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木曽殿聖地めぐり 洗馬〜松本平・塩尻辰野岡谷・諏訪 ★


★★
床尾神社|
長野県塩尻市宗賀床尾|JR中央本線「洗馬」駅から徒歩

由緒によれば「天孫神に逐われた健御名方命が越から諏訪へ向かう時にここを訪れ、牛鬼という賊を打ち払った」と伝えられ、健御名方命を祀ったところから、社の村を床尾村といった。木曽殿が挙兵しこの地を通る際に祈願奉納をしたといわれる。


義仲乗馬の足跡|
長野県塩尻市上小曽部罠沢口|JR中央本線「塩尻」駅から地域振興バス「すてっぷくん」
洗馬の興龍寺から小曽部川沿いに南下していくと、小曽部川清流のそばに蹄の形をした孔のあいた石がある。木曽殿の馬が清流に足を取られたがここで踏みとどまったという言い伝えがあるという。


義仲公宿り木|
長野県塩尻市上小曽部萱野森林公園内|「塩尻」駅から地域振興バス「すてっぷくん」終点から徒歩

小曽部川をたどってさらに東の森林公園に入り、山を登っていくと立派な木がある。由来は書いてないので、なぜ義仲公が宿っているのか分からないが立派なカツラ(木)がある。

★★
邂逅(あふた)の清水|
長野県塩尻市宗賀洗馬|JR中央本線「洗馬」駅

木曽殿が木曽で挙兵してここまで行軍してきた時、松本の今井から兼平が出迎えに来て、ここで出会ったという。同じ伝承を持つ「太田の清水」が洗馬にもう一ヶ所ある。

この近くに「洗馬の分され」碑があり、善光寺街道中山道が分岐している。


東漸寺|
長野県塩尻市洗馬上町|JR中央本線「洗馬」駅


東漸寺は文明13年(1481年)に愚底運公上人により開山されたという。愚底上人五代の祖・長瀬判官代はこの地を本貫とし、木曽殿の家の子として従った。元は長瀬判官代が祈願所として「至宝山西光寺」を建立したが、木曽殿滅亡後、兵火で失われ再興されず、その跡地(根木内)にこの寺が建てられたという。長瀬判官代の館がここにあったともいい案内板がある。


長興寺|
長野県塩尻市洗馬上町|JR中央本線「洗馬」駅


「青松山長興寺」。大永7年(1527年)に三村氏により菩提寺として創建された。敷地の裏手に「義仲母堂墓」がある。

★★
太田の清水|
長野県塩尻市洗馬上町|JR中央本線「洗馬」駅


案内によると「今井から駆けつけた兼平が義仲とここで会った。義仲の馬を兼平がこの清水で洗い元気を回復させた。」とあり、もうひとつのあふたのしみず=「邂逅の清水」と同じ伝承が伝わる。古道・善光寺街道から奈良井川を渡ったところにある。

★★
長瀬館(比定地)白山神社|
長野県塩尻市洗馬上町宗賀|JR中央本線「洗馬」駅から徒歩


長瀬判官代の館とも、長瀬一族の落ち延び先とも言われるが詳細は不明。この辺りは「長瀬集落」といい、今も一軒の長瀬さんがお住まいだとか。


槻井泉神社| 長野県東筑摩郡朝日村|JR篠ノ井線「広丘」駅からバス


清和天皇建立の神社といわれ、神社名に泉の字が入っているとおり大昔から泉が湧いていたという。

★★
光輪寺薬師堂|
長野県東筑摩郡朝日村|JR篠ノ井線「広丘」駅からバス


行基が開山したという。治承4年(1180年)木曽殿が中興し、堂宇を建立。木曽殿の位牌が安置され、木曽殿の書状が寺宝とされているとか。境内にあるしだれ桜は義仲手植えといい、現在は二代目(一代目は明治に枯死)。左手奥の山中に「兼平嗽の井戸」という清水があるが行くのは大変らしい。

現在の「光輪寺」。薬師堂から2〜300mくらい北にある。こちらも桜の名所。


足無様|
長野県東筑摩郡朝日村|JR篠ノ井線「広丘」駅からバス

幼少の木曽殿を捕えにきた悪源太義平の家来がここで足を痛めて亡くなったという伝承がある。

入口は狭くて少し分かりづらい、これが目印。駐車場など広いスペースがないので注意。


義仲の硯水|
長野県塩尻市|JR中央本線「奈良井」または「薮原」駅から徒歩


中山道古道を登って鳥居峠を少し下がったところにある。案内板によると、木曽殿が宮ノ越で旗揚げをし北国へ向かう途中、鳥居峠を越えるときに戦勝祈願を書き、御嶽山に奉納した時の硯水と伝わる、という。薮原宿から奈良井宿までを中山道古道が自然歩道で歩けるようになっており、江戸時代に敷かれた石畳もところどころ残されている。「鳥居」峠の名前の由来である鎮神社鳥居址(と想われる場所)に鳥居と神社があり(写真右)木曽殿足跡を辿る気分も上がる。トレッキング装備がオススメ。


