ReturnTopMainMenu


「源平≒ガンダム」(源平合戦とガンダムは似ている)という
ダメな比較考証やってみた。


発端は、ガンダム好きの友人に平家物語の話をアツく語る際に、いちいち「ガンダムのこのシーン似てる」とか、「ガンダムだとこの人」とか、「ガンダムだとこういう意味」と変換して説明していたら、これがけっこうハマる事に気がついたところからです。もちろんハマらない事も多いのですが、そんなの当たり前という前提で読んでいただけるとアリガタイです。

残念なのはガンダムと平家物語をよく知らない人にとっては全く何のコッチャか全くわからないところ。

興味持てる方があればどぞ。

◆其の参 <ガンダム00>


● ● ● ●第八夜 ● ● ● ●

人類は未だひとつになりきれずにいたのだ…

これだけ無茶振りしておいてなんなんですが、ここでサクっとガンダム00(ダブルオー)の話をしたいと思う…
もう連邦だのジオンだのといった話は忘れてください。なにしろ宇宙世紀ですらないですから。


ある日なんとなく目に入ったTVで、ガンダム00冒頭の世界説明のナレーションに耳を傾けた時に何か電気が走ったというか。

TVでは確か「人類は未だ一つになりきれずにいたのだ……。」で終わってると思うのですが公式HPの「STORY」から借りてきたガンダム00の原文を以下に引用します。


西暦2307年。
化石燃料は枯渇したが、人類はそれに代わる新たなエネルギーを手に入れていた。3本の巨大な軌道エレベーターと、それに伴う大規模な太陽光発電システム。しかし、このシステムの恩恵を得られるのは、一部の大国とその同盟国だけだった。

3つの軌道エレベーターを所有する3つの超大国群。アメリカ合衆国を中心とした『ユニオン』。中国、ロシア、インドを中心とした『人類革新連盟』。ヨーロッパを中心とした『AEU』。各超大国群は己の威信と繁栄のため、大いなるゼロサム・ゲームを続ける。そう、24世紀になっても、人類は未だ一つになりきれずにいたのだ……。

そんな終わりのない戦いの世界で、「武力による戦争の根絶」を掲げる私設武装組織が現れる。モビルスーツ「ガンダム」を所有する彼らの名は、ソレスタルビーイング。

ガンダムによる全戦争行為への武力介入がはじまる。

出典【機動戦士ガンダム00公式HP




これを仮に平家物語に変換してみたのですが、上手く行かない。>雑記:◆近況◆2007年12月31日号

と、いうわけで再度挑戦をしてみた。前回よりは納まりのよい形になったかと。


西暦1180年。
天皇親政による統治は衰退し、有力者達はそれに代わる事実上の自治制度である荘園制(租税免除特権を持つ私有地)や、寺社境内社会(法の及ばない自治区)などを手に入れていた。
これによる莫大な資金力と武力。しかしこのシステムの恩恵を得られるのは一部の貴族や寺社だけだった。

この世界の実権を有する3つの勢力、今は後白河上皇を中心とした「朝廷(院政)」。信仰の中心であり神輿をふりかざす「寺社(強訴)」。対抗武力を持たない政権に対し圧倒的武力を提供する「平家(軍事)」。各勢力は己の威信と繁栄のため、大いなるセロサム・ゲームを続ける。そう、11世紀になっても、大和朝廷は未だひとつになりきれずにいたのだ……。

そんな終わりの無い戦いの世界で、「武力による独裁政権(平家)弾圧」を掲げる私設武装組織が現れる。「東国武士団」「北国武士団」等を従える彼等の名は「源氏」。

地方武士団による政治への武力介入がはじまる。

世界から独裁政治(院政を含む)を根絶させるべく戦いを挑むが、それは建前上「天皇のための武力行使」という矛盾も抱えていた…


と、こんなカンジ。最初は寺社を思いつけなかったのですが、藤原氏に巨大勢力の一端を担わせるのはどうかと。逆に「寺社」だけだと有力荘園領主はどうなるのかと。
結局「朝廷」の行間に荘園領主はしまうことにして、わかりやすさを取りました。


