南信州桜ハント〜崖っぷち10cm〜
さて、篠ノ井線旅から帰った頃から、実は桜の季節を虎視眈々と狙ってオリマシタ。
関東ではすっかり桜が終わって春の気分も抜けてきたけども、信州は4月中旬以降が見所の場所が多く、聖地巡礼者にとっては垂涎の季節。
だって、どうせ行くならこの時期にしかない景色を見たいデショ!
と、岐阜の友人に無理をいって車を出してもらう。早朝の新幹線で名古屋まで行き、特急しなのに乗り換えJR中津川駅で下車して待ち合わせ。久しぶりに来たら駅前の雰囲気が違う…物産館が無くなってて、別のビルに移設してた!ここで友人を待つあいだ、栗きんとんソフトをいただいて、最初の目的地に向かう。
中津川駅から出ているバスでも行けるけども、時間がかかるのでこれまで行くのを躊躇してた式内社「恵那神社」。
本社は恵那山山頂にある地元密着型の神社で、社伝は伝わってないようだけども社宝に木曽殿が奉納したという伯耆国住貞綱の太刀があるとか。恵那は東山道と木曽路に繋がる分岐点にあたるので、木曽の守護最南端ともいえる、、、かな。鳥居の前の桜が散り始めでとても美しい。
境内は樹齢千年ともいう立派な夫婦杉があり、静かな佇まい。
お参りしたところで一旦国道19号に戻り、落合五郎の館でおなじみの落合宿の前を通って県道7号に右折、神坂を目指す。ここからは幻の東山道をたどるルートに突入。
中山道はこの神坂(みさか)を経由して北に向かい馬籠峠を越えて木曽、塩尻へ至るのだが、東山道は東の神坂峠を越えて伊那、辰野を経て塩尻に至る。木曽殿の頃にはまだメイン国道は東山道だったはずなので、この時代に関連した史跡も何かあるにちがいない、という目論見だ。
まず見つけたのは細野薬師堂。
最澄が建立した「伏屋広済院」があった場所ではないかという説があり、山腹にだだっ広い土地がある。この広済院というのは、神坂峠を命がけで越えてきた旅人の救済の為の布施屋だったと言われ、神坂峠の反対側(阿智村)にも広拯院という対の布施屋があった。薬師堂自体も昭和の伊勢湾台風で本来の場所から移動し建て直されたと案内板にあって、山の斜面にちんまりと建っている(写真の左手は崖)。
さらに神坂峠を目指して東に進んでいくと広済院遺跡顕彰碑がある。
そこから歩いてすぐの所に「義仲駒繋ぎの桜」伝承の場所があり、さらにその先300m所に丸山城がある。
義仲駒繋ぎの桜。
やった、まだ咲いてた!案内板にハッキリとはこの桜がそれだとは書いていないので、義仲が駒を繋いだという伝承の下に桜を植えたのかもしれない。とはいえ、本日『木曽殿の桜』1ゲット!