鎮神社|
長野県塩尻市|JR中央本線「奈良井」駅から徒歩


奈良井宿の山道にはいる場所にある。案内板に「奈良井・川入の氏神で経津主神。寿永から文治のころ、中原兼遠が鳥居峠に建立、天正年間にいたり奈良井氏が現在地に移した」とある。
奈良井宿で宿場町の観光・食事もできるので便利。五平餅オススメ。



阿礼神社|
長野県塩尻市|JR中央本線「みどり湖」駅、または「塩尻」駅からコミュニティバス

信濃国式内社のひとつ。社伝によれば、治承年間は木曾殿の尊信厚く祈願所とされ、柏原(宮ノ越)にも分社された。木曾殿没後、柏原の分社は今井氏・高梨氏子孫により上野国の木曽三社神社に移されたのだという。


塩尻宿
長野県塩尻市|JR中央本線「みどり湖」駅、または「塩尻」駅からコミュニティバス

中山道の宿のひとつ、塩尻宿。平安時代の頃はまだ中山道は整備されていないが、塩尻は北陸から続く塩の道の終点でもあり、当時も東西南北へのハブステーションだったとは思う。。。


慈眼山永福寺|
長野県塩尻市|「みどり湖」駅

木曾殿が信仰したという馬頭観世音(朝日観音)を本尊とし、子孫が元禄10年(1702年)に建立したという。観音堂はお堂を左手にいった先にある(写真左)。


小野/矢彦神社|
長野県上伊那郡辰野町大字小野|JR中央本線「小野」駅(塩尻から辰野方面)


矢彦神社縁起に「高倉天皇の御代、木曽義仲かねて源家再興を当社に祈願、木曽谷から家人を参詣させていたが、寿永年中平氏追討の軍を本社にそろえて戦勝を祈願し大勝した。そこで義仲は、宮材を木曽山林から伐り出し、社殿を造営し、祈願が成就したお礼参りをした。式年造営材が、寿永年間から慶応3年(1867年)に及ぶ約七百年にわたって木曽山林から出材された典例は、ここから始まった。ついで義仲は、川中島の小布施外六カ郷を神領に寄進した」という。



向かって右にあるのが小野神社。元は矢彦神社とひとつだったという。木曽殿が戦勝祈願をし、砺波合戦の礼として社殿を再建したといい、それにちなんで牛に松明をつけて遷宮式をしたとか。

 
 今井十五社神社|
長野県岡谷市|JR中央本線「岡谷」駅からコミュニティバス
岡谷の北、今井にある旧郷社。このあたりも地名を今井といい、今井兼平ゆかりという説もある。

 
 照光寺|
長野県岡谷市|JR中央本線「岡谷」駅から徒歩15分

文明年間(1469〜86年)に今井兼平の末孫今井兵部兼貫が堂宇を再建した。今井氏の菩提寺でもある。

 
 新倉観音堂|
長野県岡谷市川岸|JR飯田線「川岸」駅



新倉(あらくら)観音堂。境内のしだれ桜は木曽殿お手植えともいわれる。例年、四月の第一土曜日にお祭がある。


新倉毘沙門堂|
長野県岡谷市川岸|JR飯田線「川岸」駅

毘沙門天が祀られており、一節には木曽殿が甲に入れて信仰していた木像が納められているとも。本堂の前庭の大きな杉は、市の天然記念物になっている


平出牧|
長野県上伊那郡辰野町|JR中央本線「辰野」駅

辰野駅の東側一帯が平出(ひらいで)の牧と推定。牧の南には「樋口」の地名があり、樋口兼光の本拠地だったといわれる。

★★
荒神社(香蓮寺址)|
長野県上伊那郡辰野町樋口|JR飯田線「荒神山」駅

荒神山中腹にある。案内板によれば、弘仁元年(1261)、権大僧都・明山法印が香蓮寺を開山、弘法大師作の三面六臂の像を神爾とし寺の鎮護神として荒神社が祀られた。木曽義仲の四天王の一人樋口次郎兼光もこの社に戦勝祈願をしており、戦国時代には子孫である樋口氏が守護神とした。

 
樋口内城址|
長野県上伊那郡辰野町樋口|JR飯田線「荒神山」駅

荒神山のふもと、高速道路側にあったという。高速道路建設の際に主郭や堀切などが確認され、主郭からは中世の遺構・遺物が発見された。場所からみて樋口氏の館であったかもしれないが文献等残されておらず不明。

 
 樋口兼光墓|
長野県上伊那郡辰野町樋口|JR飯田線「荒神山」駅



辰野町にある樋口兼光の墓。樋口氏子孫によって建てられたもの。何故この場所にあるのかは勉強不足で不明。左の写真はお墓に行く目印。

★★
諏訪大社下社秋宮|
長野県諏訪郡下諏訪町|JR中央本線「下諏訪」駅



諏訪大社は上社と下社があり、中世にはそれぞれ「諏訪氏(上社)」「金刺氏(下社)」が大祝を務めた。下社では春と秋で春宮・秋宮を神様が移動(御舟祭)する。大祝金刺盛澄は木曽殿を婿に迎えた(「諏訪大明神画詞」による)という。7年に1度(ホントは6年)行われる奇祭「御柱祭」が有名。

