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旅 レ ポ 。


麻績ってオミって読むんだぜぇ



…と、ワイルドなドヤ顔でいうのも意味不明だけども、年内にどーしても行きたくなって、12月24日のイヴの日に木曽殿とランデブーwしてきた!

麻績は木曽殿が「鼓判官」のあたりで転戦を回顧する時に「小見会田より始めて…」というセリフに出てくる、緒戦の地。

なにより、ここは日帰りハイキングで廻れるのが魅力的。

毎度ながらJR長野新幹線で長野駅に行き、そこからJR篠ノ井線で南下、途中、今井兼平からその名を取ったともいう今井駅を通り、横田河原合戦場を右に見ながら、JR聖高原駅を目指す。

あ、ちなみに乗り鉄にはたまらない姨捨駅もこのJR篠ノ井線。善光寺平(横田河原合戦古戦場も見える!)が見下ろせる絶景+棚田に加えて、スイッチバック方式で駅に入るのがク〜ル!
篠ノ井駅→塩尻(松本)側がオススメ。運がよければ待ち時間にホームに出てゆっくり観賞できる。



それはさておきJR聖高原駅。フツーに「麻績駅」にすればいーのに?



まず国道403号線に出る。
洗馬宿の追分(わかされ)から善光寺道が麻績方面に延びているのは知ってたけども、どれがそれだか分からないので「一口坂は国道沿いにあるよ」という情報を元に歩く。

と、北に麻績神社ハッケン。


多分産土神が祀ってある郷社と思われるが、その鳥居はさらに北を向いている=善光寺道は国道よりもっと北にあるんだなあ…と漠然と考える。


消防署を通り過ぎ、さらに歩くと一口坂の案内板を右手にハッケン。



実はこの時は道路の工事中で「工事中」看板で隠れていたんだけども、もう数歩ほど歩いた所に天神様


と村の墓所があり、墓碑代わりに「一口坂」の碑があった

ので見つけられた…



今ではすっかり笹は見当たらないが、ここから坂を登っていくと、この狭い道が善光寺道


ここを東に戻る形で歩いていくと、途中には道祖神があったり、善光寺道道標址の碑があったりする。




少し歩くと駒ガ石ハッケン。



「馬の行軍の足跡がつくわけナイじゃん」と思っていたけども、見れば納得。





この石にナゼこの足跡みたいな何かがついているかはおいといて。
木曽殿のおっかけとしては、要はこの道が洗馬→横田河原に続いている、というコトが大切なんである。
これまで村人が見た事もないような人馬の大行列がこの狭い道を通っていった事を妄想すると…イイね!


道なりに歩いていくと道祖神碑があって、


さらに行きに消防署近くで見かけた古墳が見えてくる。
塚田古墳。

それからもうひとつ古墳が見えてきたら、
叶里塚古墳。

これも先ほどお参りした麻績神社の鳥居が見える。

さらに道なりにテクテク歩くとガッタリが見えてくる。



木曽殿の馬がここで疲労のためガッタリと膝を折ったという伝承があってオモシロいけども、そんなワケない。

ワタシ的には、精米用のデカいシシおどしみたいなヤツを「ガッタリ」といい、それが昔にはあったんじゃないかナ〜と思ってたんだけども、動かせるような小川も見つからず、残念。

ガッタリの近くには姨捨山遥拝所の石碑が立つ。



正三位家隆卿の句の入った遥拝所碑。

更級や 姨捨山の高嶺より 嵐をわけて いずる月影

藤原家隆は藤原俊成に師事し、定家と並び称される歌詠み。しかし木曽殿ファンには「猫間中納言の息子」と言った方が分かりやすいかも?


道は麻績宿に入り、宿場町の碑と案内板をみつける。



当然のことながら芭蕉先輩はここ麻績を訪れており、どっかに句碑があるそうだw
毎度サスガです、芭蕉先輩!

道祖神碑などを見つつ、坂になった道を北に上がっていくと、黒門


六地蔵が見えてきて、


法善寺にたどり着く。



境内にある案内板によると、本堂左手にある四阿屋山大権現は木曽殿が開基とか。元は四阿屋(あづまや)山の山頂にあったのを境内に移したとのこと。



ここでひといき入れて、城山方面に向かうため法善寺さんの西の道を登っていくが…すっげ急な坂道!!
しかも驚くべき事に、この坂の上には北山をはじめ集落がいくつかあって、民家がフツーに建ってる…!