「丸山城に義仲が駒を繋いだ桜があった」と案内板にあったので丸山城にも行ってみる。
丸山城は室町期あたりから城として成立していたといい、東山道が目の前を走っていたとすれば見張所として機能していたかもしれない。現在は小さな祠があるのみ。
丸山城の近くにある民家の枝垂桜の方がむしろ見事(^_^)
駒繋ぎの桜を後にして林道を車で上って行く。
と、「強清水」という清水に辿り着く。
本来の東山道はここからさらに嶮しい山道に入っていくようで、道標があった。
途中、往時の石畳も多少残っているというが登山目的ではないので辞退。ここには風穴という明治あたりまで使われていた天然の冷蔵庫もあり、4月下旬だというのに内部は氷に覆われていた。
さてせっかく車で来たんだし林道で神坂峠を一気に越えるか!と思ったらいきなり道路閉鎖されており、ヘコむ。鎖外して行っちゃおうかとも思うが遭難するのもアレなので来た道をおとなしく戻る。
結局来た道を落合まで戻って来て、落合ってよく通る場所(ハブ基地)だなーと実感。最近素通りすることが多いので、思い直して落合神社=おがらん様に寄ってお参りすることにした。
今井兼平の弟ともいわれる落合五郎の館があったという伝承がある小高い丘で、あたりの集落がみわたせる。ここから国道19号を渡ると中山道の頃の落合宿があり、さらにその先、高速道路中央道と交わる山手辺りには落合城址がある(さすがに今回はそこまで行かないけども)。
この神社、いつも思うけどもとてもカワイイ。鳥居や祠が小さいからかなあ。
さて、中津川ICから中央道に乗り、高速道路で神坂峠をサクッと越える。あんまりつまらないので神坂PAでお土産を物色、うむ、現代文明は楽チンである。ナゾの飲み物「SNKY(スンキー)」を買って先を急ぐ。
園原インターで降りると神坂峠の反対側に出る。
ちょっと戻る形で広拯院月見堂へ。
先に行った広済院と対で作られた布施屋があった所で、月見堂のある辺りが跡地だとされる。ここには謡曲「木賊」の帚木に掛けた伝承もありその案内板もある。月見堂の前を東山道が走り、この日は観光客で賑わっていて、その理由は道を5〜600mほど徒歩で上っていくと分かる。
義経駒つなぎの桜。
樹齢600年程のとても立派な桜で、みんなこれを目当てに来ているのだ。義経が金売吉次と奥州下向する際にここで駒を繋いだのだという(この桜は二代目らしい)。桜の前から東山道の舗装されていない山道に入り、神坂神社に至るらしいが義経伝説ネタしかないのでこっち側登山もパス。なにげに木曽殿の駒つなぎより立派じゃないか…などとは比べない。
桜を堪能したところで移動、昼神郷の阿智神社にお参り。
特に源平に関係しそうな社伝はないけども、延喜式の式内社で歴史は古い。
時間を稼ぐため飯田市からまた中央道に乗り、駒ケ根市で降りる。うーん文明って有難い。
駒ケ根市で降りた理由は、これ↓。
駒潰れの石。
これ、ヒズメの形っぽいよねと言うなら足跡つけたのはものすごいデカい馬になるな。。。幅が1m以上ある。
いくつかある伝承のひとつに「木曽殿が駒ケ岳の神馬に案内され伊那に攻め込んだがあまりの険しさに上の宮(石のある場所のこと=新田地区)まで来た時馬が潰れてしまった」というのがある。この伝説は駒ケ岳の峰にある義仲が行軍して行った際に飲み水にしたという「義仲の力水」や、空木岳の鞍部にある「木曽殿越し」の伝説とも連動してる。
さすがに山越えは戦略としてはキビシイ気がする…が、ちなみに駒ケ岳の向こうは上松、近道するには丁度いい。何より、山越えをして攻めて来る戦法はインパクトでかいし。
では木曽殿は伊那の誰と合戦したのか?というのがナゾで、高遠にある蟻塚城址の案内板には「笠原御牧がこのあたりにあり、笠原平五頼直はその牧官であり、大田切の管氏と共に木曽軍と戦った」とあるんだけども、笠原については長野県中野市にある笠原郷の方が本物の本貫地っぽいのでイマイチ距離的に結びつかない。笠原と関係のある伊那の豪族と木曽(中原)+諏訪+佐久の連合軍が旗挙げの手始めに戦ったようなイメージではあるけども、文献や物語に残ってないので検証の手がかりが掴めずちょっと辛い…
と、思いを馳せるも駒ケ岳越えを立った今検証する気になれないので、もう一つの伊那攻め進軍ルートと目されている権兵衛峠を通って木曽に向かうことにする。
権兵衛峠道路には本当に峠越えをする旧道と、権兵衛トンネルを通る新道があるんだけど、どちらか選ぶなら旧道でしょ!と旧道を行ってみたが、いきなりの道路閉鎖。
仕方ないので余地に戻り、
仕方なく新道の権兵衛道路を抜ける。権兵衛トンネルけっこう長かった。
そのまま山の反対側に抜けるとあらビックリ、木曽の宮ノ越周辺に出る。
この日の宿は木曽福島にとっていたので、宮ノ越は素通り。
木曽福島に入って宿で食事をとった後、興禅寺に行くという話をしたら、宿のあるじが車で送ってくださるとのことで、ご好意に甘えて送っていただく。
興禅寺のしだれ桜「時雨桜」
この夜、興禅寺では夜桜のライトアップがされていて、この「時雨桜」は木曽殿お手植え桜の二代目という。というわけで今回『木曽殿の桜』二本目ゲット!
