木曽殿聖地めぐり【9】 砺波/志雄
鹿嶋神社| 富山県下新川郡朝日町宮崎|JR信越本線「越中宮崎」駅
現在の神社は常陸国一之宮の鹿嶋神宮から分社されたもの。元は沖の島に祀られた舟止明神が、島の浸食のために現在の場所に移されたものだという。宮崎城(または国府)の鬼門除けとされ、また佐味郷の氏神とされていた。木曽殿が奉納をしたとも聞くが詳細不明。
境内裏手かに宮崎城への登山口があるので、徒歩の方はこちらから登るのをオススメ。
宮崎城址| 富山県|JR信越本線「越中宮崎」駅
宮崎佐美太郎長康が寿永年間に築城したといわれ、城の三の郭比定地には宮崎太郎長康供養塔と北陸宮の御墳墓がある。山頂からは寒原(親不知)を臨むことができる山城。
脇子八幡宮| 富山県下新川郡朝日町横尾966|JR北陸本線「泊」駅
治承年間に木曽殿が脇子八幡の社殿近くに御所を造営し、北陸宮を置き奉ったという。宮崎城から下りてきたふもとの平地にあたる。現在は水害があったために移設したとのことで元あった場所とは違うので注意。
境内にある「弁慶の足跡」石。黒部から一跨ぎしたらついたという。
じょうべのま遺跡| 富山県下新川郡入善町田中790|JR北陸本線「入善」駅から徒歩
平安初期/鎌倉初期の遺跡。平安時代の遺跡は10棟以上の建物跡と、墨書土器多数が出土しており荘所跡と推定されている。荘園所有者は東大寺と西大寺の2説あるが、有力なのは西大寺領佐味荘とされる。遺跡の名前はもう一説の丈部荘からきていると思われ。やっぱ佐味たんの本貫地でしょ!
舟見城| 富山県下新川郡入善町舟見字熊坂33-2|JR北陸本線「入善」駅からタクシーで20分
鬼伏蒲原を通り過ぎ、宮崎城からやっと平地のある場所にたどりつくと入善。昔の街道はここから南下し舟見を通っていったと思われ、舟見城はうっかり入善小太郎が築城したと伝わる。城下の旧街道には江戸時代の舟見宿の風景が残り、南下していくと黒部川の渡河ポイント愛本がある。
⇒入善町公式HP
小川山千光寺(白山社)| 富山県魚津市小川寺|あいの風とやま鉄道「魚津」駅からタクシー、またはバス
小川寺にあった寺院で現在は観音堂のほか3坊を残す。開祖は行基といい天平18年(746年)に創建されたというので街道筋の目印として紹介。上杉謙信が魚津城を攻めた際に寺院のほとんどが焼失したといい、もしかしたら木曽殿が宿泊したのかもしれないのに伝承は残存しない。これだから戦国時代は。。。!
南町地蔵尊| 富山県中新川郡上市町南町|富山地鉄本線「上市」駅から徒歩
地蔵堂に「おこり石」という赤い石が安置してある(写真右端)。伝承によれば平家討伐のためにここを通りかかり、腰をかけて休んだのがこの赤い石だと言い伝えられ、この石にお祈りすれば瘧(おこり=マラリア)が落ちる、と信じられている。
案内板に「木曽軍が倶利伽羅山合戦へ向かうとき」のルートが書いてあり、
・浜通りを 宮崎城~入善~黒部~魚津~滑川~岩瀬~金屋西野館
・山通りを 舟見~愛本~田家~魚津~木曽が平~上市~月岡野~八尾成子~主馬が城~長沢城~金屋西野館
と進軍したルートがあったことを証明している、としている。
個人的には木曽殿本隊は山通りルートを通ったと考えていて、主馬ヶ城はおいといて長沢城から金屋に入ったのは間違いないと思う!
