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 信濃国分寺址|
長野県東御市本海野|しなの鉄道「大屋」駅

奈良時代に設置された国分寺・国分尼寺の址で、天慶の乱(平将門の乱)の際に消失したという。国分寺を見たら国府が近い、というのが定石だけども平安時代の頃には信濃国国府は松本に遷っていた。現在、発掘された礎石等が展示されており、資料館が併設されている。

 ★★
 滋野神社(和)|
長野県東御市本海野|しなの鉄道「大屋」駅

「和(かのう)」地区にある滋野神社で、滋野氏の氏神といわれる。別に祢津にも滋野神社があり、共に八幡大神を祀っている。元は産土神を祀っていた場所に石清水八幡宮を分柱し、お祀りしたと縁起にあり、木曽義仲が戦勝祈願の折にボケの木を植樹したとも伝えられる。

 ★
 海野館址|
長野県東御市本海野|しなの鉄道「大屋」駅

マッタク跡形もなく、碑や案内板もないが、海野郵便局近くの台になっている土地が海野館址と目されている。駐車場の写真は馬場があったんじゃないかとされるあたり。館跡の南に高低差があるのがわずかにソレっぽい。

 
 海野宿|
長野県東御市本海野|しなの鉄道「田中」駅

北国街道「海野宿」の宿場町。宿場内にある「海野宿歴史民俗資料館」でも海野氏について触れられている。海野宿入口には海野氏の氏神「白鳥神社」があり、また、南を流れる千曲川岸が「白鳥河原」と目される。もっと海野氏推ししてくれていいのに。。。しなの鉄道田中駅から上田方面に向かって徒歩25分。


 ★★★
 白鳥神社(白鳥河原)|
長野県東御市本海野1204-1|しなの鉄道「田中」駅


海野氏の氏神であったと伝えられ、日本武尊命とともに海野氏祖の貞元親王・善淵王・海野広道公を祭神とする。正面に千曲川が流れており、この河原(白鳥河原)で木曽軍が城氏との戦に臨んで挙兵したという。

 
 興善寺|
長野県東御市本海野|しなの鉄道「大屋」駅


海野氏の菩提寺で永正10年(1513年)に真田幸義に建てられた寺。境内に鎌倉時代に海野氏によって建立されたという廃海善寺・石塔基礎や、海野氏の祖・善淵王が腰掛けたという伝説のある御座石が移設されている。

 ★
 滋野神社(新張)|
長野県東御市大字新張字滋野|しなの鉄道「滋野」駅

新張(みはり)にある神社。伝承では大同年間(806〜809年)に新治牧(勅旨牧)の牧監・滋野良成が創建したという。管理人未踏。

 
 白山比羊神社|
長野県上田市上田二ノ宮|しなの鉄道「上田」駅からバス「山口」下車後徒歩15分

神社の由緒によると、天平年間に能登の白山神社より分社されたといい、治承四年2月三日源義仲が戦勝祈願をしたとある。管理人未踏。
上田市HP(地図)

 
 長津瀬神社|
長野県上田市|しなの鉄道「大屋」駅からタクシー

長瀬の産土神で、創建は不明。地名を目で確認するのによいランドマーク。

 ★
 長瀬氏館跡(古城館)|
長野県上田市|しなの鉄道「大屋」駅からタクシー


木曽殿挙兵から最後まで付き従った長瀬判官代の居館跡と目される。ランドマークは延命寺で長瀬氏館跡石碑などがある(写真)が、遺構はもう少し上に上がっていったところにある(地図で言うと北東あたり)。



 ★
 開戸城址(丸子稲荷)|
長野県上田市|しなの鉄道「大屋」駅からタクシー


石碑に「
余戸郡鞠子表に出陣して開土城を築き 流旗を殿城山上に樹つ」とあり丸子での挙兵時に作られた城郭。西にはゆかりの小さな八幡社があるが、そこまでが敷地のようだ。


 
 長福禅寺|
長野県上田市中丸子字寺屋敷|しなの鉄道「大屋」駅からタクシー


木曽義仲霊勝地、とあるが詳細不明。。。

 
 蓮乗寺跡|
長野県上田市|しなの鉄道「大屋」駅からタクシー

木曽殿が建立したとも言われる。現在は廃寺となっており、面影は礎石が残る程度。

 ★
 安良居神社|
長野県上田市|上田電鉄別所線「下之郷」駅からバス、もしくは「大屋」駅からタクシー


読み方は「あらい」。依田川に面した山手にあり、かつては八幡神社といい木曽殿が創建とも伝わる。戦勝祈願に笠掛の矢を奉納といった伝承も残る。裏手の山は丸子城址といわれ、敷地左手から登る事ができる。

