木曽清水| 新潟県妙高市上平丸|JR信越本線「新井」駅から車
木曽殿が信越の国境を越えの際、休憩の為に馬を留めたところ、この清水を見つけて喉をうるおしたという。管理人未踏のため詳細不明。地図で見てると車でもいけそうにない雰囲気なのでトレッキング。。。?詳細求む。
関山神社| 新潟県妙高市関山|JR信越本線「関山」駅から徒歩
延喜式内社と比定、高山関山三社権現として強い権威を持ち、妙高五山の入山も関山神社、宝蔵院(関山神社別当)の許可が必要だったという。近くにある興善寺は関山神社の別当寺であった。木曽殿と関係はないけども巡洋艦「妙高」関係者がお参りに訪れる神社でもある。
ここから西に車で10分くらい行ったところにある関温泉の「姥堂」には、木曽殿一行が妙高山を越える際に女人禁制だったため泣く泣く木曽とのの乳母をおいていった、という伝説が残る。
関山神社左手にある妙高堂は、妙高山山頂にあった奥の院を移したもので、木曽殿が守り本尊として山頂に祀ったという木造阿弥陀如来像(鎌倉時代末期作という)が厳重に安置されている。(妙高山開きの7月1日に開帳される)言い伝えでは、戦勝祈願が叶った御礼に家臣の五位野与左ェ門に命じ、4年毎の堂宇の建替をさせたといい、明治の頃まで造営が続けられたという。
五社神社| 新潟県上越市岡原|JR北陸新幹線/妙高はねうまライン「上越妙高」駅より徒歩15分くらい
巴が「越後の友松」に住んで尼になったという伝説があり、このあたりを昔は友松と呼んだ。巴御前とも虎御前のものともともいわれる五輪塔が境内にあるとのことだったが見つからず。。。
稲荷神社(東城)| 新潟県上越市東城町4丁目|JR北陸新幹線/妙高はねうまライン「高田」駅よりバスまたは徒歩20分くらい
上越市にある五社神社の北、高田城の東にある稲荷社境内にある宝篋印塔は巴御前の墓と伝えられる。木曽殿敗死後、尼になって高田に住み後生を弔ったと言う。笠の隅飾りの形は鎌倉期の様式で古そうだが基礎が華奢すぎるのが気になる。。。
平等寺 (阿賀)| 新潟県東蒲原郡阿賀町岩谷|JR磐越西線「五十島」駅より徒歩
余吾将軍平維茂により創建されたと伝わる。ある時、維茂が川の中に金色に光る薬師如来像を見つけ、薬師堂に安置したのが始まりという。現在の薬師堂は16世紀のもので重文。また、境内には将軍杉と呼ばれる巨木と、保科正之による平維茂墓碑がある。
鳥坂城| 新潟県胎内市(旧北蒲原郡中条町)羽黒|JR羽越本線「中条」または「平木田」駅より徒歩?
このあたりは古くは奥山庄といい城氏が本拠地としていた。建仁元年(1201年)、城資永の子資盛がこの鳥坂城にて突如挙兵(建仁の乱)し、鎌倉軍(大将/佐々木盛綱)と戦闘、叔母の坂額御前と共に奮戦するが資盛は出羽に逃走、板額は捕虜となり甲斐源氏の浅利義遠の妻に貰い受けられたという。また、近くの中条市本郷町の奥山荘史跡公園は城氏滅亡後に入った三浦和田氏の居館「江上館」址。
朝日神社(劔大権現)| 新潟県長岡市朝日|JR信越本線「来迎寺」駅からバス、または徒歩
木曽殿の家来がこの地に住み「朝日」と名付け、この神社に木曽殿愛用の太刀を奉納したという。境内の湧水「宝水」は日本酒「久保田」で有名な朝日酒造が使用している。また、すぐ近くに一説によれば巴が建立したという朝日寺(右下写真)や、朝日山城址とか巴丘とか怪しい地名がある。
日本酒「久保田」「朝日山」でおなじみの朝日山酒造さん。公式HP:http://www.asahi-shuzo.co.jp/
府中八幡宮| 新潟県上越市西本町3-5-15|JR信越本線「直江津」駅より徒歩20分
特に木曽殿の伝承はない。とはいえ創建年不明だが元は延喜式内社「阿比多神社」古跡で、鎌倉時代に鶴岡八幡宮を勧進したといわれる。ので、通りかかったことは間違いない気がする。現在は越後総社と諏訪神社が合祀されている。
五智国分寺| 新潟県上越市五智3-20-21|JR信越本線「直江津」駅から徒歩またはタクシー
現在の国分寺で、戦国時代に上杉氏が再建した。ここは国分寺が元あった場所ではないといわれる。境内に芭蕉先輩の句碑もある。
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居多(こた)神社| 新潟県上越市五智6-1-11|JR信越本線「直江津」駅から徒歩またはタクシー
越後一宮で、延喜式内社「居多神社」と比定され、1200年代には日本海に面した三輪山中腹にあったという。現在の居多神社境内のあたりが国府址だったと推定されており、木曽殿が逗留したのもこのあたりだったと思われる。
光源寺| 新潟県上越市五智|JR信越本線「直江津」駅から徒歩
木曽殿の家来・最信が開祖と伝わる。境内裏手には戦国時代の武将・村上義清の墓がある。ちなみに、義清は木曽軍で戦った村上為国の子孫にあたるので無下にはできない。
今井城址(霊源寺裏山)| 新潟県糸魚川市中谷内751|JR大糸線「頸城(くびき)大野」駅
糸魚川流域の今井地区にあるお寺で、裏にある山は今井兼平が築いたといわれる。曲郭などが残り「今井兼平城跡」碑もある。地名も兼平由来とも。霊源寺にも兼平のものと伝わる鎧などがあるらしいが、管理人未確認。
親不知| 新潟県糸魚川市|JR信越本線「親不知」駅
北陸道の難所。ゲンペイの頃は蒲原(寒原)と呼ばれた。ちなみに平家物語に蒲原とセットで出てくる鬼伏(鬼臥)はJR北陸本線・浦本駅の東に地名が残っている。江戸時代の頃までここには路を作ることができず海岸線(浜の道)を歩いた。そのため潮の満ち引きと海の荒れ具合よっては歩いているうちに水没してしまうので点々と作ってある退避穴に非難しながらの移動となる。現在も国道は歩道を作る余裕がなく、歩くには山道を通るしかない。