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木曽路下。


今年の正月に地元の八幡様でおみくじをひいたら「旅行:しばらくまちなさい」となっていたので、(木曽殿の命日は別として)旅はひかえてたけども、桜の季節にはじっとしてられない!…と、とうとう岐阜県の(旧)根尾村に行ってきた。


この日の天気予報は暴風だったので、あまり回れないなーと思い、特急スーパーあずさ立川8:22に乗る。
これで行くとお昼前くらいに木曽谷到着。

中央本線・原野駅で下車、曇天模様だけどまだ雨は降っていない。
駅から南に出るとすぐに旧中山道(線路を渡って北は原野八幡)、巡回バスのバス停があるが、思った通り1時間くらい次のバスはない。ということでそのまま歩く。

小さな川沿いにひたすら南へ歩いて「木曽駒森林公園」をめざす。ざっと2.5kmくらいだけどビミョーな上り坂がずっと続くので進みが遅い…


お、笹竜胆のマンホール蓋ハッケン!とテンションあげてみる。


途中「七尋石」を見ながら三叉路をオートキャンプ場方面へ。




オートキャンプ場の自販機、生きてるかなーと思って見てみると売切れは多いものの電気は入ってるようなのでスポーツドリンクを買ってみる。

お金を入れると、
「おこしやす〜!」
といきなり喋り出したので爆笑。ちょ、なんで木曽山中で京都弁!?









さらに20分程歩いて無事「岩華観音」へ。


このあたりは近代までは木曽馬の放牧地で、この岩華観音(別名:渡沢観音、渡沢は地名で下を流れる沢の名)は木曽義仲が祀った馬頭観音という。
行ってみるとなぜこのアングルしか写真が撮れないかよくわかる。岩華というだけあってすっごい崖に建っており、見渡すと周りの景色がよくみえる。

…と、丁度巡回バスが下の道を通り過ぎて行くのが見えた。

そ れ 乗 り た い ん だ け ど 〜 !

などと胸の内で叫んでみるが、バスは崖下の道路をさっさと通り過ぎて行く。
バスには「義仲の里」巡回バスと書いてあった。あれ?「木曽っ子号」じゃなくなってる?


岩華観音をあとにして先ほどの七尋石まで戻ってくると、今度は三叉路を東へ。
こちらへひたすら歩くと今度は「木曽文化公園」にたどりつく。
この文化公園入口の三叉路に「巴の松」がある。



地元の人々がこの立派な松を「巴の松」と呼んで愛している、という案内がある。
松はさほど重要でないにしろ、このあたりを陣立原といい、中原一族が練兵場として使っていたという伝承は興味深い。
ちなみにgoogleのストリートビューでもこの「巴の松」は見れる。スゴいなグーグルカー!


ここで原野駅に足早に戻り、電車で木曽福島駅へ。
雨も降り出してかなりのテンションダウン、とりあえず以前写真を取り忘れた「御霊神社(五霊社)」へ。


坂の途中にある小さな社なので、ちょっと見つけにくい。



案内によると、木曽氏が福島宿の氏神とし、木曽殿とその四天王をまつったもの(木曽史話など)だという。
木曽福島駅から上の段→突き当たりまで行って右折し下り坂を下りる→町役場支所裏に出る手前あたりの坂の途中、にある。

時間があれば長福寺にも行きたかったけども、やっぱり雨だと足が延びない…。
しかも遅めのお昼御飯をここで食べようと思ったのに、どこも「ランチ終了」札がかかっててさらにテンションダウン↓↓↓
仕方なく駅に戻ってキオスクで「じゃがりこ手羽先味」を買ってなんとなく空腹をまぎらわす…(T_T)


次の電車に乗り、今度は「大桑駅」めざす。


大桑の目標は「弓矢八幡」「関所址」だけども、夕方になってしまったので下見のつもりで訪れる。
ところが駅前の街道沿いには神社らしきものが一向にみあたらない。駅前の看板には「八幡神社」「若宮神社」とあったんだけども…。

まずは場所がわかっているところからということで、国道19号に出て歩いて7〜8分?くらいの「関所址」へ。
「関山」と呼ばれる山の峠に昔は関所が置かれていたといい、一説によれば、最初に関をおいたのは木曽殿であるという。
この関所址、現在はモーテル跡地にあって、しかも昭和に立てられたモーテル建設記念碑らしきものが壊れた状態で置いてあるだけなので、なんというか…胸が痛い…てかなんですか「モーテル突(点なし)」って??


というわけで「木曽殿ガッカリ名所」トップ3に認定!

国道19号から旧中山道に戻ったところでやはり神社らしきものが見つからず、友人と二手に分かれて探し、友人がタバコ屋さんにて仕入れてきた情報によると、なんとすんごい狭い路地を入って山手にいくのが正解だった!