源平の争乱が始まってからは「信仰」の建前がある寺社は中立を守り、平家物語中では沈黙している寺社ですが、これを平家が暗黙の了解で何度か討伐しようと試みていたのには、寺社の悪辣な「強訴」「悪僧」に原因があるわけです。

この源平変換では、ガンダム00世界と違って
「軌道エレベーターを持つ国が優位」≠「なんらかの権力を持つ有力者だけが優位」
かならずしも同じ物による優位ではないところが違和感ではあります。


もう少し上手い解釈の仕方はあると思いますが、今夜はここまで。


[目次にモドル]


● ● ● ●第九夜 ● ● ● ●

「この世界に、神などいない」

これはガンダム00に登場する主人公・刹那のセリフなのですが、ここから汲み取れるのは「末法思想」。末法とは主に大乗仏教の考え方で、お釈迦様の時代から1万年(確か)も経った後の世では、本来の仏法は衰退し、正しく行われなくなってしまう…という時代。

慈悲や正義が通用しない世界=「神を信じ、神はいない事を知った」(by刹那)という変換です。


平安時代、源平の時代より100年も前にはすでにこの末法の時代に入り、清少納言などもこの末法思想を信じていました。「末法」の世になり、武士団の台頭、政情不安といった要素が嫌が応にも世を憂う空気を感じざるを得ない。


対してガンダム00の時代でも、持たざる者は虐げられ、もはや紛争も収まらないという、平安時代末期となんら変わらない世相になっています。
#まあ、こっちは作り事なので、現代のネガのような世界観になってるわけですが。



というわけで、ここで恒例の世界の変換を。

ガンダム00世界の3大勢力は
アメリカ合衆国を中心とした『ユニオン』、中国、ロシア、インドを中心とした『人類革新連盟』、ヨーロッパを中心とした『AEU』。

これを平家物語的に、後白河法皇を中心とした貴族集団『朝廷』、神や仏の名の下に強訴を繰り返す『寺社』、地方武士団を従える『軍事貴族』の3勢力に見立てて考えます。

で、それに
武力介入してくる謎の勢力「ソレスタルビーイング(CB)」『源氏』に見立ててみたりできるわけですよ。
「源氏」は以仁王の令旨を受けたとはいうものの、宣旨(天皇の命)や院宣(法皇の命)を受けた訳ではない=そんなにスゴい大義名分がある訳ではない。しかも元はといえば蛭ケ小島に流された罪人・頼朝、木曽に匿われた義仲、と、何の地盤も後ろ盾も持たない。(叔父達にしても不遇な立場に変わりはない)

少数だが圧倒的な武力によって短期・局部での制圧を試みるという点ではジオン的?な雰囲気も感じるのですが、これをやりだすとまたZのような危機に陥るので無視…。

ここまでがガンダム00の中盤までの見立て。


チームトリニティの存在

で、この
「ソレスタル・ビーイング」という謎の団体は、一見「源氏」という同じ勢力にみえて実は「鎌倉(頼朝)勢力」「木曽(義仲)勢力」との2派に分かれてたらオモロイなあ(もしくは2分されていく?)、と思っていたら…

なんと新勢力
『チームトリニティ』が奇しくも木曽軍っぽい役割で出現の仕方をしてきた…というワケです。

「上手いなあ!なんという偶然(?)!」と思いましたよ。

で、この「チームトリニティ」は同じように武力介入をするものの、全くの別行動隊。ソレスタル・ビーイングとは考え方もやり方も異なる。しかし全く別者かというとガンダムスローネを駆っている時点で(GNドライブを搭載している時点で「ガンダム」という称号を得られる)無関係ではない。

