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覚明をはじめ木曽軍落人が義重を擁して向島に渡り、この地蔵院のあたりに館を構えたという。 |
社伝に「文治3年、木曽義仲将軍の御曹司義重が社殿を再建」とある。 |
祭神は義仲、義重、覚明で、後年、義重と共に落ち延びた36人の家臣を祀ってその遺徳をたたえた。 |
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河野通信はじめ河野氏をはじめ、源平争乱期の武将の信仰を集めていた。宝物館には頼朝、義経の奉納した甲冑、重盛奉納の太刀などをはじめ数々の奉納品が展示されていて圧巻。伝・木曽殿の甲冑もあり、現存しているという点においてはかなりテンション上がります。おみやげのおまんじゅうの模様にもなっている社紋「折敷三文字」は河野氏の家紋にも使われてます。 |