まだ肌寒く風もあったので上手く撮れなかったけども美しい。
というわけで1日目終了。
2日目につづく。
2日目、宿で朝食をとり、気持ち良く送り出してもらう。せっかく木曽福島にいるので、長福寺にお参り。
木曽家菩提寺で、巴のものといわれる長刀を所蔵している。が、公開しているというわけでもないらしい。写真だけなら確か義仲館に展示してあったと思う…
そして興禅寺にも再度お参り、
曇天の時雨桜も美しい。
改めて裏にある木曽殿の墓に手を合わせる。巴ちゃんが木曽殿の遺髪をここに埋めたという言い伝えがあり、木曽氏歴代の墓と並んで立っている。墓碑は後世木曽氏により建てられたものだ。
宮ノ越まで移動して徳音寺を訪れる。徳音寺の桜もこのあたりの名所で、山門とのコントラストがとてもいい。木曽殿はじめ中原組のお墓があるのでこちらでも手を合わせる。
境内には宣公郷土館などもあるんだけども、今回の目的は「桜」なので花を満喫したら移動、義仲館も目と鼻の先にあるがこの日は寄らない。
とはいうものの、旗揚八幡にはちょっとお参りしていこうと寄ったら、丁度イベント一週間前ということで、町の方々が神社の清掃をしてた。
邪魔にならないように…と、「お参りさせていただいてヨイですか?」と声をかけると、なんとなく会話が始まり「木曽義仲が好きでこのあたりを廻ってます」と話すとみんな嬉しそうな顔になる。ミヤタヤにしても旅先で「木曽義仲好きなんです!」と言っても義仲誰ソレ的な空気になることが多く、こんなことは滅多にない。
焚き火をかこんでしばし歓談、「夏には『らっぽしょ』という義仲旗揚げのお祭りがあるからいらっしゃい!巴御前も今年は公募するからあなたも応募してみたら?宿はね、木曽文化公園の駒王が食事もおいしくて安いからいいよ!!バスも出るから!」と教えていただく。アツイ情報に缶コービーまでいただいてしまった。いろいろありがとうございます!
町の方々とお別れして南宮神社にお参り。
南宮神社は金属をつかさどる金山彦命を祀ることから=武具の神=源氏の崇敬する神社で、旅レポではおなじみ本社は関ヶ原方面にある「南宮大社」。
そのまま国道19号を北上して邂逅の泉を通り過ぎ、サラダ街道を通って塩尻の西・朝日村に向かう。朝日村の光輪寺薬師堂には、義仲お手植桜(二代目)がある。この桜、やたら背が高い。
うーん上手く写真撮れない…しかし『木曽殿の桜』3本目ゲット!!!
サラダ街道に戻り、朝日村役場前を通り過ぎて西に向う途中で「足無神社」を発見。
案内板によると「平治の乱後、平家方の間者が木曽義仲の動静を探りに木曽に来たところ、木曽方に発見され追われて山を越して逃げてきたが、この辺りで両足が霜焼(凍傷)のために歩行不能となって倒れていた。これを見つけたこの地(針尾)の人が介護し食を運んで与えると喜んだその間者は「俺は平家方の菅の長須祢彦という者である。木曽源氏に追われてここまで逃げてきたがもうどうしようもない。足病者を救うから死んだらこの地に葬ってくれ。」と遺言を残して死んだ。かわいそうに思ったその人は、遺言どおりここに葬り祠を建てて祀った」という。なんとも悲しい話だ。
その祠がこちら。
しばし手を合わせる。
足無神社を後にしてさらに南西に進んで行くと、明らかに気温が下がってきて冬のようなグレーの山々ばかりの寒々しい景色になってくる。あかん、多分この先、まだ桜咲いてないわ!