同じ「源氏」の血筋であり、平家打倒の目的を持っていても決して交わる事のなかった「鎌倉」と「木曽」に通じるものがある。

そして「チームトリニティ」の3兄弟をフラットキャラクターとしてみた場合、

ヨハン(弟妹にやさしく冷静)→冷静な『本命』キャラ→今井兼平
ミハエル(先走りで問題行動が好きでシスコン)→元気系『リーダー』キャラ→木曽義仲
ネーナ(無邪気で勝ち気な妹)→女子供キャラ(本命に近い性質も)→巴


と、こんなふうに見る事も可能。

さらには「#20 変革の刃」で「チームトリニティの最期」(【木曽の最期】的な…)展開が。
兄弟は討死(と言っていいものか)し、 妹は「ネーナは女なれば、これよりとうとういずちへも落ちゆけ」的展開になり、妹だけが生き残ったというあたり、似てます。逆を言えば、物語を描く時に中途で出てきた対抗勢力というものは、このようにして退場するのがセオリーなのかもしれません。




[目次にモドル]


● ● ● ●第拾夜 ● ● ● ●

滅びの道

ガンダム00/ファーストシーズン最終回・21話のタイトルは「滅びの道」。

とうとう、
ガンダム00×平家物語にも破綻の時がやってきました。

「源氏」であるはずの「ソレスタル・ビーイング」がタイトルの通り、滅びの道を進み始めます。せっかくここまで源平的展開だったのに、残念だ!

皮肉にもソレスタル・ビーイング(CB)の出現によって「ユニオン」「人革連」「AEU」は統合軍を結成し、その排除に取りかかる。しかもCBの優勢の源であった技術が統合軍にあっさり流出。

で、以下4話でものすごい追い落とされ方をします。

#21 滅びの道(統合軍によるCBへの攻撃が始まる)
#22 トランザム(トランザムによる窮地脱却…といえるのかなあ)
#23 世界を止めて(このあたりから敗戦濃厚・主要キャラ死亡)
#24 終わりなき詩(最終回:CB限りなく潰滅)

このあたり、平家の一門都落ちから始まって福原、屋島合戦、壇ノ浦合戦…のような進行に見えてきませんか…主要キャラは死んでくし、ガンダムが主役なのに負けちゃうのかよ〜〜〜!?ってところで第1シーズンが終了しちゃいますた。

だが、まだ第2シーズンがある!括目させてもらおう、ガンダム!!!
(これを書いたのは2008年)

考え方をねじ曲げてみれば、「木曽軍」のみをCBと見立てて、それを滅亡させた事によって鎌倉はより強固な勢力となった。というオチをつけてもいいんですけどネ。そうするとその後の一番の山場・平家追討劇は茶番かっちゅーハナシになってしまうので、そこまでの大風呂敷は広げない事にします;

[目次にモドル]




● ● ● ●第拾壱夜 ● ● ● ●

その再生を破壊する…

さて、ガンダム00セカンドシーズン完結(?)記念として、またしても無謀な検証(こじつけともいう)を敢行する!
まずは恒例の?あらすじ変換からどぞ。


西暦2312年。
ソレスタルビーイングと、国連軍との最終決戦から4年。地球連邦政府を樹立した人類は、さらなる国家の統合、人類の意思統一を目指すべく、連邦正規軍とは別に、独立治安維持部隊『アロウズ』を組織する。しかし、その実態は、統一に名をかりた反政府勢力や主義、思想等への非人道的な弾圧であった。

夢を叶え、ルイス・ハレヴィとの約束を守るべく、宇宙技術者の道に進んだ沙慈・クロスロードも、否応なく連邦政府の改革に巻き込まれていく。

一方、4年前の最終決戦で生き延びた刹那・F・セイエイは、ソレスタルビーイングによって変革を促された世界の行く末を見つめていた。監視者、アレハンドロ・コーナーを倒し、争いのない平和な世界になることを夢見て。しかし、彼が目の当たりにしたものは『アロウズ』によって作られた弾圧という名の平和、歪み続ける現実であった。彼は再び戦う決意をする。世界を変革出来うる力、ガンダムと共に。
再び動き出す世界で刹那や沙慈の進み行く先はどこに向かうだろうか?

