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一言 de ゲンペイ

源平モノの王道・平家物語の各段をだいたい一言で説明できるように、短くまとめて書き出してみました。
(底本は平家物語流布本)
ザックリあらすじを把握したり、スポットの当っている人物(主語にしてあります)に着眼してみると面白いかも。


巻第一巻第二巻第三巻第四巻第五巻第六巻第七
巻第八巻第九巻第十巻第十一巻第十二灌頂巻


巻第一


 一 祇園精舎
君主に反逆し権勢を振るった者はいつか滅びるが、中でも清盛はひどかった。

 二 殿上の闇討
清盛の父・忠盛は出世のことで妬まれたが、銀箔をはった木刀で機転を利かし上皇に褒められた。

 三 鱸 付/禿童
忠盛は刑部卿まで昇り死去、清盛が跡を継ぎ保元・平治の乱で勲功を挙げて太政大臣に昇る。
付/
清盛は51歳で出家、独裁の為おかっぱ髪に赤い服の密偵を京中に放った。

 四 我身の栄花
清盛の一族は超早出世し政界の重要なポストを占め、娘も后となり栄華の絶頂に達した。

 五 妓王
清盛は白拍子の妓王から仏御前に寵を移し妓王母娘を追い払うが、仏御前も清盛の元を去る。

 六 二代の后
二条天皇は叔父であった故・近衛天皇の后を強引に自分の后にしてしまう。

 七 額打論
二条天皇は病により2歳の皇子に譲位し23歳で崩御。葬送の額打を興福寺と延暦寺が争う。

 八 清水炎上
延暦寺は報復に興福寺の末寺・清水寺を焼く。六条天皇は5歳で退位、後白河上皇の皇子(高倉天皇)が即位。

 九 殿下の乗合
重盛次男資盛摂政基房に下馬の礼を取らなかった為侮辱される。
後日、清盛が報復する。

 十 鹿の谷
清盛の娘徳子高倉天皇の后に。成親は左大将のポストを平家に奪われ鹿の谷で貴族数人と打倒平氏を企む。

十一 鵜川合戦
西光子息師経が鵜川で僧等にした乱暴が発端で白山僧兵と乱闘。僧兵は延暦寺に訴えるが審議が長引く。

十二 願立
かつて白河院も手を焼いた「鴨川の水、双六の賽、山法師」、白山僧兵は御輿をかつぎ京中の脅威に。

十三 御輿振
師高・師経兄弟の断罪審議長期化に僧兵は皇居乱入を企て、頼政の苦衷を受け正面から平家軍と戦い敗走。

十四 内裏炎上
比叡山は臨戦態勢をとるが平中納言の機転で軍を解く。師高兄弟の処分が決まる。翌月京中は猛火に包まれる。



巻第二



 一 座主 付/一行阿闍梨
後白河法皇は西光父子の中傷の一件に怒り天台座主明雲を伊豆に流すが、途中僧兵により明雲は奪還される。
付/
高僧の災難の前例に唐の高僧・一行阿闍梨流罪の一件があった。

 二 西光が斬られ
清盛多田蔵人行綱の「鹿の谷」密告で成親西光を捕縛、清盛を罵倒した西光は惨殺される。子も斬首。

 三 小教訓
清盛成親を尋問するが吐かないので激怒、しかし重盛に説得されて殺すのを思いとどまる。

 四 少将乞請
清盛は成親の子・少将成経を召還。成経の義父で清盛の弟教盛に懇願され身柄をしぶしぶ預ける。

 五 教訓 付/烽火
清盛は謀反計画の裏にいる後白河法皇を軟禁しようと武装し一門を召集するが重盛に教訓される。
付/
清盛邸から帰宅した重盛は狼煙の故事を配下の武士団に語り今後のさらなる忠誠を求めた。

 六 新大納言の流され
新大納言成親は清盛の独断で備前児島に流された。

 七 阿古屋の松
成経も備中瀬尾に流される。父の流刑地が近いと気付き、藤原実方が阿古屋の松を尋ねた昔話を思い出す。

 八 新大納言の死去 付/徳大寺厳島詣で
さらに成経俊寛康頼とともに鬼界が島に流される。成親はそれを聞き出家するも惨殺される。
付/
大納言徳大寺実定は家臣の勧めで厳島神社に参詣したところ清盛に気に入られ左大臣を任じられる。