呉羽山| 富山県富山市呉羽|あいの風とやま鉄道線「富山」駅からバス
呉羽山は平安期には呉服山と呼ばれ、越中を東西に分断する丘陵。今井兼平は丸山あたりを上がっていったとされるが、それが本当ならそのあと丘陵づたいに南下し城山あたりに陣を敷いた、ということになるか。北は公園になっており、見晴らし台からの富山市街の景色がよい。
★
八幡社(丸山)| 富山県富山市安養坊|あいの風とやま鉄道線「富山」駅からバス
案内板によれば「(略)兼平が寿永二年五月、呉服山に陣をとった時、安養坊の坂を上がる途中、馬から降り、平氏との決戦の勝利を祈願した場所と伝えられている」という。また、この地には円明山延命寺があったことから丸山と呼ばれた、とも。
★★
白鳥城址| 富山県富山市呉羽|JR富山駅からバスまたはJR高山本線「西富山」駅
城山と呼ばれるあたりにあった。今井兼平が般若野合戦に先立ち陣を敷いた。現在の城址は前田利家が所有した頃のものと言われる。「白鳥」の名はふもとにある白鳥神社からついたもので、戦国時代は呉服山城などと呼ばれたらしい。本丸のあたりはかなり見晴らしがよく、西も木を払えばかなり見晴るかせると思う。
八幡社(金屋)/西野館| 富山県富山市金屋|JR北陸本線「富山」駅からバス(富山大付属病院行「金屋」下車)
八幡社と水路をはさんで「西野館」の石碑があり、ここにも木曽軍が休んでいったという案内板がある。
熊野神社| 富山県富山市金屋|JR北陸本線「富山」駅からバス
★★
弓清水(般若野古戦場)| 富山県高岡市常国|JR城端線「戸出」駅
裏にある崖を上がると薬師堂の小さな祠があり、般若野合戦の石碑がたつ。
★
常国大悲寺観音堂| 富山県高岡市常国|JR城端線「戸出」駅から徒歩
案内板によると、本堂に安置されている観世音菩薩は木曽義仲の守護佛で、寿永二年般若野合戦ののち、常国山に祀ってあったものを天明年間に現地に移し、当寺に保管を委託した、とある。
庄川| 富山県高岡市|JR城端線「戸出」駅
写真は中田橋から庄川を見たところ。このあたりは北に野原が続いていた地形。このあたり一帯が般若野古戦場と目されるが正確な位置は不明。北上していくと「般若野」の地名の場所がある。
移田(いかだ)八幡宮| 富山県高岡市中田|JR城端線「戸出」駅
「寿永二年、木曽義仲の先鋒今井四郎兼平 神前に源氏興隆 平家追討 源氏興隆・平家追討を祈願して大勝利をおさめたり。寿永二年、神祇道官領長卜部良芳奉幣し 天下泰平 国家安全 五穀豊穣を祈願し給ひ移田神社八幡宮 と唱え給ふ」と伝わる。
★
正園野神明社祠| 富山県高岡市戸出町|JR城端線「戸出」駅から徒歩
木曽殿が松の下で休んだという言い伝えのある「駒繋ぎの松」はこの正園野神明社の境内にあったといわれる。北陸路中田往来沿いに小さな祠があり、跡地のランドマークとなっている。
★
駒つなぎの松址| 富山県高岡市戸出町1戸出公園内|JR城端線「戸出」駅
正園野神明社の裏手にあたる戸出公園に駒繋ぎの松の碑がある。このあたりで馬を繋ぎ、砺波山の決戦を前に軍議を行ったという案内板がある。
草岡神社| 富山県射水市堀岡古明神|
創建不明だが延喜式にある「草岡神社」とされ草岡郷の産土神という。また、木曽義仲が重臣に命じて参籠させ天下の安泰を祈祷させたという言い伝えがある。
放生津八幡宮| 富山県射水市八幡町|万葉線「東新湊」駅
日枝神社(六渡寺)| 富山県射水市八幡町|万葉線「六渡寺」駅
盛衰記には木曽軍が「六渡寺の国府に到着」とあり、六渡寺湊はかなり繁栄していたという。こちらの日枝神社は近江国坂本から分霊され、行基奉納の仏像が3体、今も納められている。国府はこのあとの「勝興寺」敷地にあったという。
越中国府(勝興寺)| 富山県高岡市伏木古国府|JR氷見線「伏木」駅
勝興寺自体は永正14年(1517年)に佐渡の順徳天皇御願寺勝興寺を再興したもので、境内には土塁などが残り、この敷地が越中国府跡という伝承がある。伏木駅近くに「義経記・如意の渡」がある。 また、ここから北に越中一宮「気多(けた)神社」がある。
如意の渡の「義経・弁慶」像は駅前に移ったらしい。