出典【機動戦士ガンダム00公式HP



以下、源平争乱期に変換。


西暦1185年。

源氏と、平家との最終決戦から1年、源頼朝を頭として鎌倉幕府を樹立した地方武士団は、さらなる国家の統合、人民の意思統一を目指すべく、朝廷の政治機構とは別に、独立治安維持のため『政所』『侍所』『問注所』を組織する。しかし、その実態は、武家統一に名を借りた北条父子の反幕府勢力や主義、思想等への非人道的な弾圧であった。

兄・頼家が暗殺され、将軍職を継いだ実朝も否応なく鎌倉幕府の改革に巻き込まれていく。

一方、1年前の最終決戦で生き延びた和田義盛は源氏によって変革を促された世界の行く末を見つめていた。監視者、後白河法皇を沈黙させ、争いのない平和な世界になることを夢見て。しかし、彼が目の当たりにしたものは『北条氏』によって作られた弾圧という名の平和、歪み続ける現実であった。彼は再び戦う決意をする、世界を変革出来うる力、武力と共に。

再び動き出す世界で彼らの進み行く先はどこに向かうだろうか。



というわけで、歴史はもはや源平争乱を終わり、鎌倉時代/第3世代に入っていくのです。

1185年、朝廷から「文治の勅許」(守護・地頭の任命許可)を得た源頼朝は、
土着の有力者(を便宜的に武士団という)が自分たちで切り開いた土地を、安堵(所有を公的に認める)できるようになった。

これが最近の鎌倉幕府樹立の根拠なのですが、この安堵される土地というのは、実は日本国全体の土地の数パーセントでしかないと思われ。(スンマセン正確に何%かなんて知らないですが)
ということは、国・寺社・貴族の莫大な所領や所領は確固としてあるわけです。

武士団所領とは土地が密接していても、そこで問題がおこっても治外法権。
土地経営者(有力者)と雇用者(百姓)の意識も違う。

そこで権力を公使する根拠だけでなく、それを納得させるための権威が必要になってくる。(そのために「征夷大将軍」の宣下を得る)

幕府の樹立がハッピーエンド、ではなくこれがはじまりなので、その混乱と混乱に乗じた争いも樹立以前よりむしろ増えるのです。



話が歴史的になりすぎちゃったのでガンダム00に戻しますと、

 「地球連邦政府」→鎌倉幕府(新しい理想の政治形態)
 「アロウズ」→北条父子一党(北条政子は含まれない)

と見立ててみました。
侍所などの行政機構は理想であって悪ではなく、たとえどんな理由があったとしても連邦内の比企、梶原、和田一族を滅ぼしていった北条一族こそが極端な”悪”と見ることができますよね。
でもガンダム00でアロウズは連邦正規軍とCB(ソレスタルビーイング)によって解体させられますが、北条一族は130年続いちゃいます。
ただし、北条政子はこの一党には含みません。まあ、無理に変換するならカティ・マネキン大佐くらいの位置づけで。政子は頼朝公とその理想を支え、二人の子供を愛し、和田や畠山などの御家人を大切にしてた感があるんで(贔屓目ですか?)。



 「刹那・F・セイエイ」→和田義盛

で、セツナが和田義盛になっちゃったのは、まあ事故みたいなものでw
木曽軍の主要メンバーはみんな死んじゃってるし、しょうがないから源氏軍で北条に対抗しようとしたカッコイイ男和田義盛ということで!とはいえ、この「和田合戦」も実に和田側の内部の裏切りで一族は滅亡するのですoTL