 九 山門滅亡 付/善光寺炎上
比叡山では学僧と僧兵が対立を激化させ、僧兵鎮圧のため官兵派遣するが失敗。
付/
一方その頃、長野の善光寺が焼失。

 十 康頼祝 付/卒塔婆流し
鬼界が島に流罪の3人は教盛の差入れで生き長らえ、成経康頼は熊野詣でを熱心にし祝詞をあげた。
付/
康頼が作って名と歌を書き海に流した千本の卒塔婆の一本が厳島神社に流れ着き、人づてに清盛の手に渡る。

十一 蘇武
康頼の望郷の念は漢の蘇武のごとく清盛にも伝わり、都の流行歌にもなった。



巻第三


 一 赦文
乱世の予兆、彗星現る。中宮徳子が懐妊。物怪に悩まされるので恩赦を行い康頼成経も赦される。

 二 足摺
鬼界が島に着いた使者の赦免状に俊寛の名はなく、子供のように足摺りする俊寛をおいて帰京の船は出る。

 三 御産の巻 付/公卿揃へ
康頼成経は肥前国に着く。中宮は皇子(安徳天皇)を出産、清盛はうれし涙を流す。
付/
清盛邸には三十三人もの公卿が祝いにやってきた。

 四 大塔建立
清盛の栄華は、高野山の大塔修理から弘法大師の幻に厳島修理を依頼されて以来、厳島を信仰したおかげである。

 五 頼豪
昔、頼豪という僧が白河法皇の念願成就させたが自らの願いは却下され憤死、怨霊となり祟ったという。俊寛はどうか。

 六 少将都還り
成経は備前の父の墓参をして帰京、法皇に仕えて中将に昇る。康頼も東山双林寺山荘で説話集を執筆。

 七 有王が島下り
有王は鬼界が島に渡り主の俊寛に再会、俊寛を看取る。帰京し遺骨を俊寛の娘に渡すと出家し、全国を行脚。

 八 つじかぜ
京中を暴風(辻風)が吹き荒れ、家屋は倒壊し人畜に被害。これは百日以内に戦乱になる予告だと占いに出る。

 九 医師問答
重盛は熊野に詣でて父一代の繁栄なら命を縮めよと祈念、凶兆あり病床に臥せると名医も断り亡くなる。

 十 無文の沙汰 付/灯籠 付/金渡し
重盛は予知夢で平家の運命を知り、大臣(自身)の葬儀用で無地・黒漆の「無文」太刀を長男維盛に譲渡。
付/
また重盛は東山に仏堂を建立、美人尼衆を配して読経させ四十八基の灯籠を設置、「灯籠の大臣」と讃えられる。
付/
さらに重盛は宋の育王山(いおうざん)に三千両を寄進し、自身の後世を弔うよう依頼。

十一 法印問答
京で大地震。清盛は福原から数千騎で上京し、法皇から派遣された信西子息静憲法印と会見。

十二 大臣流罪 付/行隆の沙汰
清盛クーデター。多数閣僚高官を解任し関白基房と頼長子息師長を流す。新関白に近衛基通(清盛娘婿)。
付/
清盛は前関白基房の家臣大江遠成父子を攻め自害させ、前左小弁行隆を無官から取立てるなど思うままにする。

十三 法皇御還幸
平家軍が法皇の御所を包囲し法皇を鳥羽殿に監禁。静憲法印だけが参上を許され法皇を慰める。

十四 城南の離宮
高倉天皇は城南の離宮(=鳥羽殿)に譲位・出家の意向を伝えるが法皇が制止。天台座主に明雲復帰、清盛は福原へ帰る。



巻第四


 一 厳島御幸 付/還御
高倉天皇安徳天皇に譲位。清盛の圧力。新院高倉上皇は父法皇の軟禁を解かせるため厳島参詣を思い立つ。
付/
新院は厳島参詣、福原を経由し帰京。新帝即位。紫宸殿での異例の儀式。

