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旅 レ ポ 。


アイツは會津の乗坊。

会津といえば幕末!会津藩!松平容保公!白虎隊!娘子隊〜!
2013年は会津藩士の娘・新島八重さんが主役の大河ドラマ「八重の桜」ということもあって盆休みに友人(←新選組好き)と行ってきました。



とはいえ会津にも平安時代のアツい史跡があるんで、もののついでに廻ってきた。…というわけで、幕末の史跡についての紹介は涙をのんで割愛。(ルートだけ記載→)


東京からは会津バスの高速乗合バス「夢街道会津号」を利用。
(↑こういう計画的なルートを見つけてくるのは友人)

一日目はレンタサイクルで敬愛する竹子嬢殉難の地はじめ會津戦争のあんなとこやこんなとこ探索。(こういうレンタサイクル見つけとくのも友人)
鶴ヶ城の赤い屋根瓦バージョン初めて見た!
宿は「くつろぎの宿新瀧」(土方歳三ゆかりの猿の湯がひいてある)。(さすがだよ新選組好きの友人!)

二日目は近藤勇先生の墓から「お城が燃えている!」飯盛山へ。飲めや食えやの宴のあと、ここで友人とはお別れ。ところで後日「普通、友達と旅行に行くのに現地集合・現地解散なんて聞かないよ!」と別の友人に言われた…。やっぱそういうもの?


三日目からゲンペイ的な旅開始…かと思いきや、電車の時間が合わなかったので、ちょっと滝沢本陣に寄り道してから会津駅前へ。
駅前の商店街っぽいところにある「五郎兵衛飴本舗」さん。


ここは前九年の役に同行した源頼義の家臣が土着し、源義経が奥州に逃れる途中に弁慶が飴を所望し借用書を置いていった…という言い伝えがある。
飴は餅とゼリービーンズの中間のような歯触りで、やわらかい甘み。
昔話に出てきそうな壷に入った水飴もあるが、原料は同じで大昔から製法はずっと変わらないとのこと。


ここでJR磐越西線に乗って磐梯町駅へ。
目標は「慧日寺」。駅から歩く事20分くらい?徒歩の旅人にはちょっと厳しいかも…
慧日寺跡」碑。ここからさらに15分くらい歩く。


平安時代、この会津の山奥(地元の方に失礼)に巨大な寺社都市があったのには驚き。




今は礎石が残るばかりだけども中門と金堂が復元されている。写真は金堂。
で、
ここはゲンペイ的に何かと言えば、越後の城氏が平家に源氏軍追討を命じられ、横田河原にて木曽軍と対峙した時に、城軍に合力した”会津四郡の兵”とそれを率いた「会津の乗丹坊」の本拠地。


お盆だったので桜は当然咲いてないのだけども、乗丹坊さんが挿した桜の杖が根付いたと伝わる「木ざし桜」(エドヒガンザクラの古木、左奥)がある。

そして東にある「徳一(とくいつ)廟」

慧日寺の開祖のお墓で5重の石塔が↑この建物の中に納められている。うーん、この形式の塔、どっかで見た事があるんだけど思い出せない…

立派な仁王門を出る形で通過して


すぐ近くにある「乗丹坊供養塔」へ。

中世後期に建てられたと考えられている。こんな遠くから信濃の横田河原まで城氏と行軍してきたかと思うと、何か胸がいっぱいになるなあ。
しばし思いを馳せ、手を合わせる。



さて、ここで磐梯町駅に戻ってみると、大風の影響で
電車が止まっている…とか!?ただでさえ1時間に一本あるかどうかの電車が!
1時間くらい構内のベンチで昼寝して待ってみたけども電車は無情にも来ない。

ので、ここで決断して、歩いて会津に戻る事にする。
(いやカンタンに言ってるけどけっこう遠いんだよね)

県道7号をてくてく歩いて、道中で見つけた「大寺古砦の跡」。


慧日寺の出城だったのか乗丹坊が守ったとも伝わるらしいが、うっそうとした草木で概要わからず。

そういえば城長茂が住んだと伝わる「陣ノ山館城址」もこのへんだったよなーと思ってケータイで地図を確認すると、県道7号を3kmくらい行ったところにある。…車だったらすぐなんだけど…これから会津に帰ろうとしてるのに、徒歩はちょっとムリだ。