 「アレハンドロ・コーナー」→後白河法皇

は、テキトウな人がやっぱりいなかったのですが、ゴッシーも別に倒された訳でもなく中途半端…まあ、アレハンドロがリボンズの傀儡だったように、ゴッシーも晩年は丹後局に操られてたからいっか〜、みたいな。
リボンズがイノベイターとして人類を超えた存在だと言っていたように、後白河法皇も神の子孫という特別な地位にあって武士の世を見下していたところに共通点がないともいえない。
長い目でみれば、彼が鎌倉幕府に権力を渡したばっかりにその後の天皇家ば存続こそすれ没落し、逆説で言えば彼のおかげで武家政権がその後の歴史に大きく君臨していく事になった。
そういう意味ではゴッシーはリボンズという位置づけが正しいです。(ワタシの妄想の中では)


 「ルイス・ハレヴィ」→頼家(兄)
 「沙慈・クロスロード」→実朝(弟)

一番困ったのはルイスちゃんとサジの恋物語、うまく変換出来なくって兄弟にあてはめちゃいました〜。
この二人は、まさに本人の思うところとは関係なく陰謀に巻き込まれていくあたりの「どうしようもなさ」に焦点をあててみたと。ルイス&サジはハッピーエンドだけどこの鎌倉の兄弟ったら、どちらも若くして悲惨な最期…oTL



ガンダム00のラストはこじつけすぎの感もありますが、希望あふれるハッピーエンドになりましたネ。
この鎌倉幕府の顛末のような、常にバッドンドが連続して起こる歴史みたいにされてもキッツいのでよかったと思う反面、ZやZZ世界では、ファーストガンダムのメンバーが頑張ったからってその後幸せに生きてるかといえばそうじゃない、というあの展開を今後に期待してしまう自分がいる…。
だって、ラストに木星でてきたし!(木星→ニュータイプ覚醒を促す過酷な土地)


しかもよく考えたらイオリア・シュヘンベルグの考えた変革が、刹那のアレだけだとしたらそれは一体の被検体においては実験成功でも、人類の覚醒にはほど遠いちゅーか失敗?みたいな見方もできるしきっとそれを見越してティエリアがヴェーダで待ってるんだろうけど……
……

…以下、文句は割愛。
それにしても2010年には映画だそうで…(これを書いてるのは2009年)



これは…運命だ、まだ僕は戦える…!
(Byリボンズ・アルマーク)


おあとがよろしいようで。


● ● ● ●第拾弐夜 ● ● ● ●

最終決戦[来るべき対話]が始まる

ガンダム00劇場版 -A wakening of the Trailblazer-が、2010年9月に公開。

あれから2年後、という時間設定で、こうなってくるとそれと対比する中世世界も、鎌倉幕府の北条執権まで行っちゃいます。
ガンダム00も、劇場版では独立治安維持部隊アロウズは解体(ということは源家の頼家・実朝や北条家の時政といった争乱の種が排除されて北条執権だけが残った頃と考えてよいかと)、再編成された連邦軍下で世界平和に向けて動き始めていた…と、新しい時代へと転換しているので。

そこに130年前に廃船とはったはずの木星探査線「エウロパ」が漂着、事件が勃発。
この廃船には謎の金属生命体「ELS(エルス)」がはびこっており、激しい脳量子波を発し、また刹那らイノベイドの脳量子波を感知し襲いかかる。
…と、とりつく島もないようなシナリオで、「なにその突然出てくる宇宙生命体って!」とツッコミ満載なのですが。


気をとりなおして、この突然の宇宙生命体の到来は「もう元寇でいいや」ってコトで考えてみました。
突然到来し、圧倒的な兵力と見た事もない武器で大和政権(北条時宗代行)は苦戦。
ただし、元寇ではガンダム00劇場版のように、敵と分かり合うこともなく神風が吹いて勝手に敵が退散してしまうので、物語としてはそこがあっけないというか、夢オチか!?ってツッコミたくなりますけども。

『元寇』といえば軍歌にありまして、ワタシはこの歌詞くらいの認識しかございません。
しかし何故か「前寇は1274年、後寇は1281年」という年号だけは中学生の頃覚えて以来、忘れない。。。<合ってるかどうかは知らないです。


(著作権切れてるんで載せてみる↓)

