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旗揚八幡宮(木曽義仲公館址)| 長野県木曽郡木曽町日義|JR中央本線「宮ノ越」駅から徒歩
木曽殿が元服しこの場所に館を構えた際に八幡宮を祀り、旗揚げの際戦勝祈願をしたと伝えられる。
案内板によると、かつて木曽には「義仲の七欅」と呼ばれるケヤキの巨木が7本あったとのことだが、現存するのは境内にあるケヤキのみ。境内のケヤキも12mあったが落雷で折れてしまったとのこと、少し残念だけどもしっかり太幹は残っている。
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南宮神社| 長野県木曽郡木曽町日義|JR中央本線「宮ノ越」駅から徒歩
祭神は金山彦命。
元は「古宮平」にあった村の鎮守であったのを、木曽殿が柏原(元々のこのあたり一帯の地名)に築城の折、美濃関ヶ原の南宮神社を分祠勧進してこの地に移して戦勝祈願所とした、と伝えられる。
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巴淵| 長野県木曽郡木曽町日義|JR中央本線「宮ノ越」駅から徒歩
山吹山の麓を流れる木曽川の淵で、巴状にうずをまくので巴ヶ淵と名付けられた。この淵に住む龍神が化身して巴御前となったという伝説が残り、淵の中程にある岩は「巴御前髪洗岩」とよばれる。左手にかかる橋を渡ると「南宮神社手洗水」、ここで清めてから南宮神社に参拝したという。
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山吹山| 長野県木曽郡木曽町日義|JR中央本線「宮ノ越」駅
山吹山は毎年8月14日に木曽殿にちなんだ「らっぽしょ」といわれる火祭りが行われる。(写真は「木」の字焼き)別名を「狼煙(のろし)山」といい、いつの時代かこの山から狼煙を上げていたという。巴淵はこの山吹山の南麓にあたる。
◇資料館
義仲館| 長野県木曽郡木曽町日義 290-2|JR中央本線「宮ノ越」駅
宮ノ越駅からまっすぐ歩き木曽川を渡るとすぐ。門をくぐると木曽殿&巴の像がお出迎え。木曽殿の生涯を説明する人形や絵の展示がある。郷土史家による木曽殿のレア書籍も販売されているのでこちらで手に入るかもしれない。宮ノ越駅前には何もないのでこの館前に自販機があるのは重要。休日?には義仲館の手前にある茶屋で軽食などがいただける。
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日照山徳音寺| 長野県木曽郡木曽町日義124-イ|JR中央本線「宮ノ越」駅
創建は仁安3年(1168年)、木曽殿が母・小枝御前を弔うために建立したという。「柏原寺」と呼ばれていたが、木曽殿没後遺徳を偲んで「徳音寺」と改名。木曽殿の法名は覚明が「徳音寺義山宣公大居士」と改めたという。「木曽義仲公霊廟」は木曽氏により建立、木曽殿の木像と一族の位牌が安置されており、その右の山手には木曽殿の墓を中心に今井、樋口、巴、小枝、木曽一族の墓がある。境内の「宣公郷土館」には伝樋口・伝今井・伝巴それぞれの直筆の手紙や、伝義仲公陣羽織、伝樋口甲などが展示されている。
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お玉の森(樋口館址)| 長野県木曽郡木曽町|JR中央本線「宮ノ越」駅
「お玉の森」の案内板が目印。案内板によれば、昔、義仲七本欅の一本がここにあり、付近からは平安時代の建物の遺構や遺物が出土。樋口兼光の館だったのではないかと目されている。大欅の切り株が残っていた。
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林昌寺| 長野県木曽郡木曽町日義原野4296|JR中央本線「原野」駅
中原兼遠が出家し開基したとされる寺。中原氏累代の墓地があり、「兼遠供養塔」がある。原野駅から徒歩10分、宮ノ越方向に歩いて途中右折、国道19号に出たら松沢の横断歩道を越えたところ。
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原野八幡| 長野県木曽郡木曽町原野|JR中央本線「原野」駅
原野駅を出てすぐ。原野八幡は木曽氏家臣が建立したと伝わる。元々はこの地に中世の館址があったといわれ、研究が待たれるところ。ここから左手に入って行くと明星岩登山口がある。
◇道の駅
日義木曽駒高原ささりんどう館| 長野県木曽郡木曽町日義4730-3|JR中央本線「原野」駅
国道19号沿いにある道の駅で中山道を歩く際の休憩にも丁度よく、軽食から定食まで食事もできる。明星岩を正面にのぞみながら湧き水をいただくのもなかなか。
http://www.michinoeki-kisokoma.jp/
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中原兼遠屋敷址・義仲元服松| 長野県木曽郡木曽町栗本|JR中央本線「原野」駅
中原兼遠の館があったという。旧中仙道から道標に従って少し歩き、線路を越えると小さい看板があり、この看板を背にしたあたり(現在は田んぼが広がる)一帯が館跡。さらに道なりに西?に進むともうひとつ道標があるのでそれに従うと「義仲元服の松」(写真左下)にたどりつける。さらにそこから2〜300m先に小さな竹やぶがあって「木曽中三権守殿塚碑」がある。
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荒神社| 長野県木曽郡木曽町|JR中央本線「原野」駅
案内板によると『木曽殿元服の際、播磨国新十郎が瀧倉三宝大荒神を背負って来てここに祀った』という。元はもっと奥の沢にあったのを現在の場所に移したとか。
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岩華観音| 長野県木曽郡木曽町日義木曽駒高原|JR中央本線「原野」駅からコミュニティバスまたは徒歩
別名を義仲馬頭観音とも呼ばれ、義仲が勧請したといわれる。木曽駒森林公園内。