義仲公園に辿り着いてみると、思った通りまだ雪が残るほどの冬景色。仕方がないのでひとまず義仲公祠にごあいさつ。
木曽殿が山越えをしてきてここで休んだという伝承がある。義仲公園はこのあたりの桜の名所なんだけどもまだつぼみすら出ていない。うーん、木曽殿の桜4ゲットならず。。。木曽殿がお手植したかもしれないという伝承のある桜もあるらしいんだけども、あまりの寒さにテンション↓↓↓で引き返す。
洗馬方面に戻る途中、原口水神様のあたりから小曽部川に沿って南西に進路を変えて罠沢口という地名を過ぎたあたり、川に突き出た大きな石がありそこに「木曽義仲馬の足跡」という穴があいている。看板が出ているので比較的見つけやすい。
穴にたまった水は眼病に効くという。PCで疲れた目が癒えないかなーと水をちょっと手に取ってみたり。
このあたりで小雨が降り出してきたのでどうしようかなーとおもいつつ、さらに小曽部川上流に向ってみる。小曽部萱野森林公園に入り、林道といいつつもだんだん舗装が怪しくなってきた道路を進んで行くと、山に入ってしばらくした頃に「木曽義仲公の宿り木」にたどりつく。
ここは「白滝」という滝が有名なんだけどもその登山口にカツラの巨木があって、これがどういう伝説なのかは分からないのだけども義仲の宿り木というのだそうだ。
多少雨足がゆるくなったところで写真を撮るけども、どんよりしてるわ…
徒歩で来るとしたら、罠沢口の先まではコミュニティバスが出ているらしくバス停があるので、平日の朝に訪れて小曽部森林公園にハイキング、というコースになりそうだ。とはいえナマケモノには車がおススメ。
サラダ街道に戻って国道19号線に出ると、塩尻峠を越える。と、峠の信号近くで山の斜面にカモシカ発見。カモシカ!こんなところまで出てくるんだなあ(写真は撮れなかったoTL)。
塩尻峠を抜けると「今井」に出る。このあたりも以前探索しているので景色になじみを覚えつつみどり湖駅、岡谷駅も越えてさらに南下、川岸までやってくる。目当ては「新倉観音堂」なのだが…
前回来た時には徒歩だったのであまり気づかなかったのだけど、実は川岸集落の道は狭い。民家には車が止まってるし道路は舗装もされているんだけども、かなり山の斜面にあり道も自由に入り組んでいるせいで、場所はわかっているのにちっとも観音堂にたどりつけない。
そのうち、分かれ道に出たのでテキトーに「こっちじゃない?」と入って行ったのが運のツキで、車幅ギリギリの道に入り込んでしまった。。。
ウ 、 動 ケ ナ イ …
車幅ピッタリで左手側は崖(崖といっても1〜2mなんだけどすぐ下が民家or畑)、車輪と崖の間はほぼ10cm。人生における選択でこんなあからさまに後悔する事ってあんまりなかったんでかなりパニック。バックで戻ろうにも一歩間違えば転落、前進しようにもさらに道幅が狭くなっている上に溝がある、という状態。ミヤタヤ以上に同行の運転手が涙目になっており、ここは前進するしかないという結論に達するも崖を落っこちないように進むために誘導しつつソロソロと車を動かしてもらう。。。
なんとか長さ10数mの崖道を通り抜けて、狭いながらも「崖じゃない道」に到達。後で思うと車輪と崖の端っこの写真撮っておけばよかったなーと思うも、この瞬間は手足ガクブルの恐怖で打ち震えていたのでしょうがない。
なにより運転していた友人がガクブルで、コトを脱した後は震える指で煙草を吸いつつ放心状態。仕方がないので友人をしばらく放置して、ミヤタヤは新倉観音堂に歩いて辿り着く。
思えば川沿いに車を置いて歩いて来るのが正解だったね…
思った通り、観音堂の木曽殿お手植とも伝わるしだれ桜「神代桜」は咲いていたので、来たのがムダにはならなかった……というわけで『木曽殿の桜』4本目ゲット!!!!
この後、尻尾を丸めて中央道に乗ると岐阜市に戻る。今回の教訓は「歩けるからって車が入れると思うな!」ですねホントすみません。読んでくださってるアナタも車で新倉観音堂にお越しの際はちょっと気をつけてくださいネ☆ ここまで完読あざます…。
2014年4月