一(鎌倉男児)
 四百余州を挙る 十万余騎の敵 国難ここに見る 弘安四年夏の頃
 なんぞ怖れんわれに 鎌倉男子あり 正義武断の名 一喝して世に示す
二(多々良浜)
 多々良浜辺の戎夷 そは何 蒙古勢 傲慢無礼もの 倶(とも)に天を戴かず
 いでや進みて忠義に 鍛えし我が腕 ここぞ国のため 日本刀を試しみん
三(筑紫の海)
 こころ筑紫の海に 浪おしわけてゆく ますら猛夫の身  仇を討ち帰らずば
 死して護国の鬼と 誓いし箱崎の 神ぞ知ろし召す 大和魂いさぎよし
四(玄海灘)
 天は怒りて海は 逆巻く大浪に 国に仇をなす 十余万の蒙古勢は
 底の藻屑と消えて 残るは唯三人 いつしか雲はれて 玄界灘月清し


軍歌用に作られた歌詞なので、何このアッサリ感?っていう内容なのはおいといて、元寇のゆるい認識ってこんなとこですよね?


しかし、北条政権までくると、源氏も結局表舞台からいなくなってしまう。まさに盛者必衰。
仏教思想では本来「生者必滅」(生きている者は必ず死ぬ)という教えを説いてて、盛者必衰はそのパロディともいえる造語だと思うんですけども、こうして一族子孫の変遷をたどってみると、平氏も源氏もお互い出し抜いて栄えたはずが追い落とされて消える、「盛える者は必ず衰退する」という考え方が、さも正しいように思えます。

さて、最後に。
ガンダム00劇場版の一見すると甘やかなラストシーン。あれが叙事的な長編物語のラストにふさわしいとすれば、平家物語の「灌頂の巻」も、まさに万民の望むところから、作られるべくして作られた対話のエンディング…、と思いました。


「僕は」「わたしは」『わかりあえた…』


ソレスタルビーイングの登場から50年後、刹那とマリナが再会してお互いを認め合うシーンのセリフ。
マリナはかつて一国の王女であったのが今ではただの老女として余生を質素に暮らしており、そこにELSと融合してヨク解らない生命体になった刹那が訪ねてきて、お互いが「理解」のために進んできた道のりについて話をします。

これは後白河法皇が建礼門院を大原に訪ねていき、半生を語り合うシーンと見立てることができます。
戦乱をくぐり抜けて生き残った者同士の(物語を聞いている人々も含んでいる)記憶の共有が、聞く者にシンパシーを生む装置として「語り合うエンディング」はあるんじゃないかと。
建礼門院の語る「六道巡り(天上〜地獄まで全てを体験した)」の話は、戦争体験者ならば決して誇張でないことが理解できるだろうし、これを語らせた物語の作者や当初の聴衆もまた、承久の乱などで戦乱を見てきた体験があるから、リアルに描けたんじゃないかと。

そして、建礼門院は、当時女性には難しいと言われていた「女人往生」をとげて苦しみから解き放たれた、というハッピーエンドで締めくくられています。これは、戦乱で苦しんだ全ての人々への、鎮魂のエンディングのような気がします。


「いいか悪いか」とか、「ホントに解り合えたかどうか」という問題はおいといて、まずは「解ろうとすること=対話」、なんでしょうか。
とはいえ、ゴッシー(後白河法皇)が建礼門院と対話して理解したとはとうてい思えない……
00のオチについては、ホンキでELSと人類における対話や理解の事を考え出すと「そんなわけあるかー!」と叫び出しそうになりますが、しかし、ここまでくるとガンダムを源平合戦に翻訳することはできない次元になってくるので、ここで筆を置くとします。



[目次にモドル]


◆参考文献(映像・ネット辞書)◆



【ガンダム00公式HP】
http://www.gundam00.net/index.html

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/

『機動戦士ガンダムの常識 一年戦争編』双葉社

【機動戦士ガンダム劇場版メモリアルDVD BOX】
http://www.gundam.jp/

前へ


Copyright Miyataya All Rights Reserved.