★★
霞ヶ城(手塚城)址|
長野県諏訪郡下諏訪町|JR中央本線「下諏訪」駅


斎藤実盛の首を取った手塚太郎金刺光盛の館があったといわれる。古くは山王台と呼ばれた山王社を祀った台地。諏訪大社下社の秋宮のすぐ右手にあり、ホテル(山王閣)になってるので通り過ぎてしまいそうになるので注意。
ホテル前の駐車場中ほどに金刺盛澄像がある。


唐糸万寿姫供養塔|
長野県諏訪郡下諏訪町|JR中央本線「下諏訪」駅


手塚光盛の娘・唐糸とその娘・万寿の供養塔といわれている。「御伽草紙」にある話に登場する人物で、木曽殿の命令で鎌倉の動向をさぐっていた唐糸が頼朝に捕えられる(鎌倉に「唐糸やぐら」という捕えられていたとする横穴牢跡がある)。万寿が得意の舞で頼朝に褒められ、褒美に母を赦免してもらい母娘共に鎌倉を去った。

★★
桜ヶ城址|
長野県諏訪郡下諏訪町|JR中央本線「下諏訪」駅



金刺盛澄の城といい、曲輪、土塁、堀切などの残る山城。「駒王坂」「義仲やぐら」など木曽殿にちなんだ地名が残る。


下諏訪宿(旧中山道)|
長野県諏訪郡下諏訪町|JR中央本線「下諏訪」駅

中山道の面影が残る宿場で、温泉宿もある。木曽殿の頃には中山道はまだ整備されていないとはいうものの、甲斐へ通じる道としてはあったと思われ。

★★
諏訪大社下社春宮|
長野県諏訪郡下諏訪町|JR中央本線「下諏訪」駅




山吹城址|
長野県諏訪郡下諏訪町|JR中央本線「下諏訪」駅

山城で、若干の土塁等が残っているとか。諏訪から北に伸びる中山道を監視するような分岐地点の東の山中にある。
金刺氏が作ったといわれている。


梶原塚|
長野県茅野市|JR中央本線「茅野」駅


金刺盛澄が、梶原景時の恩義に報いる為にたてた塚。木曽殿滅亡後鎌倉御家人となって、鎌倉殿の勘気により難題を出された盛澄を景時が助言して救ったことによるという。

 
金刺氏居館址|
長野県茅野市|JR中央本線「茅野」駅


下諏訪中学校が金刺氏の居館跡。下諏訪商工会議所の案内では「信濃国造の金刺氏が諏訪郡領として着任したのは長地中屋の榎垣外遺跡付近と言われる。のち東山田に移住して春宮の祭神を司ったが、居館を霞ヶ城の下に移し、秋宮を造って定着した。いずれも横河川の洪水地帯から逃れ、下諏訪の高台に居館を定めたものであろう。」とのこと。近くに犬追物を催していたという「犬射馬場跡」があるが、写真はその犬射馬場跡碑のあるお地蔵さんの祠。


諏訪大社上社前宮|
長野県茅野市宮川2030|JR中央本線「茅野」駅



★★
諏訪大社上社本宮|
長野県諏訪市中洲宮山1|JR中央本線「茅野」駅





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木曽殿聖地めぐり index

は木曽殿聖地のオススメ度(5段階に変更)
「通好み
」「★★ちょっとオススメ」「★★★かなりイイ」「★★★★行くでしょ!」「★★★★★絶対行くでしょ!!」
さらに管理人が「木曽殿絶対ココに来た(気がする)」妄想認定した場所に3段階で
がついてます。無印は木曽軍メンバーや木曽軍と敵対した武将関連の土地や平家物語で登場するおなじみの場所、地元の伝承地、旅のお役立ち場所など。

武蔵〜鎌倉★★
(武蔵嵐山ほか)

木曽★★★★★
(木曽〜大桑)

洗馬-諏訪
(洗馬-松本平・塩尻辰野岡谷・諏訪)

伊那-美濃
(伊那-飯田-阿智-美濃)

松本平-塩田平★★★
(朝日-松本-岡田・会田-麻績・姥捨・別所温泉)

善光寺平-★★★★
(屋代〜篠ノ井〜善光寺ほか)

海野丸子-佐久平★★★
(上田-丸子・小諸-望月-佐久)

直江津-般若野
(妙高高原-直江津-親不知-越中宮崎-般若野)

砺波-志雄★★★★★
(小矢部〜倶利伽藍峠〜津幡)

安宅篠原-敦賀★★★
(津幡〜金沢〜小松〜安宅/篠原)

大津-京★★★★
(逢阪関-三井寺-膳所-大津・京都-宇治-八幡市)

室津/瀬戸内(おまけ)★★
(今宿〜三石〜和気〜吉備津〜水島)