ReturnTopMainMenu



 
駒潰れ|
長野県上伊那郡宮田村



「馬の蹄跡」というくぼみのある石がある。木曽殿らが木曽から駒ヶ岳を神馬の案内で越えて伊那に攻め込んだが、木曽殿の馬があまりの路の嶮しさにここで潰れたという言い伝えがある。。


 
舟山城址|
長野県上伊那郡中川村片桐

平安末期から室町にかけて、信濃源氏・片桐氏の館があったとされ、城碑が残されている。


 
宮崎氏館址|
長野県飯田市座光寺宮崎

越中宮崎氏が木曽軍敗北の後、伊那に逃れたという伝承があり、その伊那宮崎氏が住したとされる館址。現在は畑と住宅になっており地名にわずかに記憶が残るのみ。


 
高遠城址|
長野県伊那市高遠町東高遠

治承3年(1179年)、笠原平五頼直が平家の命により伊那谷の要害として高遠に城をつくったといわれる。また、木曽殿滅亡後に伊那に戻った時に館を作ったのだともいいハッキリはしない。源平争乱後も木曽氏、武田氏をはじめ城として運用され続け、縄張はほぼ中世の頃より変わらないというが平安時代の城郭の遺構は見当たらない。


 
大宝山建福寺|
長野県伊那市高遠町西高遠

「今井」の地名に建つ村社。小高い丘にあり、古墳だったかもしれない。文覚上人が開祖といわれ、安元2年(1176年)建立されたという。


 
権兵衛峠|
長野県伊那市西箕輪与地〜塩尻市大字奈良井

東山道伊那から木曽に通じる峠道。本格的に整備されたのは江戸時代だが、古くは「鍋掛峠」と呼ばれていた。現在は峠を越えなくても「権兵衛トンネル」で快適に通行できる。旧道も残ってはいるらしいが(写真右)現在は通行止めとなっているらしく通行を断念。


木曽殿聖地めぐり

は木曽殿聖地のオススメ度(5段階に変更)
「通好み
」「★★ちょっとオススメ」「★★★かなりイイ」「★★★★行くでしょ!」「★★★★★絶対行くでしょ!!」
さらに管理人が「木曽殿絶対ココに来た(気がする)」妄想認定した場所に3段階で
がついてます。無印は木曽軍メンバーや木曽軍と敵対した武将関連の土地や平家物語で登場するおなじみの場所、地元の伝承地、旅のお役立ち場所など。

大蔵★★
(武蔵嵐山ほか)
父・義賢の東国拠点で木曽殿出生の地。周辺は大蔵合戦の戦地。

木曽★★★★★
(宮ノ越〜木曽福島〜大桑〜南木曽)
木曽殿幼少より挙兵までの時間を過ごした谷。伝承地多数!

洗馬~塩尻峠~辰野
(洗馬〜塩尻〜小野〜辰野〜岡谷)
木曽~善光寺街道と諏訪のハブ地・洗馬、樋口本拠地辰野、岡谷の三角地帯。

諏訪
(茅野〜下諏訪〜上諏訪)
木曽軍に参戦した金刺氏ゆかりの地。木曽殿が滞在した伝承も。

伊那
(伊那〜飯田〜阿智)
木曽殿が駒ヶ岳を越えて戦を仕掛けた伝説がちょいちょい残る。

松本平★★★
(朝日村〜松本〜岡田)
信濃国国府があった中原氏依拠地。今井兼平の本拠と目される地もある。

会田・麻績・姥捨
(会田〜聖高原~姥捨)
旗揚げ後に小戦闘を繰り返しながら進軍した善光寺までのルート。

善光寺平★★★★
(屋代〜篠ノ井〜善光寺ほか)
横田河原合戦が繰り広げられ、初期参戦武将ゆかりの地も多数!

塩田平
(別所温泉)
会田から保福寺峠を抜け塩田平へ。別所温泉には塩田北条氏の史跡も。

海野〜丸子★★★
(上田〜丸子)
木曽殿が居城とした依田城・海野宿をハブに塩田、佐久、篠ノ井と広がる。

佐久平★★
(小諸〜望月〜佐久)
根井氏の本拠地。佐久から富岡街道を抜け多胡・児玉・大蔵に至る。

関寺〜直江津
(妙高高原〜直江津)
熊坂山に布陣後、妙高を抜け越後国府へ。北陸道進軍開始。

越中宮崎〜般若野★★
(親不知〜富山)
越中宮崎氏の本拠地〜呉羽山布陣〜般若野合戦古戦場までのルート。

砺波★★★★★
(小矢部〜倶利伽藍峠〜津幡)
木曽軍最大の合戦となった「砺波合戦(倶利伽藍峠)」古戦場。

小田中〜志雄
(氷見〜小田中〜志雄)
行家叔父の戦った志雄合戦の地。

金沢〜安宅/篠原★★★
(津幡〜金沢〜小松〜安宅/篠原)
安宅・篠原は平家軍と往復2度交戦。実盛最期が有名。

勝山〜今庄〜杉津★★
(勝山〜武生〜今庄〜杉津〜敦賀)
燧合戦のあった燧ヶ城、根井が戦った水津合戦の古戦場比定地ナド。

★★★★
(京都〜宇治〜八幡市)
木曽殿逗留地や祖父為義ゆかりの地など。宇治川、岩清水八幡も。

大津★★★★★
(逢阪関〜三井寺〜膳所〜大津)
木曽殿最期の地、粟津合戦古戦場。

室津|山陽道★★
(今宿〜三石〜和気〜吉備津〜水島)
西国下向した山陽道と大敗を喫した水島合戦場。オマケは室津=室山合戦地。

おまけ|瀬戸内
(尾道、大三島)
水島合戦の残党、木曽落人伝承が残る尾道、奉納鎧等が残る大三島など。


(神坂〜松本)
木曽殿ゆかりの桜を追いかけてみた!