ということで陣ノ山館城はあきらめて
多分、越後街道の旧道らしいテキトーな道をひたすら*3くらい歩くと、日暮れにやっと「皆鶴姫の墓」に到着。


まさに太陽が山に隠れた直後で、かなり絶望的な気持ちで歩いてたのでなんとか間に合って脱力。一応ちゃんと写ってるし…
ところで皆鶴姫って誰よ?というハナシですが、義経が鬼一法眼から兵法書を奪うためにタラシ込まれた鬼一法眼の娘、とのこと。義経を追ってここまで来た所で敵に捕まり、息子・帽子丸は柳原の沼に投げ込まれて溺死、皆鶴姫も難波池にて入水。
これを聞いた義経が立ち戻って墓を建てたその跡に、この碑が会津藩によって建てられたという。

近くに「歴応(りゃくおう)の碑」という南北朝の頃に建てられた石碑もあり、その左手にはナゾの義経駒つなぎの石なるものもあったが、そろそろ暗くてヨクわからない状態。





駒つなぎ石?は、もはや暗くてボンヤリしか写らなかった。。。


さすがにこの後、精根尽き果ててタクシーを呼んでホテルに戻る。。。




四日目、娘子隊の中野竹子さんのお墓参りに会津坂下にある法界寺さんへ。
巴ちゃんもそうだけど、勇ましくも健気な女性ってすごくカッコイイと思う。


一言で「会津坂下へ行く」いうとカンタンなんだけども、JR只見線をナメてはいけない。1時間に1本もないので丁度良い時間にあたらず、会津バスで会津坂下にたどり着いた。思った通り地元バスは休日運休なのでここから徒歩。(法界寺さんは会津坂下町役場バス停からすぐ近く)


ひたすらガーーーーーーーーーーーーっと5kmくらい歩いて北上。

思ったとおり行き先は山になっている。それも当たり前で、「陣ヶ峰城」は平安時代の山城だからしょうがない。
坂道にさしかかる手前左手にある宇内薬師さんで一休み。徳一大師が勧請、会津五薬師のひとつで木造薬師如来坐像と脇侍は国の重文で平安時代中期に作られたものという。



上り坂をひたすら登り切って、三叉路をまっすぐ北に抜けたあと、右手の森に陣ヶ峰城址の門が見える。


入るといきなり掘切があり、その向こうが土塁になっている。


公民館の建物や畠になっている部分が館址で、東は天然の崖になっている。


案内板に縄張などの説明が書いてあったのでわかりやすい。ここから中世の陶器などの出土品がもあり、国指定の史跡となっているが訪れる人は少なそう…


城一族が造ったとも言われるが12世紀に作られたとも言われ、主はさだかでないようだ。


何故ここに来たのだワタシ。
自分でもヨク分からないんだけども、この会津から新潟に抜ける古い道が確実に城氏と恵日寺を結んでいた事を確認したかったんだと思う…
ちなみにこの後、さすがに歩いて帰るほどの体力もなく、タクシーを電話で呼んで会津坂下駅まで乗せてもらう。道すがら、震災の話や近くにある仮設住宅や避難されてる方の話などを聞かせていただく。
この話が今回の旅の一番の収穫だったかもしれない。。。


幻の只見線に乗って会津駅に無事帰還。
写真左は会津坂下駅前にあった昭和の大歌手・春日八郎の像。

さて帰りのお楽しみ駅弁ですが

会津う米う米弁当と


相馬野馬追弁当、

どちらも選びきれずに2個買い!(しかも東京に着くまでに2個とも食った!)



毎度ここまで読んでくださった方に感謝m(_ _)m



2012年8月


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より大きな地図でマップ を表示


<今回の移動ルート>

▽一日目
JR会津駅前

西軍墓地

阿弥陀寺(斎藤一墓)

中野竹子殉節の地

神指城址

如来堂(新選組殉難の地)

柳橋(涙橋)

清水屋旅館跡

鶴ヶ城(会津城)

東山温泉


▽二日目
近藤勇墓

飯盛山(白虎隊殉節地)


▽三日目
旧滝沢本陣

★五郎兵衛飴本舗(会津駅前)

(JR会津駅)

(JR磐梯町駅)

★慧日寺址

★乗丹坊墓

★大寺古砦址

★皆鶴姫墓

★歴応の碑


▽四日目
(バスで会津坂下)

法界寺(中野竹子墓)

上宇内薬師


★陣ヶ峰城址

*今回行けなかった近隣史跡
・陣ノ山館城址
・心清水八幡(塔寺八幡)




◆今回のヒント
 会津バス
會津東山温泉くつろぎ宿新滝
五郎兵衛飴本舗



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