以前訪れた巴のお歯黒池岩谷堂はスルーして、上田に戻りがてら海野氏の館があるしなの鉄道田中駅の北あたりの「和(かのう)」に向かう。


途中、和にある海野氏の菩提寺・瑞泉山興善寺に寄る。



ここは戦国時代に活躍した武田家家臣・
海野幸善が開基と伝わる、城かと思うような立派な寺。
元は地名にもなっている海善寺のあった土地に建っていて、境内にはその遺物の「廃海善寺石塔基礎(東御市文化財)」が置いてある。
また、寺の左手には海野幸善の墓と海野氏祖先・善淵王が好んで腰掛けたといういわれのある「御座石」があって、海野ファンには萌える(^ ^)b。






興善寺を過ぎてさらに北東にいくと、滋野神社



海野氏は滋野氏の一族でこの一帯を根拠地としており、この滋野神社も海野氏に勧進された八幡宮といい、木曽殿が戦捷祈願として木瓜の木を植えたとも伝わる。
海野宿を見下ろせそうな高台に建ってて、神社を南に降りていくとかつては海野館があった。


そんなわけで南下して海野館址にも行ってみるが、現在は遺構は全く残っていない。館があったと言われる場所は今では国道沿いの駐車場になっている。



本海野郵便局の西?あたり一帯がそうだと言われているが、今はなんとなくそうかもなー?的な段差が残っているにすぎない。この段差も国道18号を作る時に盛ったのかもしれないんだけど、さすがにそこまでは面倒で調べなかった;


このあたりで夕方になってきたので、あと少し、信濃国分寺址にも寄ってみる。





木曽殿がここを通った頃には、平将門の乱のとばっちりで既に国分寺は灰になっており、素晴らしかった建造物を見る事はなかった。

でもいいの!
史跡巡りのざっくりしたランドマークとして、国分寺は重要なんである。たいていは国分寺近くに国府があり、その周りに役宅があるワケなので、用事はなくとも国分寺は回っておいてソンはない、と思う。
ちなみに信濃国府は国分寺焼失後、松本に移転したという…たしか。


信濃国分寺址の北に、現在の国分寺が再建されている。


この後、予習のために「小牧」という場所にある木曽殿の出城でもあった小牧城址の場所を確かめにいったりしたけども、暗くて写真は撮れず。
さすが12月だけあって18時にはもう真っ暗。
上田駅に戻って、駅前の「麺将武士(もののふ)」でラーメン。
今回は信州味噌スープの「道三」。

麺将武士のメニューを制覇しつつあるなあ…w


いつもおつきあいあざス!m(_ _)m

2011年12月


<上に戻る>



<今回の移動ルート>

JR上田駅

延命寺(長瀬館址)

長津瀬神社

丸子稲荷(開戸城址)

長福寺

安良居神社

愛宕神社(小太郎宮)

飯沼神社

飯沼館址

竹ノ花五輪塔

正海清水

高築地館址

小鍋立湯の址

宗龍寺(依田城址)

義仲館址

御岳神社

興善寺

滋野神社

海野館址(?)

信濃国分寺址




◆今回のヒント

●駅レンタカー東日本/上田営業所
●藤森タクシー




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