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旅 レ ポ 。


原野駒王さがし


遅めの夏休み第2弾。
久しぶりに古戦場じゃない所に行こう!と、原点に戻って木曽殿が小さい頃に住んでいた「宮ノ越-原野-木曽福島」に数年ぶりにいってみた。

初めて
宮ノ越にきた時は『史跡を写真に撮る』という行為を思いつかなかったので写真がなかったり、知らなかった場所もあるので、復習も兼ねてしっかり中山道を歩く事に。


それにしても、久しぶりに思い知ったのは宮ノ越駅に停まる電車の本数の少なさよ!
東京出発で9時くらいに到着したいと思ったら4時
の始発で鈍行乗り継ぎしかない!

そんなワケで4時間ちょっとの電車旅を経て宮ノ越到着。
9月末だというのに寒い!こんなの冬じゃん〜p(>_<)q!


宮ノ越といえばまず「徳音寺」。

巴の像がリニューされてる!しかも福光の「巴の松」がここにも移植されてる!


木曽殿木像がチラ見えするお堂↑と木曽殿はじめ中原兄弟のお墓をお参りした後、しっかり郷土館も拝観。

境内の「つらぬき石」や「今井石」なんかもチェック。
 
巴のつらぬき石(左)は巴の愛馬の蹄が岩を貫いたとか。今井石(右)は佐久の今井城の石を持って来たもの。


今回、義仲館は時間温存のためスルー。後ろ髪ひかれるけど義仲橋脇の巴の桜見ながら旧中山道へ。



旧道を歩いて「本陣跡」前を通り、

左右に立つ家に屋号だけ残っているのを楽しみつつ、



しばらくすると「お玉の森」。

ここは樋口さんの館があったと言われてて、このあたりから平安時代のものという遺構などが出ている。

案内板によると「義仲の七本欅(ケヤキ)」の一本がここに立っていたとあり、切り株が残っている。ちなみに「義仲の七本欅」とは日義村に明治の頃まであった7本の欅の巨木のことで、旗揚八幡に1本現存しているが落雷で半分の高さになっている。あとの5本がどこにあるのか、ちょっと気になる。

お玉の森は日義中学校がランドマーク、庭球コートと体育館がある一角あたりを目指すと見つかる。


またしても原野駅方面に旧道をてくてく歩くと『林昌寺←』の道しるべがあるのでそこで左折、国道19号を渡る。



林昌寺」に到着。ここは中原兼遠パパが出家して建てたといわれる、兼遠の菩提寺。


物語では平家に(義仲を引き渡すというウソの)起請文を書いて後はフェードアウトなんだけど、よい晩年を過ごしたことを願いながら中原兼遠パパのお墓に合掌。
境内の墓地の高台にあり、道しるべも立ってるのでわかり易い。



原野駅の線路を越える端を渡るとすぐ「原野八幡」がある。


これは木曽殿とは直接関係はないんだけども、案内板によれば、木曽殿の子孫という木曽家の旧臣らが氏神として慶長3年に建立した棟札が残っている。明治の絵図によれば鳥居前に枡形があり(現在はパなく線路で削られてる)八幡宮が建立される以前は有力者の居館があった事が伺える、とか。有力者の館か……む、妄想の余地あるかも。



原野八幡の西には「明星岩」という大岩が山中にある。
中山道からよく見える三角形の岩なんだけど、コレはもう駒タンと中原兄弟も登ってるよね絶対!
てなワケで今回は山を登ることに。

 #山に登らなければ「旗揚八幡宮」「南宮神社」とか
 #「巴淵」を廻ってもよかったんだけど
 #体力ないんで…(^_^;;

