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木曽殿聖地めぐり【7】 塩田平-佐久平


 ★★
 諏訪形荒神宮(参上神社)|
長野県上田市諏訪形|上田電鉄別所線「城下」駅


由来によると『出陣に際し、木曽義仲に荒神宮像を託された今井が木曽一族の武運を祈った』といい、今井氏の末裔が社を建てたといれれる。
境内左手奥に「今井四郎兼平古蹟」があり、社殿裏には由来は不明だが鎌倉時代とされる五輪塔があり興味深い。ちなみに「参上神社」と「荒神宮」は別々の神社だけども境目はない


 
 小牧城址|
長野県上田市諏訪形|上田電鉄別所線「城下」駅
小牧山の中腹にある城址は中世に使われていた可能性がある(山上は戦国時代)。


 
 生島足島神社|
長野県上田市富士山中組|上田電鉄別所線「下之郷」駅

創建はいつかは不明だが、大同元年(806年)に神戸(神社奉仕する封戸)を寄進されており、これより古くに建てられたと思われ。境内にある夫婦欅は樹齢800年といわれ、大変古く珍しい。木曽殿に関係ある伝承はない。



 ★
 巴・山吹五輪塔|
長野県上田市富士山中組|上田電鉄別所線「下之郷」駅
巴と山吹のものと伝わる供養塔があると聞いているが管理人未踏。


 
 手塚五輪塔|
長野県上田市手塚|上田電鉄別所線「舞田」駅
西塩田手塚堰口(せんげぐち)地区にある民家の庭にあるらしい。。。


 
 手塚神社|
長野県上田市手塚|上田電鉄別所線「舞田」駅

貞観十年(868年)に山城国八幡宮より勧進、とありこの土地の産土神。このあたり一帯が手塚という地名で、手塚太郎光盛はこのあたりに住んでいたともいわれる。元々は神社の山をさらに左手に登ったところに社殿があったといい、石碑が残る。


 
 塩野神社|
長野県上田市|上田電鉄別所線「舞田」駅
舞田駅から北上、県道177号をさらに北東に進んで布施製材所を越えて左折。
もしくはオレンジバス西塩田コース「舞田」バス停下車。

 
 塩田館址|
長野県上田市前山309|上田電鉄別所線「三好町」駅
塩田北条氏の館址。1277年に北条義政がこの地に築き、後に村上氏(義清)→武田氏重臣と移り変わっていった。近くにある「塩田の館」に塩田城の出土品コーナー、以前は新町にあったという手塚光盛の馬蹄跡がついたという「馬の足跡の橋」がある。


 ★
 八幡大神縣社|
長野県上田市|上田電鉄別所線「三好町」駅
木曽殿が行軍途中に戦勝祈願したという。


 
 八木沢天満宮|
長野県上田市|上田電鉄別所線「八木沢」駅

享保(江戸時代)の頃、八木沢に住む手塚氏の末裔・治郎左衛門が木曽義仲を顕彰した古碑がある。
八木沢駅から北西方面に1km、県道177号を越えて北上、徒歩15分くらい。
同所は手塚大城だったといい、「唐糸観音堂」もあるとか。


 
 大湯(葵の湯)|
長野県上田市|上田電鉄別所線「別所温泉」駅
別所温泉の三湯のひとつ、大湯。別名「葵の湯」として親しまれている。吉川英治の新平家物語の一節に、手傷を負った葵と義仲がランデブーしたのがこの湯とのこと。硫黄泉でお肌トゥルトゥル。

 ★
 将軍塚|
長野県上田市|上田電鉄別所線「別所温泉」駅

こんもりとした塚自体は古墳期の豪族のもの。別名を「維茂塚」といい、余呉将軍平維茂を祀ったと言い伝えられている。後に横田河原で木曽軍と合戦する城氏は「越後国には余五将軍の末葉」と紹介されており、維茂の子孫だという。木曽殿と直接の関係はないけども、ここを通っていれば古墳を目にしたかもしれない。


 
北向観音|
長野県上田市別所温泉1666|上田電鉄別所線「別所温泉」駅




天長2年(825年)慈覚大師によって建立されたという。木曽義仲挙兵の際に消失し。後に源頼朝が再興、さらにその後には北条義政及び代々の上田城主より寺領の寄進があった、とある。芸能のご利益があるといい芸能人の奉納も多い。境内には愛染カツラ(市指定天然記念物)があり小説のモデルになったとか。善光寺にお参りしたらこの北向観音にも参らないと「片参り」になってしまうといわれる、隠れた名所。

