プチ野木宮合戦!
ちょっと時間に余裕ができた日曜日、ブラリと行くのに丁度良いと想ったのが古河(こが)。
新宿から湘南新宿ライン宇都宮行きに乗れば1本で古河駅に到着。いつも思うんだけども湘南新宿ラインって新宿終点じゃないから混乱する。。
古河の改札を出たところでレンタサイクルの張り紙を見つけたのでさっそく借りに行く!レンタサイクルの窓口=古河の観光案内所ということもあり、案内のおじさんに観光ポイントを教えていただき、地図もいただく。合戦のこと以外考えてなかったのでカナリ助かりました!
まず向かったのは頼政神社。
行くまではよく存じ上げなかったんだけど、宇治平等院で自害した源頼政の首を家来がここまで運んできて葬ったと伝わる。元は古河城内の「頼政郭」にあったが、渡良瀬川の改修工事の際に現在地に移されたという。古河城の北端の土塁にあたる小高い場所にある。
頼政公はここでも手厚く祀られている。
続いて渡良瀬川の堤防に出る。サイクリングにうってつけの道になっている。少し走ると、
古河城本丸跡。
そもそも古河城ってなんぞ、といえばハナシは長くなるが坂東武士団の小山氏の一族・下河辺行平が庄司をしていた「下河辺庄」の竜崎に館を建てたのがはじまりという。行平の父・行義は源頼政の郎党で、この下河辺庄はその縁故で八条院領の一部となり庄司を務めた。以仁王の挙兵にも行義は従ったとみられ、宇治川合戦で頼政らの首を落として隠した郎党の下河辺はこの父と目されている。
…だから、城内に頼政神社があるわけだ。
なるほど。。。ただ、現在では治水工事で平安末期の古河城も立崎(=竜崎)も遺構は残っていない。
案内所でいただいた観光マップをたよりに、引き続き
古河第一小学校前
福法寺(江戸時代の古河城乾門が移築されている)
とめぐり、
ちょうどお昼時になったこともあり古河歴史博物館にある「泉石亭」でランチ。
他にもいろいろ探索しながら、やっと本日のメイン・野木神社へ。
野木神社の案内板、、坂上田村麻呂のことしか書いてない…(´・ω・`)
拝殿、まずはおまいり。
野木宮という地名はこの神社に由来する、ということでこのあたりで野木宮合戦があった。寿永2年(1183年)、信太先生義広(=信太の叔父上)は藤姓足利氏の忠綱と共に下野国に進軍する。叔父上は信太庄(現在の美浦村あたり、八条院領)、足利氏は足利庄(足利市あたり)から発ったらちょうど野木宮あたりが落ち合えるポイント。ここでさらに小山氏を誘い(ということはその一族の下河辺氏も仲間にする予定)、保元・平治の乱からの褒章の不満を解消しようとした。不満解消=敵がどこにあるかがいまだ解明されないのが妄想の余地を残す。
境内の大銀杏、1200年前に坂上田村麻呂が奉植したと言われるので、それが本当なら信太の叔父上もみたかもしれない。
ところで、このとき小山氏の長・政光は主だった兵と共に京にいた。息子の朝政は機転をきかせて事前に信太の叔父上&足利忠綱と手を組むと見せかけておいて、野木宮で落ち合うところでにわかに敵対。登々呂木沢、地獄谷と転戦したが小山軍が優勢となり、下河辺氏が古河・高野で追い討ちして勝敗は決定的となる。
さて野木神社を後にしてもう少し周辺をまわる。
貞観年間に勘定されたといわれる雀神社。
j時代は下るが15世紀に鶴岡八幡宮と対馬神社から勧請したという下宮神社。
地獄谷など分からない場所もあったが、ひととおりまわったところで古河駅に戻ってくると、もう夕方ちかい。
さて、帰ろうかというところで今回のもうひとつの目的を思い出し、電車に乗って小山駅へ。
数日前に新聞で小山市が「野木の宮の合戦」を手ぬぐいにしたというニュースをみつけ、なんとなくゲットしなきゃいけない気になっていたのだ。
小山駅から手ぬぐいを売っているという道の駅「思川」までバスが出ているらしいのでさっそくバスに乗る。
車窓から眺める簡単な小山観光w、評定通り、
小山城址
渡良瀬川を渡って。。
道の駅「思川」到着。
そして難なく手ぬぐいゲットです!
栃木といえばレモン牛乳、こちらをいただいて本日終了。
毎度ここまで読んでいただいた方感謝カンシャですm(_ _)m
2013年8月