この路地は!地元の人にしか解るまい!

というわけで「若宮神社」に到着。

源氏関連の神社探しで重要なキーワードになるのは「八幡神社」「若宮神社」と、その土地の「氏神」と呼ばれる郷社。若宮神社は八幡神の子息(若宮)を指すか、もしくは八幡神社の分社を指すので、見たら必ずお参りしておくのが吉。


もはや空腹を誤摩化しきれなくなって「ヤマザキパン」のノボリのたつ「中田商店」さんへ。
ここでパンを買いながら、お店の方と、丁度買い物に来られていたご婦人に、「このあたりで弓矢八幡というとどこでしょうか?」とお聞きしてみると、
「それは山の向こうの中学校の方にある八幡様じゃない?」というお答え。
うわー、やっぱりそうか!
「道沿いの若宮神社は八幡様から分社されたもの」だそうで。

ここからは憶測だけども、
大桑のあたりは古くから木曽川の氾濫が多く、また土砂災害にも度々あっているようで、近代だと大正時代にもひどい地滑りがあったらしい。
ということは、東地区にある弓矢八幡は本来弓矢地区にあったのが、なんらかの災害によって東に移されたということなんじゃなかろうか。中山道も中地区を通っていたといい、地図からみても不自然。

なんにしろ、弓矢八幡考証は次の宿題にする。

パン屋さんのご婦人お二方からは、他の寺社のお話もお聞かせいただき大変感謝したのだが、「私等ここで生まれ育った者だけど、こんなところまで訪ねてくださって本当にありがとう」とおっしゃっていただいたのが、なんとも旅人には染み入るお言葉だった。。。いやもうこちらこそ!!!
また来ます!宿題もあるし(^^;


購入したパンを駅舎で食べながら電車を待つこと15分、すっかり暗くなった木曽路を抜けて終点の名古屋駅まで乗車。
さらに乗換えて岐阜駅に行き、この日は岐阜のホテルにチェックイン。




さて次の日、天気はやはり晴れたり曇ったり雨が降ったり、という不安定なかんじ。
岐阜駅から大垣駅へ行き、そこからローカル線「樽見鉄道」に乗換え終点「樽見駅」で下車。


1両しかない電車でカワイイ。


途中に渓谷も通るのでただ乗るだけでもちょっとした旅気分があじわえる。この日は桜見物の観光客のために途中から2両編成になった。

この樽見=岐阜県本巣市根尾谷に木曽殿のエピソードはないけども、砺波合戦(倶利伽藍峠対陣)の際、平家軍の敗走兵が落ちてきたという「平家落人伝説」がある。
そう思って地図を見てみると、国道157号線を北上して見事に「平家平」を越え、越前大野に出る。そのすぐ先には勝山市の(斎明でおなじみの)白山平泉寺。
ぬ、あながちウソではなさそうなルート…

と、そんなコトとは関係なく、桜の古木を愛でる。
日本三大巨木桜「薄墨桜」



樹齢1500年以上といわれ、源平合戦が800年前と考えると何か壮大な時間を感じる。。。木曽殿がもしこの木を見ていたとしてもすでに700年の古木とか、もう想像がつかない。。。!
多少散りかかっていたものの、散りぎわになると花びらが薄墨のようになる…という、名前の由来となっている花の色を楽しむことができた。
時折、小雨のなか陽もさして幻想的、観に来た甲斐があったというもの。


サスガにこのあとは名古屋駅まで行ってさくっと新幹線に乗って東京にもどる。
その前に名古屋駅地下の「驛麺通り」で『和歌山らーめん きのかわ軒』の醤油とんこつラーメン700円をズバっと…。


と、ここまでおつきあい毎度あざーす!
2013年03月07日





より大きな地図で 木曽聖地地図 を表示
*地図は大桑駅周辺

<今回の移動ルート>

JR原野駅

岩華観音

巴の松


JR木曽福島駅

御霊神社


JR大桑駅

関所址

若宮神社


JR名古屋駅


JR大垣駅

樽見鉄道・樽見駅

薄墨桜



◆今回のヒント
おんたけ交通日義線
樽見鉄道


◆旅レポもくじ◆

逆走北陸編
南信桜ハント編
篠ノ井乗鉄編
大津ワンデー編
北陸道補完編
プチ野木宮編
長岡⇒宮崎編
木曽⇒根尾谷編
大津編
松本縦断編
善光寺で蕎麦を編
会津乗丹坊編
京・船岡山編
GW補習編
佐久平編
墓参近江編
新年下諏訪編
年の瀬麻績編
丸子ディープ編
原野編
水島室津編
松本平編
山陽編
越前編
塩田平編
飯田編
丸子義仲桜編
京都編
横田河原編
北陸編
落合編
鎌倉編
粟津編
宮ノ越編