 
 信濃国分寺址|
長野県東御市本海野|しなの鉄道「大屋」駅

奈良時代に設置された国分寺・国分尼寺の址で、天慶の乱(平将門の乱)の際に消失したという。国分寺を見たら国府が近い、というのが定石だけども平安時代の頃には信濃国国府は松本に遷っていた。現在、発掘された礎石等が展示されており、資料館が併設されている。

 ★★
 滋野神社(和)|
長野県東御市本海野|しなの鉄道「大屋」駅

「和(かのう)」地区にある滋野神社で、滋野氏の氏神といわれる。別に祢津にも滋野神社があり、共に八幡大神を祀っている。元は産土神を祀っていた場所に石清水八幡宮を分柱し、お祀りしたと縁起にあり、木曽義仲が戦勝祈願の折にボケの木を植樹したとも伝えられる。

 ★
 海野館址|
長野県東御市本海野|しなの鉄道「大屋」駅

マッタク跡形もなく、碑や案内板もないが、海野郵便局近くの台になっている土地が海野館址と目されている。駐車場の写真は馬場があったんじゃないかとされるあたり。館跡の南に高低差があるのがわずかにソレっぽい。

 
 海野宿|
長野県東御市本海野|しなの鉄道「田中」駅

北国街道「海野宿」の宿場町。宿場内にある「海野宿歴史民俗資料館」でも海野氏について触れられている。海野宿入口には海野氏の氏神「白鳥神社」があり、また、南を流れる千曲川岸が「白鳥河原」と目される。もっと海野氏推ししてくれていいのに。。。しなの鉄道田中駅から上田方面に向かって徒歩25分。


 ★★★
 白鳥神社(白鳥河原)|
長野県東御市本海野1204-1|しなの鉄道「田中」駅


海野氏の氏神であったと伝えられ、日本武尊命とともに海野氏祖の貞元親王・善淵王・海野広道公を祭神とする。正面に千曲川が流れており、この河原(白鳥河原)で木曽軍が城氏との戦に臨んで挙兵したという。

 
 興善寺|
長野県東御市本海野|しなの鉄道「大屋」駅


海野氏の菩提寺で永正10年(1513年)に真田幸義に建てられた寺。境内に鎌倉時代に海野氏によって建立されたという廃海善寺・石塔基礎や、海野氏の祖・善淵王が腰掛けたという伝説のある御座石が移設されている。

 ★
 滋野神社(新張)|
長野県東御市大字新張字滋野|しなの鉄道「滋野」駅

新張(みはり)にある神社。伝承では大同年間(806〜809年)に新治牧(勅旨牧)の牧監・滋野良成が創建したという。管理人未踏。

 
 白山比羊神社|
長野県上田市上田二ノ宮|しなの鉄道「上田」駅からバス「山口」下車後徒歩15分

神社の由緒によると、天平年間に能登の白山神社より分社されたといい、治承四年2月三日源義仲が戦勝祈願をしたとある。管理人未踏。
上田市HP(地図)

 
 長津瀬神社|
長野県上田市|しなの鉄道「大屋」駅からタクシー

長瀬の産土神で、創建は不明。地名を目で確認するのによいランドマーク。

 ★
 長瀬氏館跡(古城館)|
長野県上田市|しなの鉄道「大屋」駅からタクシー


木曽殿挙兵から最後まで付き従った長瀬判官代の居館跡と目される。ランドマークは延命寺で長瀬氏館跡石碑などがある(写真)が、遺構はもう少し上に上がっていったところにある(地図で言うと北東あたり)。



 ★
 開戸城址(丸子稲荷)|
長野県上田市|しなの鉄道「大屋」駅からタクシー


石碑に「
余戸郡鞠子表に出陣して開土城を築き 流旗を殿城山上に樹つ」とあり丸子での挙兵時に作られた城郭。西にはゆかりの小さな八幡社があるが、そこまでが敷地のようだ。


