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諏訪大社下社秋宮| 長野県諏訪郡下諏訪町|JR中央本線「下諏訪」駅
諏訪大社は上社と下社があり、中世にはそれぞれ「諏訪氏(上社)」「金刺氏(下社)」が大祝を務めた。下社では春と秋で春宮・秋宮を神様が移動(御舟祭)する。大祝金刺盛澄は木曽殿を婿に迎えた(「諏訪大明神画詞」による)という。7年に1度(ホントは6年)行われる奇祭「御柱祭」が有名。
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霞ヶ城(手塚城)址| 長野県諏訪郡下諏訪町|JR中央本線「下諏訪」駅
斎藤実盛の首を取った手塚太郎金刺光盛の館があったといわれる。古くは山王台と呼ばれた山王社を祀った台地。諏訪大社下社の秋宮のすぐ右手にあり、ホテル(山王閣)になってるので通り過ぎてしまいそうになるので注意。
ホテル前の駐車場中ほどに金刺盛澄像がある。
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唐糸万寿姫供養塔| 長野県諏訪郡下諏訪町|JR中央本線「下諏訪」駅
手塚光盛の娘・唐糸とその娘・万寿の供養塔といわれている。「御伽草紙」にある話に登場する人物で、木曽殿の命令で鎌倉の動向をさぐっていた唐糸が頼朝に捕えられる(鎌倉に「唐糸やぐら」という捕えられていたとする横穴牢跡がある)。万寿が得意の舞で頼朝に褒められ、褒美に母を赦免してもらい母娘共に鎌倉を去った。
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桜ヶ城址| 長野県諏訪郡下諏訪町|JR中央本線「下諏訪」駅
金刺盛澄の城といい、曲輪、土塁、堀切などの残る山城。「駒王坂」「義仲やぐら」など木曽殿にちなんだ地名が残
下諏訪宿(旧中山道)| 長野県諏訪郡下諏訪町|JR中央本線「下諏訪」駅
中山道の面影が残る宿場で、温泉宿もある。木曽殿の頃には中山道はまだ整備されていないとはいうものの、甲斐へ通じる道としてはあったと思われ。
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諏訪大社下社春宮| 長野県諏訪郡下諏訪町|JR中央本線「下諏訪」駅
山城で、若干の土塁等が残っているとか。諏訪から北に伸びる中山道を監視するような分岐地点の東の山中にある。
金刺氏が作ったといわれている。
梶原塚| 長野県茅野市|JR中央本線「茅野」駅
金刺盛澄が、梶原景時の恩義に報いる為にたてた塚。木曽殿滅亡後鎌倉御家人となって、鎌倉殿の勘気により難題を出された盛澄を景時が助言して救ったことによるという。
金刺氏居館址| 長野県茅野市|JR中央本線「茅野」駅
下諏訪中学校が金刺氏の居館跡。下諏訪商工会議所の案内では「信濃国造の金刺氏が諏訪郡領として着任したのは長地中屋の榎垣外遺跡付近と言われる。のち東山田に移住して春宮の祭神を司ったが、居館を霞ヶ城の下に移し、秋宮を造って定着した。いずれも横河川の洪水地帯から逃れ、下諏訪の高台に居館を定めたものであろう。」とのこと。近くに犬追物を催していたという「犬射馬場跡」があるが、写真はその犬射馬場跡碑のあるお地蔵さんの祠。
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諏訪大社上社前宮| 長野県茅野市宮川2030|JR中央本線「茅野」駅
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諏訪大社上社本宮| 長野県諏訪市中洲宮山1|JR中央本線「茅野」駅