気多(けた)神社| 富山県高岡市伏木古国府|JR氷見線
寿永年間に木曽軍による兵火で伽藍や社殿が焼失したという伝承が残る。(「従太政官由来就御尋書上帳」)
気多神社参道沿いに「越中国分寺址」もある。
木舟城址| 富山県高岡市福岡町木舟|JR北陸本線「福岡」駅
北陸武士団・石黒光弘によって館が建てられ、石黒氏累代がここを居城とした。「木舟城址碑」がある。残念ながら管理人未踏…
福光城址| 富山県|JR城端線「福光」駅から徒歩またはレンタサイクル
宇佐八幡宮(福光)| 富山県|JR城端線「福光」駅から徒歩またはレンタサイクル
天平勝宝2年(750年) 大友家持が国守の任についた時、息子持豊が石黒庄総社として宇佐より分霊し勧請したといい、寿永の頃は石黒太郎義弘、福満五郎など豪族の崇敬も深かったとか。
巴塚/巴の一本松| 富山県|JR城端線「福光」駅から徒歩またはレンタサイクル
山本城址(福光)| 富山県|JR城端線「福光」駅から徒歩またはレンタサイクル、タクシー
古くは八幡太郎義家のころ築城されたといい、治承寿永の頃は福光城の出城として石黒光弘の管理下にあったと思われる。
◆午飯岡碑| 富山県砺波市|JR城端線「砺波」駅
木曽軍が行軍の折、ここを通ったといわれ(平安末期当時の北陸道のルートと比定)、石碑がある。下の2枚は午飯岡碑の目印で、この碑をみたら右手の交差点を北に入って行く。ところで小矢部には至る所にこのような石碑があるが、これらは明治の頃、地元の有志が石埼謙氏に揮毫依頼し伝承を元に立てたもの。
小矢部川| 富山県小矢部市|JR北陸本線「石動」駅から徒歩
写真は小矢部駅より北だが、木曽軍の渡河ポイントはもっと南だったと思われる。
◆聲ノ口| 富山県砺波市|JR城端線「石動」駅から徒歩
◆将軍塚| 富山県小矢部市野端|JR北陸本線「石動」駅から徒歩
奈良時代の古墳で、須恵器などが出土している。木曽殿がここを通りかかったとき、鎧兜を埋めて戦勝祈願したという。
◆日埜宮神社| 富山県小矢部市道林寺|JR北陸本線「石動」駅
◆砺波ノ関| 富山県砺波市|JR城端線「石動」駅から徒歩
道林寺(地名)| 富山県小矢部市道林寺|JR北陸本線「石動」駅
◆松永碑(地名)| 富山県小矢部市松永|JR北陸本線「石動」駅
◆小耳入碑(地名)| 富山県小矢部市松永|JR北陸本線「石動」駅
◆鷲ヶ瀬(鷲尾神社)| 富山県小矢部市|JR北陸本線「石動」駅
◆柳原(地名)| 富山県小矢部市柳原|JR北陸本線「石動」駅
膿川| 富山県小矢部市|JR北陸本線「石動」駅
◆金峯坂| 富山県小矢部市石坂|JR北陸本線「石動」駅
◇道の駅
倶利伽羅源平の郷/埴生口| 富山県小矢部市埴生2996-5|JR北陸本線「石動」駅
埴生八幡宮の入り口にある案内所。砺波山(倶利伽羅峠)の航空写真があって攻略ポイントが詳細に分かるので、初めて登山する方ははじめにこちらに寄ると便利。近年「義仲カフェ」も併設されているので、お茶をしたり、ちょっとした食事などもできる。
★★★
埴生八幡宮(護国八幡宮)| 富山県小矢部市埴生2992|JR北陸本線「石動」駅
倶利伽羅対陣前に戦勝祈願し、大夫坊覚明が願文を奉納した神社。このとき、一緒に奉納された矢が残されているとか。宝物殿の拝観は要予約、お祭りの日は開放されているのでねらい目。
★
鳩の清水(源泉)| 富山県小矢部市埴生|JR北陸本線「石動」駅
木曽本隊(義仲軍)が行軍したルートにある清水。埴生八幡境内に引かれている清水の源泉とのこと。コンクリートの小橋の下は小川になっている。
★★★
木曽本陣| 富山県小矢部市砺波山|JR北陸本線「石動」駅
木曽本隊(義仲軍)が布陣したといわれる場所。平家の駐屯する「猿ガ馬場」「塔の橋」あたりからよく見下ろせる位置にある。
巴塚・葵塚| 富山県小矢部市|JR北陸本線「石動」駅
源氏ヶ峰| 富山県小矢部市|JR北陸本線「石動」駅
矢立堂(天池茶屋址)| 富山県小矢部市|JR北陸本線「石動」駅
昔は天池という清水が湧いており、昭和まではここに茶屋があったという。今井隊がこのあたりに一時駐屯したと思われる。このすぐ先に「矢立」がある。↓