グダグダ坂道を登り続けると観光案内板をハッケン。
…ゴメン、えんでかづって何? (゚Д゚)


これによれば山吹堂が近いようだ。
案内板からさらに歩くと道しるべがあり、それに沿って左手測道に入って上ると山吹堂ハッケン。



言い伝えによれば、木曽殿を追ってきた山吹姫がここで亡くなり、従者と村人によって遺髪と守刀を安置して丁重に弔われたという。


右に池を見ながら歩くとその先に「麻績城址登山道」を見つける。



右手の山は「城山」といい、その名の通り城があったんだが、残念ながら(と言いながらもニヤリ)これは戦国時代に作られた麻績氏の城とのことで、ホント残念だけどもスルー。(登らずに済んでヨカッタ…)

山の神さまにもごあいさつ。



さらにずっと続く坂道を上って、先ほどの案内板にあったミズバショウ群生地の道しるべを見つけたんだけども、その手前にあるはずの小川と山道が見つからない。

このあたりを不審者っぽくウロついていると、犬の散歩をしていた村のヒト(?)を見つけたので、すかさず
「このあたりに木曽殿城址というものがあるのですがご存知ですか?」と聞いてみる。
「説明の案内板ならあるよ」しかし近所の住人ではないので実際の城址に行ける山道の詳細はしらない、とのコト。残念。
ここにも古墳らしきものがあるが、その北方向には「私有地、立入禁止」の札がかかっている。多分ワタシのようなヨシナカスキーが無茶をしたり、山を荒らす不逞の輩がいると思われ。

しょうがないので木曽殿城址の案内板だけ写真をとって退散。


山並みはこんなカンジの眺め。手前にはちょっと広めの土地があるので、馬を飼っておくのによさそうなんだけど。(←テキトー)
どうやら本気で登山するには「坊平」方面から北にいくしかなさそうだ。




三叉路に出る。



ここを右に曲がるとすぐ大山積社の小さな石の祠がある。



これは木曽殿に勧進するよう命じられ、村人が建てたという。現在の石の祠は明治に作られたもので、それ以前は木造のちいさな祠だったという。
ちなみにオオヤマツミ神は山の神さま。

さて、ここで下山するのに同じ道を引き返すのもなんだなーと思って、このまま進んで山の裏を下るルートにする。

途中、佳好砥の滝入口を見つけたので、



せっかくだから、とケモノの足跡しかない小道を通って滝観光。

これは名勝!

秋に来たら絶対スバラシイと思う。この日は凍っていて、これはコレで綺麗だったのだけど写真ではイマイチ伝わらないカンジなんである。


あとはひたすら下りの坂道を降りて下りておりまくる。

と、やっとふもとの集落が見えてくる。ここでまた旧善光寺道の道しるべを見つけるが、



これは横断して田んぼ道をアミダくじみたいに伝って南へ。
ちなみに善光寺道の道しるべをたどって北にいくと、山越えの難所「猿ヶ馬場」。モチロン芭蕉先輩は越えて句まで読んでいる。サスガです先輩!


本日ラストは麻績神明宮
麻績御厨は伊勢神宮の荘園、この神明宮はその守り神として祀られ、10〜11世紀には創立されていたといわれる。祭神はもちろん天照大神。



大きなお社で、建造物も多い。
と、見回していたら、多分正月の準備に来ていた方に「何しにきたの?」と聞かれ「観光です!」と答える。
思えばクリスマスイヴだし、胡乱な目で見られている気もしたけどもこれは好都合と思い、神明宮のハナシなど聞かせていただく。
境内の社殿は古い物がほとんどで国重要文化財に指定されているが、残念ながら社務所だけは老朽にたえず新築してしまったとか。

拝殿。


珍しい仮殿。


あとはひたすら寒さをこらえて駅まで歩く。


ここまでおつきあいあざス!m(_ _)m



…と思ったけども、この時点で15時。
もしかして、稲荷山宿に行けるかも!?と思い直してたまたま間に合った電車に飛び乗り(1時間に1本くらいしかないので、逃すと大変)稲荷山駅へ。
私は運がいい!



善光寺道を北上して猿ヶ馬場峠を越えた先にあるのが稲荷山宿、という流れも大切だけども、ここでの目標は康楽寺



こちらは覚明先生(西仏)が開祖というお寺。



境内の縁起によると、覚明先生は海野小太郎信濃守幸親の子として生まれ、南都に学び、木曽殿の祐筆となり云々…とある。また、木曽殿と別れて法然上人に帰依。この寺は法然上人往生の際に親鸞上人が西仏生誕地であるということでここに一庵を建立したという。


ずいぶんと立派なんである…

西仏さんの像。

定説としては覚明先生は勧学院に入っていることから藤原氏の下級の一族とされてるけども、本当のことを知ってる人はどこにもいないわけで。

なんとか写真に写る程度には明るくてよかった…=3
以前、ここはスルーしてしまったのが心残りだっ(ry



今度こそ、おつきあいあざス!m(_ _)m

2011年12月


<上に戻る>



<今回の移動ルート>

JR聖高原駅

麻績神社

一口坂(善光寺道)

駒ガ石

ガッタリ

姨捨山遥拝所

麻績宿

法善寺(四阿屋山大権現)

山吹堂

木曽殿城址

大山積社

佳好砥の滝

麻績神明宮

JR聖高原駅



JR稲荷山駅

康楽寺




◆今回のヒント

●アルピコタクシー



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