 二 源氏揃へ
法皇の第2皇子高倉宮以仁王)は源頼政の進言で平家追征討を決断し令旨を諸国源氏に齎す。熊野新宮を攻め大敗。

 三 鼬の沙汰
鳥羽殿で鼬の群れが騒ぐ。吉事と凶事の占い結果が出、翌日法皇の軟禁解除と高倉宮謀反の報せがあった。

 四 信連合戦 付/高倉の宮園城寺へ入御
高倉宮を逮捕の手から逃れさせるため、家臣の長谷部信連が活躍。
信連は一人奮戦の末捕縛される。
 付/
高倉宮は賀茂川を渡り園城寺(=三井寺)に駆け込む。

 五 競
頼政は自邸を焼き一族で三井寺に向かう。渡辺競は置いて行かれるも宗盛を欺き意趣返しして三井寺に到着。

 六 山門への牒状
三井寺は清盛討滅を決定、延暦寺(=山門)に牒状を送る。

 七 南都牒状
山門は牒状の(本寺)山門と(末寺)三井寺が対等との表現に憤慨、協力を断る。三井寺南都にも牒状を送る。

 八 南都返牒
南都は『仏法王法の敵清盛討つべし、援軍を送る』と返書。

 九 大衆揃へ
三井寺は内部の平家内通一派に軍議を長引かされ、作戦を中止。高倉宮は南都へ後退を決める。

 十 橋合戦
高倉宮は宇治平等院で休息、追撃の平家軍頼政僧兵軍が宇治橋で激戦。平家は足利忠綱(17)指揮により渡河成功。

十一 宮の御最期
頼政は高倉宮の宇治脱出を見届けて自害。頼政の子息仲綱・兼綱はじめ一族も討死。高倉宮は奈良へ逃亡中流矢で死亡。

十二 若宮御出家
平家軍は頼政らと高倉宮の頸を京に持ち帰る。高倉宮の八条院の若宮は助命、奈良の若宮も出家し北国に下る。

十三 鵺
頼政は和歌も弓馬もよくし、二度も鵺を退治したという。

十四 三井寺炎上
この度の騒動を山門は静観。この機に平家軍は反平家派の三井寺を攻撃し壊滅させる。



巻第五


 一 都遷 付/新都
福原遷都法皇・上皇・天皇平家一門は福原に移転、法皇はまたしても軟禁される。
付/
新都の建設ははかどらない。

 二 月見
貴族等は源氏物語の名所で月見。大納言徳大寺実定は荒廃した都に戻り二代の后だった妹と対面、昔を懐かしむ。

 三 物怪
遷都以来、平家一族は怪異怪夢に悩まされ、清盛もいろいろな物怪にあうが動じない。

 四 大庭が早馬
福原に大庭景親から頼朝挙兵の早馬到来。代官平兼隆を討った後、大庭と戦って安房へ敗走の模様。

 五 朝敵揃へ
清盛は頼朝の忘恩に激怒。古来、朝敵は必ず滅ぶ。

 六 咸陽宮
朝敵必滅の先例として、燕の太子丹は始皇帝を暗殺するため刺客を咸陽宮に送り出し逆に討たれたという。

 七 文覚の荒行
頼朝謀反の原因は修験者・文覚の説得による。

 八 勧進帳
以前、文覚は荒行し諸国を巡った後、高尾山に入り神護寺修理のため勧進、法皇御所に勝手に入り勧進帳を読み上げた。

 九 文覚流され
この事で文覚は投獄、大赦があるも言動がたたり伊豆に流罪。

 十 伊豆院宣
伊豆で文覚頼朝と接見、打倒平家を進言。偽って福原に戻り法皇から戴いてきた院宣を見て頼朝は挙兵を決意。

十一 富士川
平家は源氏追討軍(官軍)を派遣し富士川に布陣、頼朝軍は黄瀬川に。水鳥の羽音に怯え平家軍退却、不戦敗。

十二 五節の沙汰 付/都還
清盛維盛の敵前逃亡に激怒したが官位は昇進させる。大嘗祭は中止、新嘗祭と五節は都に戻って行う。
付/
福原から京へ遷都。福原の不備に批判の声が上がったため。知盛率いる近江源氏追討軍は圧勝。