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巴の松(陣立原)| 長野県木曽郡木曽町日義木曽駒高原|JR中央本線「原野」駅からコミュニティバスまたは徒歩
木曽文化公園内にある。このあたりは「陣立原」と呼ばれた高原で、木曽義仲と中原一族が馬場や練兵場として使っていたと伝えられる。昔この場所に巴の駒繋の松があったといい、現在はこの松を「巴の松」と呼んで愛している、というコトのようだ。
JR原野駅→おんたけ交通バス日義線で20分「文化公園入口」下車。
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長福寺| 長野県木曽郡木曽町福島|JR中央本線「木曽福島」駅
龍源山長福寺、創建は大宝2年(702年)薬師平付近に開かれたのが始まりだと伝えられ、後に木曽氏が中興し庇護した。木曽義仲の陣太鼓や馬具などがあった(義仲館に写真がある)が大火で焼失、巴の長刀と伝わる長刀が残っている。
⇒公式サイト
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興禅寺| 長野県木曽郡木曽町福島5659|JR中央本線「木曽福島」駅
木曽氏12代領主信道が木曽殿供養のために再興した。巴が木曽殿の遺髪を納めたといわれる宝篋印塔がある。また、境内には二代目になる義仲手植えのしだれ桜があり、見事な花が咲く(4月中旬)。供養塔は門からまっすぐ、つきあたったら右手。
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御霊神社| 長野県木曽郡木曽町福島|JR中央本線「木曽福島」駅
元は「五霊神社」と呼ばれ、木曽信道が木曽義仲と四天王を祀ったものという。中山道脇の「丘の上」(木曽青峰高校敷地)に氏神として祀られていたが、現在は町役場支所から上の段に行く途中に他の社と合祀されている。
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権現滝| 長野県木曽郡木曽町福島中畑城山権現沢|JR中央本線「木曽福島」駅
木曽殿が御嶽大権現に勧請・祈願した時に沐浴したとも、敵から逃れる為に滝裏に隠れたともいわれる。
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沓掛観音堂| 長野県|JR中央本線「上松」駅からバス
由緒によれば、木曽殿が木曽の棧で愛馬に「七十三間跳べ」と命じ、馬が跳んだところ実際は七十四間あったので人馬もろとも川に転落。木曽殿は助かり、馬の冥福を祈るため金の観音像を作り、堂を建てさせたという。国道19号から「沓掛一里塚」のある観音坂を上がった線路沿いにある。
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木曽の桟(かけはし)| 長野県|JR中央本線「上松」駅からバス
木曽八景のひとつ「木曽の桟(棧の朝霞)」中山道の難所で、川に対して平行に(ウッドデッキみたいなかんじで)架かっていた。東山道の難所だったため、木曽軍は挙兵後ここの守りを固めたと思われる。赤い橋が目印。
芭蕉先輩の句碑もある。
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寝覚の床| 長野県|JR中央本線「上松」駅
景勝「寝覚の床(ねざめのとこ)」。浦島太郎伝説があり、芭蕉先輩が詠んだ「義仲の寝覚めの山か月かなし」の「寝覚」がここだといわれる。
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木曽殿越| 長野県木曽郡上松町|
空木岳と東川岳の鞍部の地名で、木曾殿が伊那攻めの際に越えて行ったという伝承がある。「きそどのごし」とよむ。木曽殿山荘という山小屋近くに「義仲の力水」と呼ばれる清水が流れており、名水のペットボトル販売もしている。
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弓矢八幡神社| 長野県木曽郡大桑村大字長野字中山|JR中央本線「大桑」駅
八幡神社に「弓矢」という名称がつくことは珍しくないが、地名にも「弓矢」の名が残っている。が、八幡神社の本社は現在はこの弓矢地区ではなく隣の東地区にある。弓矢地区には旧中山道沿いの山手に「若宮神社」(八幡神社の分社)が祀られている。今井兼平と巴の館が弓矢地区にあったという伝承もあるが全く場所は分からない…。大桑は中山道の宿場であり、関所も置かれていた。
関所址| 長野県木曽郡大桑村大字長野字関山|JR中央本線「大桑」駅
国道19号山道沿いにあった。「関山」の地名が残る山中の隘路は木曽路における交通難所ポイントだったと思われ。一節によれば、木曽殿がここに関を置いたのが始まりだという。この先のモーテル址に石碑が放置プレイ。
楯守神社| 長野県南木曽町読書沼田|JR中央本線「南木曽」駅
木曽氏に関連がある祠だというが詳細は不明。。。円空仏がある。沼田には室町時代のものといわれる木曽氏ゆかりの五輪塔もあるらしい。管理人が行った時にはタイムオーバーで見つけられませんでした。。。写真もホラーになってしまい残念。 |
羅天の清水| 長野県南木曽町読書与川|JR中央本線「南木曽」駅
木曽義仲と巴御前の清水というがいわれは不明。このあたりは古く中山道羅天の難所と呼ばれ、難所を抜けた旅人がこの清水でのどを潤したという。昔は整備されていたらしいが現在は水も枯れており、地名が残るのみ。
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兜観音| 長野県南木曽町神戸|JR中央本線「南木曽」駅
由緒によれば、木曽殿の命で木曽谷の南の押さえとして妻籠に砦を築き、鬼門にあたるこの場所に祠を建てて、木曽殿の甲の八幡座の観音像を祀ったという。境内には木曽殿の「腰掛石」や、兜観音の右手高台には木曽殿が弓を射るのに邪魔となった松を巴が袖を振りなぎ払った、という伝承の「巴袖振りの松」があったのだが伐採され現在は切り株のみ。伐られた袖振の松は「水舟」に仕立てられ、兜観音の境内で水をたたえている。