 
 長福禅寺|
長野県上田市中丸子字寺屋敷|しなの鉄道「大屋」駅からタクシー


木曽義仲霊勝地、とあるが詳細不明。。。

 
 蓮乗寺跡|
長野県上田市|しなの鉄道「大屋」駅からタクシー

木曽殿が建立したとも言われる。現在は廃寺となっており、面影は礎石が残る程度。

 ★
 安良居神社|
長野県上田市|上田電鉄別所線「下之郷」駅からバス、もしくは「大屋」駅からタクシー


読み方は「あらい」。依田川に面した山手にあり、かつては八幡神社といい木曽殿が創建とも伝わる。戦勝祈願に笠掛の矢を奉納といった伝承も残る。裏手の山は丸子城址といわれ、敷地左手から登る事ができる。

 ★★
 巴御前お歯黒の池|
長野県上田市御嶽堂|上田電鉄別所線「下之郷」駅からバス

巴御前の史跡だが詳細不明。京から逃れてきた巴がここでお歯黒を落としたという伝承がある。岩谷堂から400mほど南下すると「お歯黒の池」看板があるのでこれを右折、民家脇にあるので注意が必要…

 ★★★
 岩谷堂観音|
長野県上田市御岳堂字岩谷堂84|上田電鉄別所線「下之郷」駅からバス


龍洞山宝蔵寺は平安初期に比叡山3代座主・慈覚大師円仁によって開山。古代からの霊場で、観音堂のさらに上には岩谷堂岩窟古墳があり、曝葬という珍しい葬礼が行われていたがこれは閑話休題。地元では「岩谷堂観音」の名で通っている。木曽殿が戦勝祈願したといわれ、お手植えとも伝わる樹齢800年の名木「義仲桜」、また木曽殿が参拝する際に馬に乗ったまま通り抜けたという「義仲馬大門」址がある。桜は例年では4月中旬が見頃で、義仲桜以外にも沢山の桜が植えられ、花見の名所となっている。

 ★★★
 依田城址(宗竜寺)|
長野県上田市御嶽堂|上田電鉄別所線「下之郷」駅からバス

宗竜寺は室町時代に建てられた寺だが、その裏山が依田城址とされている。険しい山で見晴らしがよく、山頂は物見に使われたと思われ。登山途中に「扇の池」「源水井戸」などがあるが由来は不明…。
山頂までは30分〜1時間くらいで、山道はけっこうキツイが整備されている。



山頂からの眺め。依田川の流れがよく見える。この依田城とは別に「辰ノ口」バス停から「マレットゴルフ場」のさらに上あたりにも依田氏館址があるらしいが時代がワカラナイ。狼煙台なのかも。

 ★★★
 御岳神社(義仲館址)|
長野県上田市御嶽堂|上田電鉄別所線「下之郷」駅からバス


御岳神社は木曽殿が戦勝祈願したといわれる。

神社手前の左手の段々になった土地には「木曽義仲館址」の案内板がある。一見狭いが、元は三段構えになっていたらしい。近年整備された(写真は整備前)。

 
 依田神社|
長野県上田市御嶽堂403|上田電鉄別所線「下之郷」駅から上田バス西丸子線「御岳堂」下車

依田氏ゆかりの神社(氏神)だと思われるが、縁起・創建時期など不明。下之郷からバスで行った時のランドマークで、依田神社が見えたらすぐに「御岳堂」バス停。

 
 義仲挙兵の地|
長野県上田市御嶽堂|上田電鉄別所線「下之郷」駅からバス

伝・鎌倉街道の脇にある「木曽義仲挙兵の地」看板。丸子地区の木曽殿伝承地案内図のランドマーク。すぐ近くに「正海清水」「高築地館址」「小鍋立の湯跡」などがある。徒歩は「依田神社」向かって右のトンネルになってる上組の三叉路から西に入る。

 ★
 正海清水|
長野県上田市御嶽堂|上田電鉄別所線「下之郷」駅からバス
依田氏に飲料水として利用され、800年前の当時から今までずっと湧いている。一説によれば、木曽殿の息子義高は丸子で元服したのでこの清水から「清水(志水)冠者」と称したとか。

