MainMenu
ReturnTop
AboutSite
旅 レ ポ 。


毎年恒例、粟津まで。


今年も21〜22日に「勝手に木曽殿を悼む旅」してきました。

木曽殿の命日は兼実くんの日記「玉葉」を根拠として1月20日ですが、(実は西暦に変換すると3月4日あたりとか、細かいことは置いといて)平家物語的には21日なのでヨシとします。


コレ毎度書いてる気が(ry…個人的には重要ですから!
そしてワタシが粟津に行くときは3回に2.5回くらいの割合で雨になるんですよねえ、涙雨?


今回は木曽殿の退路を行こう!と思い立つも、六条西洞院(ごっしーを捕らえ損なって退出する所)〜六条あたりの女房と別れを惜しむあたりは面倒なので、京の七口のひとつ、『粟田口』に向かう
三条からスタート。


と言いつついきなり寄り道をして、ダメ元で地下鉄「三条京阪」で降りて「旧有済小学校」に向かう。
ここは平成に入って廃校になっており、ふだんは施錠されていて入れないんだけど…この日はたまたま開いてたので潜入!

校舎前に大きな椋の木があり、これが「山吹塚」。
案内板によれば

由緒:治承年間(一一七七~一一八一年)に木曽義仲とともに入洛し、この辺りで亡くなった山吹御前の供養のため、当時に植えられたものと伝えられているが、樹齢から推定すると後年に植樹したものと思われる。
 
とある。そばには小さな宝篋印塔が3基。



なんか今回はイケる気がする…!


テンションが上がったところで、地下鉄「三条京阪」駅で東に向かい、「御陵」経由で京阪電鉄の「四宮」駅に向かう。


ところで途中「蹴上」駅のあたりには今でも地名に「粟田口」の名が残されている。
粟田口鍛治町にある「粟田神社」は、粟田口から立つ旅人が旅の無事を祈ったというけども、電車なのでスルー。


「四宮」駅下車。
ここは東海道が四ノ宮川と交差しており、その昔には「四宮河原」と呼ばれていた。確か長門本だと今井隊とここでもう出会っちゃってた気が。



駅から5分も歩かないうちに、四ノ宮川を渡ってすぐ「山科地蔵徳林庵」につく。



案内板によると

旧東海道沿いに建つ寺院です。地蔵尊は小野篁作で、1157年に後白河天皇の勅命により、京の都の主要街道六箇所に安置された地蔵のうちの1体です。それ以降、京都に入る際の厄除けの場所、東海道の門番として、今もなお多くの人が訪れます。また、琵琶法師の祖として知られる人康親王、蝉丸ゆかりの寺でもあります。

とのこと。
補足するとゴッシーが清盛に勅命を下し、清盛から西行に命じて六角堂を建てさせたという。境内には琵琶法師に縁の深い、人康親王・蝉丸の供養塔もある。


旅の無事を祈り、京阪電鉄に乗ると隣の「大谷」駅で下車。

駅から少し坂をあがっていくと左手に「蝉丸神社(郷社)」。蝉丸は盲目の琵琶法師だったとも言われており、そこから芸能の神として崇められている。ちなみに峠を越えたところにも蝉丸神社は上社・下社(関明神と合祀)と3つもある。




蝉丸神社をお参りして、うなぎで有名な「かねよ」の前を通り、さらに坂を上っていくと「逢坂の関」。




知るも知らぬも逢坂の関を越えると、近江入り。



京阪電鉄は東海道から分かれて西近江路に入り、「上栄町」駅で下車。

降りるとすぐに長安寺の入口がある。(ちなみに坂を上らないで左の線路と平行している道をいった方がどちらかというと正解)





このお寺は昔「関寺」といわれた大寺院跡に建てられている。

案内板によると

 関寺遺跡 時宗 長安寺
長安寺の前の名称 関寺 は創建年代は不明であるが 逢坂の関 の近くにあった大寺院である。平安時代日本三大佛の一つ 関寺大佛 は特に有名である。鎌倉時代時宗々祖一遍上人が遊行し「おどり念佛」を奉納。慶長の兵火に罹災の後、寺の名称を長安寺と改め時宗に属し、現在は小堂を残すのみである。又、江戸時代 長安寺水道として地域に給水を行っていた、