 ★★
 巴御前お歯黒の池|
長野県上田市御嶽堂|上田電鉄別所線「下之郷」駅からバス

巴御前の史跡だが詳細不明。京から逃れてきた巴がここでお歯黒を落としたという伝承がある。岩谷堂から400mほど南下すると「お歯黒の池」看板があるのでこれを右折、民家脇にあるので注意が必要…

 ★★★
 岩谷堂観音|
長野県上田市御岳堂字岩谷堂84|上田電鉄別所線「下之郷」駅からバス


龍洞山宝蔵寺は平安初期に比叡山3代座主・慈覚大師円仁によって開山。古代からの霊場で、観音堂のさらに上には岩谷堂岩窟古墳があり、曝葬という珍しい葬礼が行われていたがこれは閑話休題。地元では「岩谷堂観音」の名で通っている。木曽殿が戦勝祈願したといわれ、お手植えとも伝わる樹齢800年の名木「義仲桜」、また木曽殿が参拝する際に馬に乗ったまま通り抜けたという「義仲馬大門」址がある。桜は例年では4月中旬が見頃で、義仲桜以外にも沢山の桜が植えられ、花見の名所となっている。

 ★★★
 依田城址(宗竜寺)|
長野県上田市御嶽堂|上田電鉄別所線「下之郷」駅からバス

宗竜寺は室町時代に建てられた寺だが、その裏山が依田城址とされている。険しい山で見晴らしがよく、山頂は物見に使われたと思われ。登山途中に「扇の池」「源水井戸」などがあるが由来は不明…。
山頂までは30分〜1時間くらいで、山道はけっこうキツイが整備されている。



山頂からの眺め。依田川の流れがよく見える。この依田城とは別に「辰ノ口」バス停から「マレットゴルフ場」のさらに上あたりにも依田氏館址があるらしいが時代がワカラナイ。狼煙台なのかも。

 ★★★
 御岳神社(義仲館址)|
長野県上田市御嶽堂|上田電鉄別所線「下之郷」駅からバス

御岳神社は木曽殿が戦勝祈願したといわれる。

神社手前の左手の段々になった土地には「木曽義仲館址」の案内板がある。一見狭いが、元は三段構えになっていたらしい。近年整備された(写真は整備前)。

 
 依田神社|
長野県上田市御嶽堂403|上田電鉄別所線「下之郷」駅から上田バス西丸子線「御岳堂」下車

依田氏ゆかりの神社(氏神)だと思われるが、縁起・創建時期など不明。下之郷からバスで行った時のランドマークで、依田神社が見えたらすぐに「御岳堂」バス停。

 
 義仲挙兵の地|
長野県上田市御嶽堂|上田電鉄別所線「下之郷」駅からバス

伝・鎌倉街道の脇にある「木曽義仲挙兵の地」看板。丸子地区の木曽殿伝承地案内図のランドマーク。すぐ近くに「正海清水」「高築地館址」「小鍋立の湯跡」などがある。徒歩は「依田神社」向かって右のトンネルになってる上組の三叉路から西に入る。

 ★
 正海清水|
長野県上田市御嶽堂|上田電鉄別所線「下之郷」駅からバス
依田氏に飲料水として利用され、800年前の当時から今までずっと湧いている。一説によれば、木曽殿の息子義高は丸子で元服したのでこの清水から「清水(志水)冠者」と称したとか。

 ★
 高築地館址|
長野県上田市御嶽堂|上田電鉄別所線「下之郷」駅からバス

依田氏が、丸子に入った木曽殿に館を明け渡した後に移り住んだという。読みは「たかついじ」。「正海清水」から道路をはさんで南にある。

 
 小鍋立の湯|
長野県上田市御嶽堂|上田電鉄別所線「下之郷」駅からバス
小鍋立(こなべだち)の湯跡、木曾義仲史跡らしいが伝承の詳細不明。案内板によれば、ここの井戸水を沸かした湯で皮膚病を洗うと治る、という伝説があるらしい。すぐ左には黒地蔵と呼ばれる由緒ありげなお地蔵さまも。

 ★
 愛宕神社(三角)|
長野県上田市御嶽堂|上田電鉄別所線「下之郷」駅からバス


別名小太郎神社。海野小太郎がここで傘掛を行ったという。

 
 依田庄碑|
長野県上田市|上田電鉄別所線「下之郷」駅からバス

直接木曽殿に関係する碑ではないが、このあたり一帯が依田庄であったというランドマーク。依田氏の開発地で、吾妻鏡によれば文治の頃には前の斎院(式子内親王)御領だったとされる。