 ★
 高築地館址|
長野県上田市御嶽堂|上田電鉄別所線「下之郷」駅からバス

依田氏が、丸子に入った木曽殿に館を明け渡した後に移り住んだという。読みは「たかついじ」。「正海清水」から道路をはさんで南にある。

 
 小鍋立の湯|
長野県上田市御嶽堂|上田電鉄別所線「下之郷」駅からバス
小鍋立(こなべだち)の湯跡、木曾義仲史跡らしいが伝承の詳細不明。案内板によれば、ここの井戸水を沸かした湯で皮膚病を洗うと治る、という伝説があるらしい。すぐ左には黒地蔵と呼ばれる由緒ありげなお地蔵さまも。

 ★
 愛宕神社(三角)|
長野県上田市御嶽堂|上田電鉄別所線「下之郷」駅からバス


別名小太郎神社。海野小太郎がここで傘掛を行ったという。

 
 依田庄碑|
長野県上田市|上田電鉄別所線「下之郷」駅からバス

直接木曽殿に関係する碑ではないが、このあたり一帯が依田庄であったというランドマーク。依田氏の開発地で、吾妻鏡によれば文治の頃には前の斎院(式子内親王)御領だったとされる。

 ★
 飯沼神社|
長野県上田市生田|上田電鉄別所線「下之郷」駅からバス

依田氏支族・飯沼氏の氏神といわれる。竹ノ花五輪塔あたりにあったという八幡神社も現在はこちらに合祀されている。

 ★
 中城館址・御所|
長野県上田市生田飯沼|上田電鉄別所線「下之郷」駅からバス


飯沼氏の居館だったという。案内板によれば、木曽義仲に居館を譲った依田氏が義仲敗死後、この館に飯沼氏を名乗って移り住んだという。

 ★
 竹の花五輪塔|
長野県上田市|上田電鉄別所線「下之郷」駅からバス


飯沼氏(依田氏)の供養塔と伝わる五輪塔。中城からそう遠くない。こちらにも館址らしき遺構が残っている。


 
布引観音(布引山釈尊寺)|
長野県小諸市大久保2250|しなの鉄道「小諸」駅からバス

行基創建という。断崖絶壁にかかる観音堂は重文。「牛にひかれて善光寺参り」の話で有名なお寺で⇒牛に化身した観音さまが強欲婆を善光寺に連れていって改悛させた。西行が修行した洞などがあり。残念ながら管理人未踏。。


 
小諸城址(懐古園)|
長野県小諸市丁311|しなの鉄道「小諸」駅から徒歩5分


現在の小諸城は小室氏を追放した大井氏が建てたものだが、城址の東には元々小室光兼の館があったといわれる(未検証)。懐古園は一応そのランドマークということで。観光として訪れるだけでも楽しい。本丸北の地獄谷と南の谷は天然の谷で、地質ももろくかなり見応えがある。


 
大室神社|
長野県小諸市大字諸字窪屋敷597|しなの鉄道「小諸」駅から徒歩


成立は不明だが諸の産土神。麓に湧いている「弁天清水」は長野県湧水百選に選ばれており地元の方々に飲料水として愛されている。


 
大室城址(富士見城)|
長野県小諸市大字諸|しなの鉄道「小諸」駅


小諸高原美術館から遊歩道を通って行ける。城自体は後世、大井氏が作ったものと思われるが。。。(立地上、その前は小諸氏の物見であったと思われる))


 
東山道清水駅(うまや)跡|
長野県小諸市大字諸|しなの鉄道「小諸」駅


東山道の清水駅推定地。近くにある「弁天清水」など、小諸周辺には古代から多数の湧水ポイントがあったという。


 
弁天宮/土井の池|
長野県小諸市大字諸|しなの鉄道「小諸」駅

清水冠者元服の伝承がある。管理人未踏。



望月宿|
長野県佐久市望月|JR小海線「佐久平」駅からバス


望月氏の本拠地「望月の牧」は、現在の「望月宿」のあたりを中心にして東西南北に広がっていた。旧中山道の面影を残す静かなたたずまいで、望月城址からも近いので、ついでに寄ってみるのもいいかも。おやきやB級グルメもある。


