績麻神社址|長野県松本市|JR篠ノ井線「広丘」駅からバス
續麻(つうそ)神社は上今井村の産土神で、現在では今井神社と合祀されている。今も址地が残されている。ちなみに續麻(うみそ、とも読む)は紡いだ麻糸。
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今井神社(績麻兼平神社/今井館址)|長野県松本市|JR篠ノ井線「広丘」駅からバス
續麻(つうそ)神社と今井神社が合祀されている。續麻神社は上今井村の産土神。今井神社は別名・兼平神社といい、今井兼平と大鶴鷯尊を祭神として祀っている。元は兼平の館があったといい、社前の道は薬師堂への参詣道といわれる。<ここ萌えポイントです!
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中原館址| 長野県松本市|JR篠ノ井線「広丘」駅からバス
中原兼遠の館があったというが詳細不明。
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宝輪寺| 長野県松本市|JR篠ノ井線「広丘」駅からバス
今井兼平が中興の開祖といい、菩提寺としている。現在の山門は中山道の贄川宿本陣・贄川千村家のものを移築したとか。
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諏訪神社(兼平形見石)|長野県松本市|JR篠ノ井線「広丘」駅からバス
境内に「兼平形見石」という供養の墓石がある。形式からみて江戸期に作られたもので五行田という場所で明治に掘り出され、この神社に安置されたという。
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沙田(いさごだ)神社| 長野県松本市島立区三ノ宮字式内|JR篠ノ井線「松本」駅
大化5年に勧請されたといい、大同年間には坂上田村麻呂が有明山の妖賊退治の御神力ありとして社殿を建てたという。延喜式内社に定められており、木曽殿が筑摩郡三座(式内三社)のひとつとして大切にしたという。
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筑摩神社| 長野県松本市筑摩2-6-1|JR篠ノ井線「松本」駅
筑摩(つかま)神社は、延暦13年(794年)に岩清水八幡宮から分社された。昔は国府八幡宮(一宮)といい10世紀頃(平安時代)にはこのあたりに国府が置かれていたという。国府は中原兼遠が出仕した、かもしれない。
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伊和神社(信濃国府跡推定地)| 長野県松本市惣社|JR篠ノ井線「松本」駅
昔は「六所大明神」とも呼ばれ国府の惣社として国中の「天地東西南北」六ヶ所の神を祀ったといい、惣社(そうざ)という地名が残る。筑摩神社〜伊和神社のあたりが信濃国府推定地とされるが遺跡は見つかっていないようだ。信濃国府は元は上田にあったが、10世紀頃には筑摩郡に移ったといわれている。
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槻井泉神社| 長野県松本市|JR篠ノ井線「松本」駅
つきいずみ神社。元慶5年(881年)に創建というが泉は古代からの湧水という。このあたりに「清水丸館」という館があり木曽殿没落後に巴が住んだ、ともいわれるが伝承とのことで遺構は残っていない。
長称寺| 長野県松本市女鳥羽|JR篠ノ井線「北松本」駅
山号を「木曽山義仲院長称寺」といい(なんというか直接的すぎるのだが)、義仲の三男・義信=義延房念信が開山したと伝わる。また、義信は親鸞の法弟であったといわれ(覚明が帰依したとも)、建暦2年(1212年)に念仏寺として建てたとか。境内には親鸞聖人像が立っている。
地蔵尊出現霊水地碑| 長野県松本市|JR篠ノ井線「北松本」駅
古くはここに生安寺という寺があり、松本城築城の際に掘り起こしたところ、鎌倉期の地蔵尊が出土した。出土したお地蔵様は現在の生安寺に安置されている。
松本城| 長野県松本市|JR篠ノ井線「北松本」駅
平安時代の頃には信濃国府は上田から松本に移転しており、松本城のあたりは国衙の在庁官人(侍所)であった犬甘氏の館があった、という説がある。後に鎌倉御家人の小笠原氏が信濃守護職になると家臣によって「深志城」が築かれる。これが松本城の前身。
日向観音堂| 長野県松本市|JR篠ノ井線「北松本」駅
巴(または義仲)の連銭葦毛の馬を埋めたという「名馬連銭葦毛の碑」がある。馬頭観音が祀られている。
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生安寺の地蔵尊| 長野県松本市蟻ケ崎4-5-39|JR篠ノ井線「北松本」駅
生安寺は、元は松本城下町の「地蔵尊出現霊水地碑」あたりにあり、地蔵像もそこで掘り起こされた。現在は移転した生安寺と共に現在の場所に移設。銘に文治三年(1187年)とあり、義高供養のため鎌倉から送られたものと考えられている。
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岡田神社| 長野県松本市大字岡田下岡田|JR篠ノ井線「松本」駅からバス
創立は不明だが延喜式内社に定められ、筑摩郡三座(式内三社)のひとつとして大切にしたという。また、由緒には木曽家臣の岡田親義が正月及び臨時に参拝したとある。参道沿いには岡田氏の居館があったという。
普門院|長野県松本市大字岡田下岡田|JR篠ノ井線「松本」駅からバス
岡田親義が開祖と伝わる寺で、岡田神社の西にあるが山があって直線では行けないので注意。
伊深城址|長野県松本市大字岡田下岡田|JR篠ノ井線「松本」駅からバス
岡田親義の城と言われ、ふもとの慶弘寺公園には岡田一族の石碑群がある。親義の墓と言われる石塔があり、伝承によれば子の重義が父を埋葬したという。
山の西を南北に走る国道143号線が東山道にあたり、進んでいくと会田宿へ、また、城から東に山を越えていくと木曽殿が拠点としていた丸子に入ることも可能。