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旅 レ ポ 。


善光寺参りから川中島合戦場へ。

これだけだと「戦国歴女に鞍替え?」と思われそうですが、そんな訳はナイです。
善光寺といえば縁起は白雉の頃に遡る古刹。平家物語では巻二【善光寺炎上】でいきなり燃えちゃってますが、鎌倉殿(頼朝)も逗留したり、北陸に行く北国街道ルート上だったりととても重要なポイント。


この日は朝8時くらいに家を出て長野新幹線に乗り、「善光寺の門前蕎麦を食べる」という簡単なお仕事を計画。
とはいえ朝食はしっかり駅弁「栗おこわ弁当」ゲット。



長野駅に着いて、まずはバスで善光寺へ。


善光寺は治承3年に焼失したのを鎌倉殿が比企氏に命じて再興させた。そして鎌倉殿が建久8年に参詣に来た折、馬の蹄が石橋の穴にハマったのでそこで下馬し歩いて入った、という「駒返り橋」。


【北国下向】で木曽殿と対峙した時には、鎌倉殿はこの善光寺に入った(と、いっても伽藍等は焼失したままで宿坊くらいしかなかったと思われ)。山門をくぐる。



ところで、平家物語では鎌倉軍が善光寺に入った時、木曽殿は「依田城を出て越後の境・熊坂山に陣を取る」とあるけども、いつも不自然な気がするんだよなー。。。
普通に考えると、鎌倉軍は国道18号を通って高崎から小諸〜上田〜長野、と来るわけなんで、なんで木曽殿はわざわざ丸子(上田のちょっと南)から出て熊坂山(野尻湖の北・長範山)まで引いて陣を取るのかなあ?…と。
個人的には、木曽殿は丸子にいるフリして既に主要メンバーごと越前国府に居たんじゃないのー?と思ってるけども。


そんなことはさておき、さすが善光寺!でかい!

こちらは境内にある宝篋印塔。これは佐藤忠信・嗣信兄弟供養塔、と伝わるもの。
若くして戦死した二人の息子を母・梅唇尼が善光寺に参詣の折に建立したという。



さて、善光寺をお参りしたらその東門外にある「寛慶寺」もお参り。こちらは善光寺の別当・寛覚(平家物語では範覚)の栗田寺が前身のお寺。元は栗田村(長野駅の南東あたり)にあったのを後に移された。




この日のメインイベント、門前蕎麦をいただく。
店構えで選んだ「大丸」さんのざるそば。海苔の風味が効いてウマい!


この時点でまだ昼の1時だったのでこのまま東京に帰るのが惜しくなり、長野駅に戻ると、駅前のバス乗場から「古戦場経由松代行き」バスに乗ってみる。


だいたい10分くらいで犀川渡河。このあたりが市原の戦いがあったかも地点で、さらに10分くらいで「川中島古戦場」バス停。

…なんだけど。



ウトウトしてて、次に目が覚めたのは終点「松代高校」。

え、
ええ?
えええェーーー!ココ、どこー!?

朝から駅弁、昼に蕎麦をたらふく食べたせいか、はたまたうららかな暖かさのせいなのか、どうやらガン寝してしまったらしい。

ケータイでgoogleMap検索してみたら「松代駅」というのが歩いて15分くらいのところにあるらしいので、電車があるんなら長野駅に戻るのなんて楽勝♪と歩きはじめる。と、やたら佐久間象山関連の史跡を見つける。


どうやら象山先生は吉田松陰先生のアレのせいで松代に蟄居を…あ、松代藩ってココかー!

へえ〜真田幸村でおなじみ真田邸跡とかあるわー


…などと、のんびり歩いて松代駅にたどりつく。


と、
何故か駅舎に「構内タクシーのりば」とか「バス待合所」の看板があり、ホームに抜けると線路にロープが引かれ通行できないようになっている。まさかこのロープを飛び越えて電車が入って来る訳もなく、30秒ほど考えた結果、

「廃 線 か ー !!!」

やっぺどうやって長野駅に戻ろう?
あせって駅舎の周りを見ると左手にバス停の看板が2つあって、時刻表を見ると16時現在全て終了。

さらにあたりをぐるりと見回すと道路の左右にある2つのバス停看板が目に入り、しかも道を挟んだ反対側のバス停には高校生らしきヒトが数人。
それ!
どこに行くんですか!と、聞こうと思ったところに丁度バスがやってきて「屋代駅行き」と書いてあったので、渡りに船とこのバスに乗る。

心に余裕があれば、駅の北側には松代城があったのでバスを一本遅らせて行ってみたかったけども、秋の陽はつるべおとし、だいぶ暗くなってきて、しかもケータイの電池残量が赤くなってて気分的にもムリ。


バスが出発してやれやれ、と思ったら「〜つぎの停車駅は松代高校〜」というアナウンス。
えええ?
それ屋代駅と反対方向だし!てか今ワタシそっちから歩いてきたしー!