十三 奈良炎上
南都に緊張高まる。重衡率いる平家軍と乱戦、南都敗戦。平家軍の放火により東大寺・興福寺等が焼失。



巻第六


 一 新院崩御
正月の宮中行事は全て中止。高倉上皇崩御。

 二 紅葉 付/葵の前
高倉上皇は幼少の頃より、大切な紅葉を燃やされても怒らない慈悲深い人であった。
付/
また上皇は中宮付きの女房に仕える少女・葵の前を愛するも立場を重んじ交際を断念。葵の前は病死、これを嘆いた。

 三 小督
中宮が絶世の美女小督を傷心の上皇に会わせ、これに清盛が激怒。小督は嵯峨に身を隠すも上皇に発見され密会。

 四 廻文 付/飛脚到来
清盛は法皇と娘とを政略結婚させる。一方その頃、木曽義仲は打倒平家の廻文を諸国源氏に出し、信濃と上野が呼応。
付/
清盛は義仲謀反の報せを侮る。河内の義基父子は鎌倉になびく前に討伐。諸国武将の平家謀反が広がる。

 五 入道逝去 付/経の島
清盛発病、重態に陥る。宗盛は反乱鎮圧の出兵を中止。ほどなく清盛は高熱に暴れ死にする。
付/
葬儀の晩に清盛邸全焼。清盛は極悪人だったが善行もした。人柱を立てず経石を沈めた「経の島」もその一つ。

 六 慈心坊
以前、慈心坊という僧が「清盛は慈恵僧正の化身」という夢を見て清盛に話したところ官位を授けられた。

 七 祇園女御
清盛は白河院の落胤とも言われた。忠盛が院から頂いた祇園女御は既に妊娠していたという。

 八 洲の股合戦 付/しはがれ声
南都は再建開始。平家軍は美濃国墨俣で源氏軍と対峙、源氏は夜襲に失敗、義円戦死・行家逃亡。平家軍は帰京。
付/
城助長は「奈良大仏を焼いた平家に味方する者は捕らえよ」という嗄れ声を聞き、義仲追討を強行しようとして変死。