体力ないんで登る事40分、先日の台風で土砂や木の枝が散乱してるので除けたり払ったりしながら明星岩にたどりつく。
 
駒石神社や三山摩利支天の石碑など、駒ヶ岳神社が祀られている。


ところで、駒ヶ岳周辺では「覚明行人」という名前がよく聞かれるけども、これは寛政年間に駒ヶ岳を開山した修験者の名前で、大夫房覚明先生とは関係ないのが残念。



このあたりでお昼近くになったので国道19号沿いにある「道の駅 日義木曽駒高原」で昼食。「旗揚そば源氏」と悩んだけども観光の手がかりが欲しかったので道の駅へ。


道の駅横にある「木曽駒冷湧水」(と、中山道東西中間之地)、これがホントに美味しい水で、昔の旅人のごとくタンブラーに汲んで出発。


 

七笑バス停を越えて、「栗本」信号で右折して旧中山道まで戻り、少し歩けば「中原兼遠屋敷跡400m」の看板があるのでここを左折、中央本線の線路を越えたところにこの看板。


『信濃国権守の館で、木曽義仲の住居地、また巴の生誕地でもある』
と、この看板を背にした田んぼ一帯が館址とされる。(看板の向こうは線路)


ここで安心しないで、もう少ししつこく道なりに民家の方に歩いていくと道標があり、200mくらいでもうひとつの「中原兼遠屋敷跡」案内板と「義仲元服の松」がある。


先ほどの道標に戻って逆にある「兼遠塚の碑」へ。

本当に水田のなかにミニチュアみたいな竹林があって、その中に石碑がある。



旧道に戻って次は「手習天神」へ。
案内板には中原兼遠が木曽殿の学問の神として勧進したとあり、また、古くは山下天神と言われ、木曽殿が匿われた「木曽の山下」はこのあたりだったという。

なにげに小さな社殿の裏に巨木あり。


ここで写真を撮っていたら、近所の女子中学生が数人自転車で通りかかり、最初の一人があいさつをしてくれた。
都会ではなかなかない事なので気持ちのいいことだと思ってあいさつをして見送っていたら、遅れてきた女子中学生が「聞いてよ〜、走ってたら頭に胡桃おっこってきた〜!イタイ〜!」と、これまた都会ではありえない事を言いながら通り過ぎていった。

いいなあ木曽少女!


さて、ここから木曽福島までの道のりが遠い。
本日3度目の中央線の線路を越え、上田小学校の前を通り過ぎて
木曽川にかかる荒神橋を渡った先に「荒神社」。

案内板によれば、木曽殿元服の際、播磨国新十郎が瀧倉三宝大荒神を背負って来てここに祀ったという。

…播磨の新十郎って誰?

結局分からずじまいなんだけど、テキトーに考えて『関西の方から来た新宮十郎』が播磨の新十郎になったとか?
滝倉の荒神さまというのも謎で、奈良の初瀬の観音様の奥にある「瀧蔵権現」さんか、「笠山三宝荒神」さんのようではあるけどもハッキリしない。



しばらく木曽川沿いに歩き、黒川ダムを過ぎたありでそろそろ歩いている事を後悔。巡回バス「木曽っ子号」でも通りかからないかなーと思うけども、本数が少ないのでまったく行き会わない…(T_T)

グダグダになりながら「興禅寺」に到着。

ここは前回も来たけども、巴が木曽殿の遺髪を持って来たという謂れがあるお墓がある。


疲れてると興禅寺から木曽福島駅までが遠く感じる…のだが、ここは意地でも観光しようと思って「上ノ段」(うえのだ、と読む)まで上る。今回の中山道歩きのなかで最も観光地らしい場所といっても過言ではない。



木曽福島駅に到着〜


足早にいけばこの先の上松も行く事は可能だけど、谷は陽が落ちるのも早い。そんなワケで上松にはまたそのうちチャレンジ。


今回のオマケは塩尻駅で買った駅弁「とりめし」。
帰りの特急あずさで爆食。シンプルで美味♪

おつきあいあざっス!m(_ _)m

2011年09月





<今回の移動ルート>

JR宮ノ越駅

徳音寺

お玉の森

林昌寺

原野八幡

明星岩

中原館址/義仲元服松

中原兼遠碑

手習天神

荒神社

興禅寺

JR木曽福島駅




◆今回のヒント

木曽町生活交通システム「木曽っ子号」バス



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