矢立| 富山県小矢部市|JR北陸本線「石動」駅
「猿ガ馬場」「塔の橋」のある砺波山と谷を挟んた向かい側にある「矢立(山)」。今井隊が布陣し、ここで矢合わせが行われたと見られる。「塔の橋」とは谷で400mほど隔たっているが平家の矢がここまで飛んできて刺さったのでこの名がついたとか。現在は谷を車道が走っているのでこのまま難なく歩いて塔の橋に行ける。
塔の橋| 富山県小矢部市|JR北陸本線「倶利伽羅」駅
平家の駐留地「猿ガ馬場」から少し降りたところで源氏の布陣地を確認できる場所。ここから今井隊駐留の「矢立」と、木曽本隊のいる「本陣」が見える。倶利伽藍対陣において矢合わせはここで行われたと思われ。
砂坂| 富山県小矢部市|JR北陸本線「倶利伽羅」駅
現地の案内によれば、牛を連れて登っていった登山道。
★★★
猿ケ馬場(平家本陣址)| 富山県小矢部市|JR北陸本線「倶利伽羅」駅
源平供養塔/地獄谷| 富山県小矢部市|JR北陸本線「倶利伽羅」駅
為盛塚| 富山県小矢部市|JR北陸本線「倶利伽羅」駅
蟹谷次郎由緒之碑| 富山県小矢部市|JR北陸本線「倶利伽羅」駅
倶利伽藍対陣の際に根井隊2000騎の案内をして松永→小耳入→弥勒山ルートを導いた、越中住人蟹谷次郎の顕彰碑。戦勝祝いに蟹谷がたたいた太鼓が源氏太鼓のはじまりという。「小耳入」の場所にも「小耳入碑」という石碑がある。
倶利伽羅不動尊| 石川県河北郡津幡町|JR北陸本線「倶利伽羅」駅
手向神社| 石川県河北郡津幡町|JR北陸本線「倶利伽羅」駅
馬洗場址| 石川県河北郡津幡町|JR北陸本線「倶利伽羅」駅
龍ケ峰城址| 石川県河北郡津幡町|JR北陸本線「倶利伽羅」駅
一騎打址| 石川県河北郡津幡町|JR北陸本線「倶利伽羅」駅
竹橋宿|石川県河北郡津幡町|JR北陸本線「津幡」駅
◇道の駅
倶利伽藍源平の郷/竹橋口| 石川県河北郡津幡町字竹橋|JR北陸本線「津幡」駅
氷見湊|富山県氷見市|JR氷見線「氷見」駅
木曽大手軍が搦手軍を助けるため渡ったという。推定すると「十二町潟水郷公園」あたりの遠浅の潟?と思われ、大伴家持が舟を浮かべ詠歌したと伝わる「布勢の水海」でも有名。氷見湊は中世の頃には港として整備されており、大陸との貿易が盛んだったという。
★★
崇神天皇皇子大入杵命墓(親王塚)| 石川県鹿島郡中能登町小田中|JR七尾線「能登部」駅
平家物語によれば木曽軍の搦手は「志保山を越えて能登の小田中、親王塚の前に布陣」とある。この陵墓のあたりが小田中。
能登国造能登臣の祖で崇神天皇皇子・大入杵命(おおいりきのみこと)の陵墓と伝わる。
★
八幡神社(水白)| 石川県鹿島郡中能登町水白|JR七尾線「能登部」駅
水白(みじろ)地区にある八幡社。崇神天皇皇女沼名木日売命を祀り、社前の鍋塚は命の御墓所。木曽殿が小田中に布陣の際に戦勝祈念し、八幡宮の額面を奉納して後に八幡宮と称した。
貴布弥神社| 石川県鹿島郡中能登町金丸|JR七尾線「金丸」駅
木曽殿が小田中に布陣した折に戦勝を祈願し神宝を奉ったという。八幡神社の懸仏と少名彦名命社の薬師十二神の懸仏は現在円正寺に安置されている。
★
志雄(志保)山| 石川県羽咋郡宝達志水町所司原|JR七尾線「南羽咋」駅
行家叔父を大将とした木曽軍搦手隊が官軍平知度隊と戦ったといわれる。
子浦出雲神社| 石川県羽咋郡宝達志水町子浦|JR七尾線「南羽咋」駅
古くは志乎山に鎮座し志乎荘の十ヶ村の総社だったが、源平の争乱の折に社殿等が兵火で焼失したという。文治年間の頃に村の東西に出雲社、志雄社を分けて建造した。
志雄神社| 石川県羽咋郡宝達志水町子浦|JR七尾線「南羽咋」駅
古くは志乎山に鎮座し志乎荘の十ヶ村の総社だったが、源平の争乱の折に社殿等が兵火で焼失したという。文治年間の頃に村の東西に出雲社、志雄社を分けて建造した。
井上美輪神社| 石川県河北郡津幡町浅田|JR北陸本線「」駅
井家郷(津幡南、内灘町、森本地区)の地名の手がかり。津幡市内の白鳥神社は井家郷の総社だったといい、この辺りが根上の松で奮戦した井家二郎範方の本貫地だったと思われる。