 九 横田河原合戦
五月に改元、寿永。城長茂軍義仲追討のため横田河原に布陣、木曽軍は奇策を用い大勝。



巻第七


 一 北国下向
三月、義仲頼朝の間に不和、義仲は子息を人質に出す。四月、平家軍は義仲追討のため北国に向かう。

 二 竹生島詣で
平家軍の副将経正は行軍途中に竹生島に渡り、琵琶演奏を奉納。

 三 火燧合戦
義仲は信濃から越前に燧城の建設を指示。斉明の裏切りにより平家軍の攻撃で落城。これを受け義仲出兵。

 四 木曽の願書
越中国境で木曽軍平家軍が対峙。義仲は羽丹生八幡に願書を奉納。願書は覚明の手による。

 五 倶利伽藍落し
木曽軍は砺波山中に野営の平家軍を夜襲、倶利伽藍谷に追い落とす。平家は全軍の7割を失い敗走。

 六 篠原合戦
木曽軍平家軍を追撃、篠原で対決し圧勝。

 七 実盛最期
斎藤実盛は故郷に錦を飾る事を赦され、大将の直垂を着て出陣。手塚光盛に討たれる。実盛は義仲の恩人。

 八 玄昉
平家大敗で終戦。天皇は伊勢行幸、藤原広嗣の追討以来。広嗣の霊は供養をした玄昉僧正に落雷したという。

 九 木曽山門牒状
義仲山門に協力要請書簡を送る。覚明の進言による。

 十 山門返牒
山門は木曽協力を決定、返牒を送る。

十一 平家山門への連署
平家も山門に連名の牒状を送るが。時遅く失敗に終わる。

十二 主上の都落
平家の九州鎮圧部隊が京に凱旋。宗盛は木曽軍を警戒し天皇を擁し西国落ちを決定する。法皇、摂政は残る。

十三 維盛都落
維盛は妻子を京に留め置いて落ちる。平家一門は邸宅・近隣民家に火をかけ逃走。

十四 聖主臨幸
京は焦土と化す。知盛畠山・小山田・宇都宮を開放。

十五 忠度都落
忠度藤原俊成に和歌を託して落ちる。後に「千載和歌集」によみ人知らずとして載せられる。

十六 経正の都落
経正は仁和寺の御室に琵琶「青山」を返却し、落ちる。

十七 青山の沙汰
青山は唐から伝来した琵琶の名器。経正は宇佐八幡でこれを演奏し喝采されたことがある。

十八 一門の都落
平家一門は西国に落ちて行った。頼盛(清盛弟)は都に残る。
重盛の忠臣・貞能は重盛の骨を高野山に納め東国に落ちる。

十九 福原落
平家一門は福原に一泊、翌日火をかけて海路を西へ。



巻第八


 一 山門御幸
木曽軍は山門にあった法皇を守護し入京、平家追討を命じられる。法皇は故高倉院の遺児のうち四の宮(後鳥羽天皇)を選定。

 二 名虎
義仲・行家任官。平家一門は殿上平家以外解官。平家は太宰府に到着。四の宮即位。昔、相撲で帝位を決め名虎が敗北。

 三 宇佐行幸
伊勢に新帝即位の報告。一方その頃、安徳天皇は宇佐八幡に参拝。

 四 緒環
豊後代官から緒方惟義に平家追討の命が下る。緒方氏の祖先は明神の大蛇の子で緒環を伝って発覚した伝説がある。

 五 太宰府落ち
平家一門緒方軍に太宰府を追われ屋島に到着。途中、清経は入水自殺。

 六 征夷将軍の院宣
頼朝が征夷将軍に任命される。鎌倉で頼朝は威儀を正し拝命する。

 七 猫間
法皇と近臣らは頼朝の態度に感心。一方、義仲猫間中納言を猫と言うなど無礼な言動等で都人から嫌われる。

 八 水島合戦
平家軍は四国・中国を勢力下に置く。義仲は兵を派遣するが備中水島海戦で木曽軍惨敗。

 九 瀬尾最期
義仲は敵将瀬尾兼康を捕虜から配下にしていたが裏切られる。反撃し返して瀬尾父子討死。

 十 室山合戦
義仲行家の不穏な動向を懸念し平家追討を断念、帰京。行家は西国に逃走、途中平家軍と戦いさらに敗走。

十一 鼓判官
都では義仲木曽軍の乱暴狼藉が問題に。交渉人壱岐知康は義仲と決裂、法皇に義仲追討を直訴。

十二 法住寺合戦
義仲知康指揮下で法住寺に布陣した法皇軍を攻撃、圧勝し法皇を監禁。また平家に同盟を持ちかけるが失敗。



巻第九


 一 小朝拝
年が明けるが宮中の正月儀式は一切中止。

 二 宇治川
義仲は鎌倉から木曽追討軍出兵の報を聞き、宇治川で迎撃するが失敗。佐々木・梶原の先陣争いがあった。

 三 河原合戦
木曽追討軍搦手大将の源義経が入京し法皇を保護。義仲は宇治敗戦を聞いて加茂河原で一戦交え京を離れる。

 四 木曽の最期
義仲は愛妾を戦線離脱させ、途中おち合った乳母子今井と共に追手と戦い粟津で首を取られる。

 五 樋口の斬られ
木曽軍の将樋口は降伏、捕虜となり助命嘆願も赦されず斬首。平家軍は一の谷を城塞とし陣を布く。

 六 六箇度合戦
四国はじめ平家への裏切りが多発、教経はこれらと六回戦い平定。

 七 三草勢揃へ 付/三草合戦
源範頼・義経は三種の神器奪還の命を受け、昆陽野・三草山に分かれて進軍。源氏軍は錚々たる顔ぶれ。
付/
義経軍は平家軍を夜襲し勝利。資盛らは屋島に脱出。