 ★
 飯沼神社|
長野県上田市生田|上田電鉄別所線「下之郷」駅からバス

依田氏支族・飯沼氏の氏神といわれる。竹ノ花五輪塔あたりにあったという八幡神社も現在はこちらに合祀されている。

 ★
 中城館址・御所|
長野県上田市生田飯沼|上田電鉄別所線「下之郷」駅からバス


飯沼氏の居館だったという。案内板によれば、木曽義仲に居館を譲った依田氏が義仲敗死後、この館に飯沼氏を名乗って移り住んだという。

 ★
 竹の花五輪塔|
長野県上田市|上田電鉄別所線「下之郷」駅からバス


飯沼氏(依田氏)の供養塔と伝わる五輪塔。中城からそう遠くない。こちらにも館址らしき遺構が残っている。




木曽殿聖地めぐり

は木曽殿聖地のオススメ度(5段階に変更)
「通好み
」「★★ちょっとオススメ」「★★★かなりイイ」「★★★★行くでしょ!」「★★★★★絶対行くでしょ!!」
さらに管理人が「木曽殿絶対ココに来た(気がする)」妄想認定した場所に3段階で
がついてます。無印は木曽軍メンバーや木曽軍と敵対した武将関連の土地や平家物語で登場するおなじみの場所、地元の伝承地、旅のお役立ち場所など。

大蔵★★
(武蔵嵐山ほか)
父・義賢の東国拠点で木曽殿出生の地。周辺は大蔵合戦の戦地。

木曽★★★★★
(宮ノ越〜木曽福島〜大桑〜南木曽)
木曽殿幼少より挙兵までの時間を過ごした谷。伝承地多数!

洗馬~塩尻峠~辰野
(洗馬〜塩尻〜小野〜辰野〜岡谷)
木曽~善光寺街道と諏訪のハブ地・洗馬、樋口本拠地辰野、岡谷の三角地帯。

諏訪
(茅野〜下諏訪〜上諏訪)
木曽軍に参戦した金刺氏ゆかりの地。木曽殿が滞在した伝承も。

伊那
(伊那〜飯田〜阿智)
木曽殿が駒ヶ岳を越えて戦を仕掛けた伝説がちょいちょい残る。

松本平★★★
(朝日村〜松本〜岡田)
信濃国国府があった中原氏依拠地。今井兼平の本拠と目される地もある。

会田・麻績・姥捨
(会田〜聖高原~姥捨)
旗揚げ後に小戦闘を繰り返しながら進軍した善光寺までのルート。

善光寺平★★★★
(屋代〜篠ノ井〜善光寺ほか)
横田河原合戦が繰り広げられ、初期参戦武将ゆかりの地も多数!

塩田平
(別所温泉)
会田から保福寺峠を抜け塩田平へ。別所温泉には塩田北条氏の史跡も。

海野〜丸子★★★
(上田〜丸子)
木曽殿が居城とした依田城・海野宿をハブに塩田、佐久、篠ノ井と広がる。

佐久平★★
(小諸〜望月〜佐久)
根井氏の本拠地。佐久から富岡街道を抜け多胡・児玉・大蔵に至る。

関寺〜直江津
(妙高高原〜直江津)
熊坂山に布陣後、妙高を抜け越後国府へ。北陸道進軍開始。

越中宮崎〜般若野★★
(親不知〜富山)
越中宮崎氏の本拠地〜呉羽山布陣〜般若野合戦古戦場までのルート。

砺波★★★★★
(小矢部〜倶利伽藍峠〜津幡)
木曽軍最大の合戦となった「砺波合戦(倶利伽藍峠)」古戦場。

小田中〜志雄
(氷見〜小田中〜志雄)
行家叔父の戦った志雄合戦の地。

金沢〜安宅/篠原★★★
(津幡〜金沢〜小松〜安宅/篠原)
安宅・篠原は平家軍と往復2度交戦。実盛最期が有名。

勝山〜今庄〜杉津★★
(勝山〜武生〜今庄〜杉津〜敦賀)
燧合戦のあった燧ヶ城、根井が戦った水津合戦の古戦場比定地ナド。

★★★★
(京都〜宇治〜八幡市)
木曽殿逗留地や祖父為義ゆかりの地など。宇治川、岩清水八幡も。

大津★★★★★
(逢阪関〜三井寺〜膳所〜大津)
木曽殿最期の地、粟津合戦古戦場。

室津|山陽道★★
(今宿〜三石〜和気〜吉備津〜水島)
西国下向した山陽道と大敗を喫した水島合戦場。オマケは室津=室山合戦地。

おまけ|瀬戸内
(尾道、大三島)
水島合戦の残党、木曽落人伝承が残る尾道、奉納鎧等が残る大三島など。


(神坂〜松本)
木曽殿ゆかりの桜を追いかけてみた!