などとパニクっているうちに、バスは妻女山のふもとをすぎてちゃんと「屋代駅」にたどりつく。
妻女山の南は完全に嶮しい山地なので、横田河原合戦での井上隊が迂回したとすると随分大変だったと思う。そしていつも妻女山はうまく写真に撮れない。。。



「屋代駅」からしなの鉄道に乗ったところで、以前twitterのフォロワーさんに教えていただいた篠ノ井にある郷土料理のかわったうどんを出すというお店に行こうと思い立ち、「篠ノ井駅」で下車。
駅から徒歩3分くらいにある「石川亭」さんへ。



これがその「おしぼりうどん
何も聞かないで頼んだので、蕎麦猪口いっぱいに入っているのが何かも分からず、とりあえずなめてみると、チョー辛い!ものすごく辛い大根おろしがなんの味付けもなくただナミナミと入っている!

あとは薬味のような何かが小皿に乗っており…

こ、これは何かの罰ゲーム?

えーと、これはどうやって食すれば?

1分間考えたのち、隣の席のご家族に聞いてみる。
「あのう、これってどう食べるんですか?」
「どうやってって言ってもねー…その大根おろしの中に味噌を溶かして、うどんをつけて食べるのよー」

マジですか!この辛い大根おろしは何かで中和するものではないと!

内心半泣きで食べ始めると、意外と味噌が甘いので中和されてる気がしてくる。釜揚げの湯分もだんだん大根おろしを薄めてくれて、中盤以降は美味だと思えるくらいに。「おしぼり」とは大根をしぼったというネーミングだったかとハタと気づく。
17時過ぎに入ったんだけども、どんどん混みだして並ぶ人も出る人気店です。でも次に行ったら普通のカツ定食を頼もうとぞ思う。。。



うどんの後、なにか甘い物を!思い、篠ノ井といえば銘菓の「マツキ」というわけですぐ近くのお菓子屋さんに入る。
久しぶりに訪れたらケースに見慣れぬ物が並んでるのを発見。


その名も「土鍋モンブラン

見た瞬間、口が勝手に「あのうこれ写真撮ってもイイデスカ」と口走っていた。
お店の方に快く「いいですよー、ケースから出しましょうか?」と聞かれ、
それはさすがに辞退してガラスケース越しに撮らせていただく。
甘党だったら2人くらいで食べられそうだけども小さいラウンドケーキくらいありそう。

モンブランは大好きだけども、ここは普通のモンブランを購入。
マツキさんはいつ行っても「川中島煎餅」はじめいろんな試食を勧めてくださるので、食後のデザート的にも大満足。


すっかりあたりは暗くなっており、時計を見ると18時過ぎ。
あとは長野駅か上田駅に行って新幹線に乗れば余裕で東京に帰れるのだが、このあたりで魂に火がついた!

篠ノ井のセブンイレブンでケータイの充電機を購入し、ぬかりなく充電したケータイでホテルの検索をしまくり、長野駅周辺のホテルに当日予約を入れる。ちなみに篠ノ井にもビジネスホテルがあるんだけどもこの日は満室。




というわけで…2日目。


ホテルで優雅に朝食バイキングを済まして長野駅に行くと、再度「古戦場経由松代行き」バスに乗る。
なつかしいわねーこの景色。(当たり前だ昨日もこのバス乗ったよ)

今度こそ「川中島古戦場」バス停で下車し、
八幡原公園内にある、八幡神社をお参り。




境内には有名な信玄と謙信邂逅の像。


横田河原合戦場からはずいぶん東だけども、やっぱり古戦場は気分がアガる!
おみやげ屋さんも開いていたので、お昼用におやきを購入。
この先、店やコンビニがそんなにあると思うな長野県。。。


八幡原を堪能したので、西に向かって徒歩で「岡神明神社」へ。


このあたりは「戸部御厨」(伊勢神宮所領)といい、富部氏の本貫地。この神社の南は地名を「杵淵」、富部三郎家俊の郎党・杵淵小源太重光はこのあたりに住んでいたと思われ。
目印になる祠か、地名の書いてある電柱でもないかと探していると、なんと「杵淵」さんという家を見つけた。


さらに北西の御厨公園方面を目指して歩き、下布施信号で国道18号を渡ってしばらくすると「更級斗女神社」。


社殿の左手に大きなケヤキがあり、これは横田河原合戦の兵火から焼け残ったといわれている。確かに立派だ。


その奥には「勝鬨八幡宮」という小さなお社があり、ここで木曽殿は横田河原合戦の勝鬨をあげたという。


地図をみると更級斗女神社の西に「本町組公会堂」というのがあるが、このあたりに小さな赤い鳥居と祠がありここが戸部城址と目されていて、案内板も立っている。





ここからずーっと北上していくと「常泉寺」、ここにも立派な大欅があって遠くからでも見えるランドマークになっている。いつも思うけど「神社(寺)を探すならまず森(=大木)を探せ」、だなあ。


大ケヤキは常泉寺の裏手にあり、


その根元に富部家俊供養塔と伝わる五輪塔がある。
実は中央の五輪塔は古くないが(平成に建立、とある)


さらに横にある五輪塔や壊れてしまっている宝篋印塔っぽいものが古い。

しばし手を合わせる。


さらに西へ方向をとり「川中島今井」を通る。ここは以前、今井神社がこっちにあると勘違いして来ちゃった所で、ナゾの「北原の延命大仏」がある。これは江戸期に建立されたもの。↓この中に安置されてます。