 八 老馬
義経は自隊と土肥隊に分け一の谷包囲、老いた馬を案内に鵯越を目指し、途中で猟師の子に道案内させた。

 九 一二の駆け
源氏の熊谷父子平山季重も一の谷に到着、一番乗りを争う。

 十 二度の駆け
範頼軍は生田の森に布陣。河原兄弟奮戦の末討死。梶原父子激闘、子を救うため父は二度敵陣を駆け抜けた。

十一 坂落し
長期戦の様相を呈した頃、義経軍は一の谷背後の鵯越から平家軍を奇襲。平家軍は壊滅、一部は海上に退却。

十二 盛俊最期
盛俊猪俣則綱に騙し討ちされる。

十三 忠度の最期
忠度は戦線離脱を図るが岡部忠純に見つかり討死。箙に結んだ歌でそれと知れる。

十四 重衡生捕
重衡梶原景季らに追撃され馬を射られて捕虜に。乳母子の後藤兵衛は主を見捨てそのまま逃走。

十五 敦盛最期
平家軍は海上に撤退。敦盛は引揚げる所を熊谷直実に討ち取られる。

十六 浜軍
知盛は退却中の浜で追撃を受け、子息知章・腹心監物頼方を失う。知盛だけが平家の船にたどりつく。

十七 落足
平家首脳陣の戦死者は通盛はじめ10名、2時間でおよそ2千の兵を失い、海路を敗走する足取りも重い。

十八 小宰相
通盛婦人小宰相は身重だったが、船上で夫の訃報を聞き入水自殺。



巻第十



 一 首渡し
義経範頼の意見により平家一門の首が都を引き回される。平家軍は屋島にあり、維盛は都の妻子を案じる。

 二 内裏女房
法皇は捕虜重衡の命と引換えに三種神器の返却を求める意向。重衡は幽閉先で愛人の内裏女房と再会。

 三 屋島院宣
屋島にいる平家の元に院宣が届く。捕虜重衡と三種神器との交換の内容。

 四 請文
宗盛・知盛らは三種神器の返却拒否の返答書(請文)を送る。使者に受領の焼印まで押して帰す。

 五 戒文
重衡は出家を願うが不許可、しかし法然に会うのは許され授戒。清盛から譲られた舶来の硯を布施に差し出す。

 六 海道下り
重衡は東海道を下って鎌倉に護送される。

 七 千手の前
重衡は毅然とした態度で頼朝と対面。その夜、頼朝の計らいで遊女・千手の前と夜を明かす。

 八 横笛
屋島の維盛は密かに高野山に登り滝口入道に会う。滝口はかつて愛した横笛への愛執を断ち出家した過去がある。

 九 高野の巻
維盛は滝口入道に家族の悩みを打ち明け、高野山を巡って伝説ある奥院に詣でる。ここには弘法大師廟がある。

 十 維盛の出家
維盛主従は出家、滝口入道と共に山伏姿で熊野に向かう。道中、地方豪族湯浅氏と行き会うが見逃される。

十一 熊野参詣
維盛一行は熊野の本宮・新宮・那智を参詣。

十二 維盛の入水
維盛は家族への愛執を滝口入道に諭され、二人の従者と共に入水。

十三 三日平氏
屋島の資盛は維盛の遺書を受取る。頼朝正四位下に。平頼盛鎌倉入り。伊賀伊勢平氏が近江に進攻するも源氏軍に掃討さる。

十四 藤戸 付/大嘗会の沙汰
維盛夫人出家。後鳥羽天皇異例の即位。平家軍は海路備前児島へ、源氏範頼軍は対岸の藤戸に布陣。盛綱の策で源氏勝利。
付/
義経は大嘗会前の式典で警護役に。大嘗会は例年どおり開催。範頼は平家討伐に向かわず遊興にふける。



