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信濃国●塩田平
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より大きな地図で 木曽殿めぐり信濃国(1) を表示

 ★★
 諏訪形荒神宮(参上神社)|
長野県上田市諏訪形|上田電鉄別所線「城下」駅

由来によると『出陣に際し、木曽義仲に荒神宮像を託された今井が木曽一族の武運を祈った』といい、今井氏の末裔が社を建てたといれれる。
境内左手奥に「今井四郎兼平古蹟」があり、社殿裏には由来は不明だが鎌倉時代とされる五輪塔があり興味深い。ちなみに「参上神社」と「荒神宮」は別々の神社だけども境目はない

 
 小牧城址|
長野県上田市諏訪形|上田電鉄別所線「城下」駅

小牧山の中腹にある城址は中世に使われていた可能性がある(山上は戦国時代)。

 
 生島足島神社|
長野県上田市富士山中組|上田電鉄別所線「下之郷」駅

創建はいつかは不明だが、大同元年(806年)に神戸(神社奉仕する封戸)を寄進されており、これより古くに建てられたと思われ。境内にある夫婦欅は樹齢800年といわれ、大変古く珍しい。
木曽殿に関係ある伝承はない。

 ★
 巴・山吹五輪塔|
長野県上田市富士山中組|上田電鉄別所線「下之郷」駅

 
 手塚五輪塔|
長野県上田市手塚|上田電鉄別所線「舞田」駅

西塩田手塚堰口(せんげぐち)地区にある民家の庭にあるらしい。。。
同所は手塚大城だったといい、「唐糸観音堂」もあるとか。

 
 手塚神社|
長野県上田市手塚|上田電鉄別所線「舞田」駅

貞観十年(868年)に山城国八幡宮より勧進、とありこの土地の産土神。このあたり一帯が手塚という地名で、手塚太郎光盛はこのあたりに住んでいたともいわれる。元々は神社の山をさらに左手に登ったところに社殿があったといい、石碑が残る。

 
 塩野神社|
長野県上田市|上田電鉄別所線「舞田」駅

舞田駅から北上、県道177号をさらに北東に進んで布施製材所を越えて左折。
もしくはオレンジバス西塩田コース「舞田」バス停下車。

 
 塩田館址|
長野県上田市前山309|上田電鉄別所線「三好町」駅

塩田北条氏の館址。1277年に北条義政がこの地に築き、後に村上氏(義清)→武田氏重臣と移り変わっていった。
近くにある「塩田の館」に塩田城の出土品コーナー、以前は新町にあったという手塚光盛の馬蹄跡がついたという「馬の足跡の橋」がある。

 ★
 八幡大神縣社|
長野県上田市|上田電鉄別所線「三好町」駅

木曽殿が行軍途中に戦勝祈願したという。

 
 八木沢天満宮|
長野県上田市|上田電鉄別所線「八木沢」駅

享保(江戸時代)の頃、八木沢に住む手塚氏の末裔・治郎左衛門が木曽義仲を顕彰した古碑がある。
八木沢駅から北西方面に1km、県道177号を越えて北上、徒歩15分くらい。

 
 大湯(葵の湯)|
長野県上田市|上田電鉄別所線「別所温泉」駅

別所温泉の三湯のひとつ、大湯。別名「葵の湯」として親しまれている。
吉川英治の新平家物語の一節に、手傷を負った葵と義仲がランデブーしたのがこの湯とのこと。硫黄泉でお肌トゥルトゥル。

 ★
 将軍塚|
長野県上田市|上田電鉄別所線「別所温泉」駅

こんもりとした塚自体は古墳期の豪族のもの。別名を「維茂塚」といい、余呉将軍平維茂を祀ったと言い伝えられている。後に横田河原で木曽軍と合戦する城氏は「越後国には余五将軍の末葉」と紹介されており、維茂の子孫だという。
木曽殿と直接の関係はないけども、ここを通っていれば古墳を目にしたかもしれない。

 ★★
 北向観音|
長野県上田市別所温泉1666|上田電鉄別所線「別所温泉」駅

天長2年(825年)慈覚大師によって建立されたという。木曽義仲挙兵の際に消失し。後に源頼朝が再興、さらにその後には北条義政及び代々の上田城主より寺領の寄進があった、とある。
芸能のご利益があるといい芸能人の奉納も多い。境内には愛染カツラ(市指定天然記念物)があり小説のモデルになったとか。善光寺にお参りしたらこの北向観音にも参らないと「片参り」になってしまうといわれる、隠れた名所。


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