とか。



お堂のある境内から下がったところにでっかい宝塔があり、一般には「関寺の牛塔」というらしい。関寺縁起によ好い胃ると天延四年(976年)の大地震で破損した関寺の復興の資材を運んだ一頭の牛が仏の化身だと噂になり、関寺復興と共に死んだので塔を立てて供養したという。

年号からすれば木曽殿も目にしたかもしれないなあ。


さて、木曽殿の退路は「源平盛衰記」によれば、

四宮河原神無社関清水、関明神を過ぎて→関寺の前を→粟津に向って進む。

とあり、神無社(現在の小山神無森町あたり)、関清水・関明神(現在の関蝉丸神社、境内に関清水があり、昔は関明神といった)、と過ぎて関寺まで来たところで、巴と内田家吉の一騎打ちしたという「関寺合戦」が行われ、あわれ内田は討ち取られる。

巴はこのあたりで戦ってたのかも!(盛衰記によればだけど)(;゚∀゚)=3


長安寺からすぐ北に「札の辻」という地名が残っている。
地名は江戸時代に高札を掲げられたことから来ているが、ここは三叉路になっていて「北陸道」と「東海道」に分かれている。

ココが運命の分かれ道でもあるわけだ!
ど う す る 木 曽 殿 !



…ご存知のとおり木曽殿は東海道を選び、勢田にいる今井の行方を探しにいく。


さて、ワタシは京阪電鉄で湖畔の「浜大津」駅で乗り換えて、勢田とは反対の「三井寺」駅へ。



三井寺=園城寺は平家物語では「寺門」としてよく登場する。
駅側から中に入るには2つ入り口があるが、ワタシは総門から入って拝観料を納める。

まずアガル↑↑↑(気分が!)のはこの石段の左手。



ちいさい祠みたいなのがあるんだけども、その奥あたりに伝説の格闘家・明秀の僧房があったとか!
以仁王の挙兵の時に宇治川で戦ったあの「橋合戦」で驚異的な戦いを見せて、しかもあの状況下で死なないスーパーヒーローですよ!
弁慶のひきずり鐘をはじめ、三井寺の見所はたくさんあれど、ここは本堂の前で見つけた芭蕉センパイの石碑だけ紹介。チース!



そしてあまりの寒さと空腹のため、境内にある茶屋のおでんで一服。関西の出汁はウマイ!



駅に戻り、「石場」駅で下車。
義仲寺に向かう道すがら通る、警察署のあたりが昔「石場の渡し場」と呼ばれた渡し場。



そして、このあたりの地名が「打出浜」、覚一系ではこのあたりで木曽殿と今井が出会う。


義仲寺」に到着。
1月の第3日曜日が「義仲忌」なので、この日はすでに法要は終わっていて、静かなたたずまい。



拝観料200円、来たからには芭蕉先輩と木曽殿のお墓におまいり。



京阪膳所」駅に移動すると、友人が立っていた。
別にここで待ち合わせした訳ではナイのだけども、twitterのつぶやきから推測して待っててくれたらしい。

…木曽殿と今井もケータイがあればよかったのに。

とか、感動できない事をちょっと考えつつ友人と連れ立って「粟津」駅へ。


源平盛衰記では、木曽殿と今井が出会ったのは「粟津浜」。
このあたりには「晴嵐」という地名が残っていて、江戸時代までは「粟津の晴嵐」といえば松原の名勝地で有名だった。



と、いうわけでこれも毎度のことながら旧東海道を歩く。


路肩に見つけた、昔の晴嵐の古写真のタイル。


そして「石山」駅に到着!

……
………ってアレ?兼平さんのお墓通り過ぎてるじゃん!

バックバック~!
引き返しておまいり。



再度「石山」駅を南に渡って、西に向かう。
ここであまり細かい説明はしないけども「今井兼平鎧掛の松」にGO!



いつもは瀬田の唐橋の方に行ってしまうのでこっちは忘れがちなんだけども、なんとか明るいうちに訪れることができて感無量。



ついでなんで瀬田の唐橋にも行ってみると…
なんと工事中で、緑色になってる!

