井上美輪神社| 石川県河北郡津幡町浅田|JR北陸本線「」駅
井家郷(津幡南、内灘町、森本地区)の地名の手がかり。津幡市内の白鳥神社は井家郷の総社だったといい、この辺りが根上の松で奮戦した井家二郎範方の本貫地だったと思われる。
★
平岡野神社| 石川県金沢市広岡町1|JR北陸本線「金沢」駅徒歩3分
金沢駅裏すぐにある神社。延暦20(802)年に天台座主泰範の勅命により、北辺の鎮護として坂本の山王権現を勧請した。石川郡豊田郷の総社として富樫氏が代々尊崇していた。盛衰記によれば砺波合戦で圧勝した源氏軍が志雄戦に向けて旗を立てて逗留した場所「平岳野」のランドマーク。
松根城| 石川県金沢市松根|JR北陸本線「森本」駅からバス
管理人メモ。案内板によれば木曽殿が布陣したと伝えられるという。現在残っている遺構は戦国時代のもの。
富樫館跡| 石川県石川郡野々市町住吉|北鉄石河線「野々市工大前」駅
康平六年(1063年)に7代・富樫家国が館を創建したという。付近には館の跡を忍ばせる地名「御所」「城郭」「倉屋敷」などが残る。駅近くに館跡碑がある。
★
松任金剣宮(まっとうかなつるぎぐう)| 石川県白山市西新町181|JR北陸本線「松任」駅徒歩
富樫氏に関係する神社。社記によれば養老元年創立で「承平5年国司社殿を造営。富樫氏累代尊奉し神田領を付す。寿永2年木曽義仲、文治3年源義経社参祈願すと。」と、伝わる。
夛伎奈弥八幡神社| 石川県白山市長竹町|JR北陸本線「松任」駅
読みは「たきなみ」。昔は長滝神社といい、近くに瀧があったことからこの名がついたという。木曽殿が奉納したと伝わる神鏡が治められている。普段見ることはないが、もしかすると笠間神社の祭礼などでおがめるかもしれない。
★★
笠間神社| 石川県白山市笠間町|JR北陸本線「松任」駅
延喜式内社、由緒によれば一時は木曽殿が故事から源氏の氏神としたため宮保八幡と称した。明治より笠間神社の摂社となっている。「其昔寿永2年木曽義仲加賀合戦に、平軍を追撃し此地に来る。時恰かも手取川洪水のため、渡るを得ず、当社に減水と戦勝を祈願せらるるに、その願空しからず、俄に減水して渡る事を得たり。依つて兜及び喜悦書を奉ると云う。当時義仲附近住民より寄せたる煎粉に依り空腹を満たせりと伝え、又其時用いし水の井戸を義仲弓堀の井と称へ社頭に伝う。依って氏子一同今に至るまで11月15日をきし煎粉祭、別に義仲祭とも称し、神前に煎粉を供え奉りて、氏子も共に食して御神徳を称え奉る特殊の祭典執行せらる」と伝わる。
手取川| 石川県小松市|JR北陸本線「美川」駅から徒歩?
木曽軍が都へ進軍する際、洪水のために渡れなかったという伝承が笠間神社に伝わる。川の名の由来は増水した川の流れを手を取り合って渡ったことからきているという。
鶴来金劔宮| 石川県白山市鶴来日詰町巳|北鉄石川線「鶴来」駅から徒歩20分くらい?
白山七社のひとつとされ、寿永2年5月、源義仲が倶利伽羅谷で平家の軍勢を打ち破った神恩として金劔宮に鞍置馬20頭と横江庄を寄進したという。その3年後、文治2年2月10日には源義経が本社に参拝・一泊し、神楽を奉納したという。境内に「義経腰掛石」があり、以前は「義経笈掛松」という松もあったが枯死し、今はない。
白山比咩神社| 石川県白山市三宮町|北鉄石川線「鶴来」駅からバス、または徒歩30分くらい?
白山比咩神社のそばを流れる手取川。
根上(ねあがり)の松| 石川県白山市鶴来日詰町巳|北陸本線「能美根上」駅
史跡「根上の松」として整備されている。砂山の上にあって、白山の遥拝所でもある。ここで井家二郎範方17騎が戦って、仲間の北陸武士団残党を逃がした。
★★
多太神社| 石川県小松市上本折町|JR北陸本線「小松」駅
実盛の甲冑や木曾義仲の願状がある。 首実検の後、斎藤実盛の兜をこの地の八幡神社に奉納したと伝わる。ちなみに芭蕉センパイが見に行った頃には、実盛の錦の直垂の袖と伝わる布片もあったという。実盛の兜は宝物殿にあって拝観にはふだんは要予約だが、祭礼時には公開されている。
★
安宅の関(住吉神社)| 石川県小松市安宅町|JR北陸本線「小松」駅
★
鏡池| 石川県加賀市篠原|JR北陸本線「加賀温泉」駅
住宅地奥の狭い場所にひっそりとした佇まいで残っており、実盛が髪を染める時に使った鏡を沈めたという伝承が残る。
★★
実盛塚| 石川県加賀市篠原新町|JR北陸本線「加賀温泉」駅
★★★
篠原古戦場(実盛首洗い池)| 石川県加賀市手塚町|JR北陸本線「加賀温泉」駅