そのまま信越本線の線路を越えさらに西につっきって行くと「今井神社」。




地名の「今井」から今井兼平が住んだという話もなくはない。が、基本的には今井さんの命を受けた家臣・岩害刑部というヒトが「兼平山切勝寺」を建立し、後に「今井兼平供養塔」を建て、そして今井神社に今井兼平が祀られた、という流れ。

今井兼平供養塔。お久しぶりです。


供養塔右手にある「駒止めの石」。


そんなわけで今井神社のすぐ裏手のお向かいにある「兼平山切勝寺」にも足を運ぶ。


こちらの境内にも五輪塔っぽいものがたくさんあるのだけども由緒は分からず。


今井五輪塔の脇にある案内板に記載の「駒洗の池」は今井駅近くの「池田遊園地」とは名ばかりの小さな公園に池跡があるんだけども、「縁切橋」は行った事がないなーと思い、そのままなにげに西へ歩いてみる。

岡田橋という橋からもう少し先まで行ってみるが、木で作ってあるという橋は見つからない…というところまで行って、おやきを食べながらブラブラ引き返す。


再度切勝寺の前を通って今井駅に着いた所で14時。
うーんまだ時間があるなー、と思い、横田河原古戦場と目される横田(更級横田神社)に行くか、稲荷山の長谷寺に行くかちょっと悩んで、丁度電車が来たので篠ノ井線に乗って「稲荷山駅」へ。



ひどく急な階段をやっつけて「長谷寺」到着。
このお寺もやはり横田河原合戦の兵火で焼けたという言い伝えがある。



長谷寺にお参りしてから「覚明塚徒歩5分」看板の方に行ってみる。


リンゴ畑の農道を歩いていくと左手下に長谷神社が見えるけど降りない。そのうち高速道路につきあたり道が三叉路になっている。高速の下を通る道ではない方(左手の道)をもう少し歩いていくと、左(東)に下る三叉路がみえてきて、まさにその三叉路脇にひっそりとした塚がある。


覚明塚」は以前行った稲荷山駅近くにある「康楽寺」の開祖・西仏の塚で、この西仏こそが大夫房覚明だったという。しばし手を合わせる。



その後、道なりに坂を降りて県道に出ると、覚明塚の案内看板をみつけた。
このあたりのヒトは車社会だからこれを見ていくんだろうなあ。。。


ここで稲荷山駅に戻ればいいのに、セブンイレブンで電池とドリンク剤を買って充電したらなんとなく荒町まで行ける気がしてきたので、県道を駅と逆方向に歩く。


荒町(あらまち)には徒歩20分くらいで着く。
さっそく旧道っぽい方へ入ると看板があり、


あとは言われた通りに歩くと「義仲鞍掛石」、


舟繋石」がある。


案内板には木曽殿が横田河原合戦の際にここから船出した、とある。


なんでここから船出なのかというとここにある稲荷山温泉には木曽殿がこの地の湯で傷を癒す白狐を見つけた、という伝説があるんで、きっと温泉でゆっくりしてから出陣したとか…しないとか…

…という温泉説はおいといて本気で考えると、善光寺街道は江戸期に成立した道だけども平安時代からボンヤリ存在してたとすれば(途中、東山道と重なる部分もあるし)

木曽→洗馬→松本→岡田→会田→麻績→稲荷山→屋代→篠ノ井

と、実にキレイにつながる。逆にキレイすぎるので後世の嘘が紛れているかもしれないくらい。


マンション裏にひっそりあった「北国西街道(善光寺道)」の案内板。はるか洗馬から続いている。


さて、温泉は今では「ホテル杏泉閣」さんで入ることができ、外湯もあって入湯料は300円。士道不覚悟(手ブラ)で行っても、タオル・石鹸・シャンプーはフロントで買える。地元の方々でけっこう混んでた…。



…なんてことをやっているうちに18時過ぎ。
日曜にはバスが走ってないので、タクシーで「篠ノ井駅」に向かう。ちなみに2000円チョイくらいだったと思う…。
さすがに月曜から仕事なので、ここは大人しく長野駅から新幹線にて東京に帰着。祭期間でもない限り、新幹線は長野始発だと自由席で余裕です。

帰りの駅弁は「信濃の国・食浪漫」。


いつもここまで読んでくださる方に感謝m(_ _)m



2012年10月


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<今回の移動ルート>

▽一日目
JR長野駅

善光寺

松代

篠ノ井

長野駅前


▽二日目
八幡原公園(川中島古戦場)

岡神明神社

更級斗女神社(勝鬨八幡)

戸部城址

常泉寺(富部家俊供養塔)

今井神社(兼平供養塔)

兼平山切勝寺

今井駅

稲荷山駅

長谷寺

覚明塚

義仲鞍掛石

舟繋石

稲荷山温泉




◆今回のヒント
かどの大丸(善光寺門前そば)
石川亭
銘菓のマツキ
チサングランド長野

ホテル杏泉閣
更埴観光タクシー



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