 ★
城光院|
長野県佐久市望月|JR小海線「佐久平」駅からバス

城光院自体は文明7年(1475年)創建で歴代望月氏の菩提寺。寺敷地はもともと望月氏の館だったといい、背後の山には望月城があった。


 ★
望月城址|
長野県佐久市望月|JR小海線「佐久平」駅からバス 




 
瓜生坂|
長野県佐久市望月|JR小海線「佐久平」駅からバス

中山道の難所。望月城に行くにはここを通らなければならなかった。ちなみにメイン街道・東山道は小諸の方(ここより北の県道79号線)を通っていたと推定されている。


 ★★
矢嶋の五輪塔(宝泉寺)|
長野県佐久市矢嶋|JR小海線「佐久平」駅からバス



矢嶋集落は根井一族・矢嶋氏の本拠地だったといい、宝泉寺は矢嶋四郎行忠が開祖といわれる。五輪塔は室町期に作られたのもので、矢嶋氏が先祖供養のために建てたという。


 ★★
矢嶋城址|
長野県佐久市矢嶋|JR小海線「佐久平」駅からバス



八島四郎行忠の居城であったと伝わる。


 
高良神社(八幡神社)|
長野県佐久市窪田|JR小海線「佐久平」駅からバス


由緒によれば「伝承に貞観元年滋野貞秀公よる創建といわれ望月三郎公は鬼門除の神として信仰された。「吾妻鏡」に「佐久八幡宮御前二十騎」とあるを見ても当時の武将の 崇敬の厚かった事が偲ばれ」るとあり、滋野氏の本拠地であることは間違いない。延徳3年(1491)望月城主滋野遠江守光重により御牧郷総社として建立された建造物は木曽殿関連ではないのだが国重文だけあってかなり見ごたえがある。



 ★
駒形神社|
長野県佐久市塚原字新城|JR小海線「佐久平」駅からバス


こちらも滋野一族・根井氏の牧場経営の痕跡を残す神社。社名から駒形神人(神馬を扱う特殊職)と関連があるともいわれ、本殿は南北朝時代に建立されたものが国重文、はたまた城郭の要素もあり見所満載。


 ★
諏訪神社(落合館址?)|
長野県佐久市鳴瀬落合|JR小海線「佐久平」駅からバス


時宗寺の右手を上がっていくと崖上に見えるので城と言われれば納得。千曲川支流の河岸段丘の地形を利用しており、「落ち合い」は川由来の地名と思われるので落合五郎の館だったかどうかは謎。



 ★★
根井館址・行親供養塔(正法寺)|
長野県佐久市根々井|JR小海線「佐久平」駅からバス





 ★
今井城址|
長野県佐久市今井|JR小海線「佐久平」駅からバス




 
新海三社神社|
長野県佐久市田口|JR八ヶ岳高原線「臼田」駅




 ★★★
楯親忠館址|
長野県南佐久郡佐久穂町舘|JR八ヶ岳高原線「海瀬」駅




 ★★★
大影(大涯)城址|
長野県南佐久郡佐久穂町大日向|JR八ヶ岳高原線「海瀬」駅






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木曽殿聖地めぐり index

は木曽殿聖地のオススメ度(5段階に変更)
「通好み
」「★★ちょっとオススメ」「★★★かなりイイ」「★★★★行くでしょ!」「★★★★★絶対行くでしょ!!」
さらに管理人が「木曽殿絶対ココに来た(気がする)」妄想認定した場所に3段階で
がついてます。無印は木曽軍メンバーや木曽軍と敵対した武将関連の土地や平家物語で登場するおなじみの場所、地元の伝承地、旅のお役立ち場所など。

武蔵〜鎌倉★★
(武蔵嵐山ほか)

木曽★★★★★
(木曽〜大桑)

洗馬-諏訪★★
(洗馬-松本平・塩尻辰野岡谷・諏訪)

伊那-美濃
(伊那-飯田-阿智-美濃)

松本平-姥捨★★★
(朝日-松本-岡田・会田-麻績・姥捨)

善光寺平★★★★
(屋代〜篠ノ井〜善光寺ほか)

塩田平-佐久平★★★
(別所温泉-丸子海野-小諸-望月-佐久)

直江津-親不知★★★★
(妙高高原-直江津-親不知)

砺波/志雄★★★★
(越中宮崎-般若野-倶利伽藍峠-津幡/志雄)

金沢-敦賀★★★
(金沢-小松-安宅/篠原-杉津-敦賀)

大津-京★★★★★
(逢阪関-三井寺-膳所-大津・京都-宇治-岩清水-難波)

水島/室津★★
(今宿〜三石〜和気〜吉備津〜水島/室津・瀬戸内)