というわけで、1日目終了。
ディナーは松喜家さんの近江牛すき焼きウマ〜



2日目。

東海道を下るというコンセプトは同じだけども、前日とはうって変わって平家のターン。

まずはJR琵琶湖線で「野洲」駅下車。さらにバスで「大篠原」に向かう。ちなみにワタシが乗ったのは「村田製作所行き」
JR「篠原」駅下車でもいい気がしてたけども、本数が少ない上に分かりづらいので、バスの方がオススメ。

大篠原」でバスを降りると、いきなり「国宝 大笹原神社」の看板に惹かれてさっそく寄り道。


20分程歩いて川を渡ると、すぐに森っぽいものが見えてくる。本殿には近づけないけども、繊細な装飾が施されているっぽくて、小さいながらも存在感がある。



さて、寄り道で日が暮れても困るので、チョーでっかい村田製作所の工場前をひたすら歩いて、中山道を東に向かう。

いつの間にか東海道が中山道になってる!


というのは置いといて一里塚跡を通り過ぎ、本日最初の目的地、「平家終焉之地(平宗盛胴塚)



宗盛さんのお墓…は、今までにない雰囲気。
なんだろう…

ファン?の愛を感じるお供え物があるから?


そういえば、今まで平家関連のお墓を回っても花以外のお供え物って見たことがなかったかも!?
幕末関連の有名な方々のお墓には愛のこもってそうなお供え物が置いてある事が多くて、ちょっとそれに近い感覚。


そんなことはおいといて、こんな寂しいところで首を切られたかと思うと、本当に悲しい…

「清宗もすでにか」
と、最期まで子を想う気持ちがものすごく悲しくて、平家物語でもかなり泣けるシーン。木曽殿も大臣殿(=宗盛)も、駄目な人物に描かれてるんだけど、むしろそれがリアルで憎めないというか、好きになってしまうんだよなあ。


人間の弱点を描いているが故に、木曽殿も大臣殿も、ついついお笑い方面のネタに使われちゃうんだけど(てか自分も使ってるけども;;;)、それだけに、もっと愛されていいキャラだと思う。


名残は尽きないけども、中山道をさらに東に歩いて鏡の宿へ。



こっちはガラっと変わって義経元服の地として町おこし。
鏡の宿に入るとまず「義経元服の池」があって、



すぐ「鏡神社」がある。
左にある、屋根のついた茶色い木はなんぞ?と思ったら、これは元服の参拝の折に、烏帽子を掛けたという松(が、保存されている)。



鏡神社をお参りして



傍らにある八幡社にもお参り。
街道に戻って東に歩いていくと、宿場の跡が続いている。



こんな感じで看板があるので分かりやすい。



このあたり一帯が鏡宿の長者「沢弥傳」の屋敷だったといわれ、義経はその宿所に泊まった際に自ら元服したという。。
さらにもう少し歩くと真照寺
ここは義経の逸話はないけども、さらに遡って、額田王の父・鏡王が葬られているとか。



鏡宿から少し南にいくと源頼朝も泊まったという西光寺址もあるんだけども、時間も惜しいので「鏡口」バス停からバスに乗って野洲駅にとんぼ帰り。


JR琵琶湖線で京都方面に戻りつつ「南草津」駅下車。
駅から「かがやき通り」を東?に15分くらい歩いた所で国道1号線にぶつかる。道路を越えると、旧東海道の名残があって、「一里塚跡」がそのランドマーク。



一里塚から西に行くと旧東海道が続いていて、



道沿いに教善寺がある。



このお寺は承応二年(1653年)遠藤権兵衛出家の折に敷地を寄進し建立したとされる。
権兵衛さんにはとても興味があるが、今回の目的は別にあるのでお寺は軽くお参りさせていただき、さらに旧東海道を歩いていくと、すぐ右手の民家の塀の上に↓こんなかんじで案内板が出ている。



予想としてはお寺の境内にあると思っていたんだけども、実は、遠藤権兵衛本家の敷地に「平清宗の胴塚」が保存されている。
案内板によると、

平清宗(1170〜1185)
平安時代の公卿、平宗盛の長男、母は兵部權大輔平時宗の娘。後白河上皇の寵愛をうけ、三才で元服して寿永二年には正三位侍従右衛門督であった。
源平の合戦により、一門と都落ち、文治元年壇ノ浦の戦いで父宗盛と共に生虜となる。
「吾妻鏡」に「至野路口以堀弥太郎景光。梟前右金吾清宗」とあり、当家では代々胴塚として保存供養しているものである。
遠藤権兵衛家  当主遠藤 勉