巻第十一



 一 逆櫓
義経は平家討滅を許可される。出港直前、暴風で軍船破損したのを受け景時は逆櫓を進言し論争に。義経は夜半5艘で出港。

 二 勝浦合戦
義経はわずかの手勢で勝浦上陸、地元武士近藤親家と組み平家方の地元武士桜庭氏を攻撃。

 三 大坂越
義経は平家軍出兵中で屋島手薄との情報を得、大阪越を強行軍して急襲。未明に攻撃、民家に放火し大軍と見せかける。

 四 嗣信最期
義経は屋島内裏に乱入。平家軍は沖に退去するも教経が義経軍少数を察知し反撃。義経の腹心佐藤継信は矢を受け戦死。

 五 那須与一
夕刻、平家陣から豪奢な小舟が出て扇をかざす。これを義経軍の那須与一が海岸から射落とし、源平両軍から喝采。

 六 弓流し
合戦再開、景清は上陸し挑発。義経は海中まで深追いし落とされた自身の弓を必死に拾う。この日平家は夜襲せず。

 七 志渡合戦
義経は志渡に移動した平家軍を追撃。途中、平家方の田内教能に偽情報を与え捕縛し配下に。梶原軍到着。

 八 壇の浦合戦
義経軍は周防で範頼軍と合流。熊野河野氏は源氏に帰属。義経と景時不和。田浦と壇浦に源平両軍が対峙、開戦。

 九 遠矢
源平交戦中、源氏の和田が放った遠矢に平家の仁井が挑戦、源氏はさらに浅利与一を出し強弓勝負に勝つ。

 十 先帝御入水
平家方は阿波民部はじめ四国九州武将が裏切り。敗色濃厚の事態に二位尼は三種神器の宝剣と神璽、安徳天皇を抱き入水。

十一 能登殿最期
源氏は建礼門院と神鏡を救出。教盛・経盛、資盛・有盛兄弟ら入水。宗盛父子は捕虜に。教経戦死。

十二 内侍所の都入
知盛入水。平家追討全戦終結。神璽・神鏡(内侍所)還御。宝剣は壇の浦海中に没する。

十三 一門大路渡され
平家一門の生残りが捕虜として入京、引き回し。宗盛父子義経預かりに。頼朝は三階級特進、従二位。

十四 平大納言の文の沙汰
義経時忠の美姫をもらい押収した問題書類を返却。京の義経人気に頼朝は不快を表す。

十五 副将斬られ
義経宗盛に幼い実子副将(8)との面会を許可。その後副将は斬首。

十六 腰越
義経宗盛・清宗父子を鎌倉に護送。が、梶原の讒言により鎌倉入りを許されず、腰越で大江広元宛に手紙を書く。

十七 大臣殿誅罰
頼朝宗盛と対面。義経は頼朝と和解のないまま、命により宗盛父子を京に護送と見せかけ途中近江で斬首。



巻第十二


 一 重衡の斬られ
頼朝奈良僧兵重衡引渡し要求を呑んで護送、途中重衡は妻と別れを惜しむ。南都焼討ちの咎で木津にて斬首。

 二 大地震 付/紺掻の沙汰
突如として大地震発生。都は壊滅。
付/
一方、文覚は義朝の頭蓋骨を持って鎌倉に。首は義朝に仕えていた藍染め職人が弔っていた。頼朝は菩提寺を建立。

 三 平大納言の流され
平大納言時忠は能登へ流罪。他の平家要人も遠流。

 四 土佐坊斬られ
義経は景時の讒言により頼朝の送った刺客土佐坊を、弁慶静御前の働きにより返討ちにする。

 五 判官都落 付/吉田大納言の沙汰
頼朝時政に命じ義経追討軍を上京させる。
付/
義経は海路九州へ脱出を試みるが難破、陸路奥州を目指す。頼朝は日本国総追捕使に就任。公武間交渉役に吉田経房を着ける。

 六 六代
頼朝は懸賞をかけ平家の残党狩りし、維盛の遺児・六代(12)等を捕縛。処刑寸前に赦免状を持った文覚が間に合う。

 七 泊瀬六代 付/六代斬られ
長谷寺で母・乳母に再会の後、六代文覚に引き取られる。
付/
頼朝の嫌疑を晴らすため六代は出家、しかし頼朝の死去と文覚流罪に伴い30余歳で鎌倉にて斬首。平家の血は絶えた。



灌頂の巻



 八 女院御出家
建礼門院は出家し吉田に居住、安徳の形見の衣すら布施に出すほど窮乏し没落していた。

 九 小原への入御
建礼門院は先の大地震で罹災、大原の寂光院に移る。

 十 小原御幸
後白河法皇はお忍びで建礼門院を訪ね、その変わり果てた姿を哀れむ。

十一 六道の沙汰
建礼門院法皇と対面、平家の栄枯盛衰を六道輪廻と重ね合わせて語る。

十二 女院御往生
その後建礼門院は病を得て、二人の女房に看取られ死去。




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