とあり、このあたりで清宗さんは斬首されたという。
今でいうとまだ中学生なのに、敗軍の将の息子というだけで殺されてしまうんだから胸が痛む…



ご迷惑かとは思ったんだけども、敷地に無断で入るのもアレなので、お家の方に了承をとったら、ご親切にもいろいろとご説明くださった。
そのお話のなかにあった、敷地の一角には遠藤権兵衛の館跡を伺わせる土塁が残されていて、かなりアガル〜!!



しかし心残りはあれど移動。


JR琵琶湖線「石山」駅下車。
毎回ここに来る割にマッタク行った事なかったのが「石山寺」、世間的には、紫式部が石山詣で源氏物語の構想を得たことが有名。
というわけで、ちょっとのぞいてみることに。




石山寺山門。



境内には芭蕉先輩の句碑(右側)や



後白河法皇も御幸したという月見亭(この右手には芭蕉庵)があったりして



頼朝の宝篋印塔とか、頼朝寄進の多宝塔もあったりする(多宝塔は現在修復中)。
ゲンペイストに全く関係ないというわけでもないけども、やっぱ木曽殿との縁がないせいか、テンションはそんなに上がらず…



しかし境内の気色はどこも素晴らしい。
景観から言っても、平安時代の一大テーマパークだったんだと体感。ゲンペイ関係なく今度はちゃんとした気色を楽しむ観光で訪れたいと思う…(秋の紅葉とかね…)


本日ラストの途中下車、JR琵琶湖線「大津」駅へ。


なんか、駅のポスターにウケたwww

いいなあ、加賀。
駅を出て、すぐ脇にある「山吹地蔵」へ。



案内板によると、

山吹地蔵
大正十年八月大津駅がここに建設されるまで、この地一帯は秋岸寺という古いお寺でありました。
その昔木曽義仲が粟津が原で鎌倉軍勢と戦って敗れ今井兼平等多数の部下とともに戦死した時、愛妾山吹御前は京洛から義仲を慕ってはるばる逢坂山を越えてここまで来ましたが、逢うことができず秋岸寺境内の竹薮の中で敵刃に倒れたのであります。
後世有志が薄幸の山吹を弔うために境内に地蔵尊を刻んでお祀りしていましたが、駅の新設を機に寺は移転し、地蔵尊は鉄道宿舎主婦達の手によって祀られてきたのであります。
昭和五十年駅舎改築を機にりっぱな祠を建ててここに祀ることになり誰いうとなく山吹地蔵と呼ばれております。
大津駅長




「木曽どのをしたひ山吹ちりにけり」の句碑。残念ながら芭蕉先輩のお作じゃないけども。(昔の大津市長:作)

ここは毎回来ている割に、写真撮り忘れたり撮っても暗すぎたりしてたので今回やっとゲット。


今年の近江スネーク終了!
ホントいつもこんなことやってていいのかと自分でも呆れますがおつきあいあざスm(_ _)m

2012年1月


<上に戻る>




<今回の移動ルート>

一日目

JR京都駅

地下鉄東西線・三条京阪駅
旧・有済小学校

京阪電鉄四宮駅
徳林庵(四宮河原)

京阪電鉄大谷駅
逢阪関址(&蝉丸神社)

京阪電鉄上栄町駅
長安寺(関寺址)

京阪電鉄三井寺駅
三井寺

京阪電鉄石破駅

打出浜

義仲寺

京阪電鉄京阪膳所駅

京阪電鉄粟津駅

晴嵐

今井兼平墓

京阪電鉄石山駅
鎧掛の松

瀬田の唐橋


2日目

JR野洲駅(〜バス)

大笹原神社

宗盛胴塚

鏡宿
(鏡神社/元服池/宿所址)

JR南草津駅
清宗胴塚

JR石山駅(〜バス)
石山寺

JR大津駅
山吹地蔵




◆今回のヒント
●おけいはん(京阪電鉄)




Copyright (C)Miyataya All Rights Reserved.