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信濃国●屋代/篠ノ井/善光寺
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より大きな地図で 木曽殿めぐり信濃国(3) を表示

 ★★
 武水別神社|
長野県千曲市大字八幡3012|JR篠ノ井線「稲荷山」駅、またはしなの鉄道「屋代」駅からバス

武水別(たけみずわけ)神社は紀元前の創建といわれ、安和年間に京都の石清水八幡宮より勧請。
境内の一角に「献納滝壺の石」がある。養和元年、木曽殿が平家との合戦に臨んで戦勝祈願した時に祈願文を奉持した使者がこの石の雨水で具足を洗い清めてから神前にぬかづいた、と伝えられる。この使者はモチロン斥候に出ていた楯親忠と思われ。
しなの鉄道の屋代駅下車して市内循環バス「(姥捨線バス)めいげつ号」で神社前下車。

 
 白鳥山康楽寺(伝覚明開祖)|
長野県長野市篠ノ井塩崎角間3429|JR篠ノ井線「稲荷山」駅

縁起によると開基は木曽大夫坊覚明円通院浄寛西仏坊。海野小太郎信濃守幸親の子として生まれ、南都の学僧から興福寺勧学院の文章博士となり、木曽軍に身を寄せて祐筆として活躍。木曽殿没後は比叡山に登るも、法然上人の弟子となり上人報恩のため庵を建立。後にこの地に移転された、という。

 
 長谷寺/西仏墓|
長野県長野市篠ノ井塩崎|JR篠ノ井線「稲荷山」駅

長谷寺は、横田河原合戦において木曽軍のかけた兵火によって焼失したという。寺から7〜8分歩いた所に康楽寺開祖・西仏のお墓といわれる、一族の塚がある。

 ★
 鞍掛石と舟つなぎ石|
長野県長野市稲荷山|JR篠ノ井線「稲荷山」駅

荒町公民館の向かいに「舟つなぎ石」があり、横田河原合戦で木曽軍がこの船着き場から出発した、と伝わる。公民館左にある「鞍掛石」はその時に木曽殿が鞍を掛けたという。千曲市観光課HPより)

 
 稲荷山温泉|
長野県長野市稲荷山|JR篠ノ井線「稲荷山」駅

古くから温泉が涌いていたといい、木曽殿がこの湯で疵を癒す白狐を見つけた、という昔話がある。(ホテル杏泉閣

 
 屋代氏館址|
長野県千曲市一重山|JR篠ノ井線「屋代」駅

屋代(村上)信国館址といわれる。(東山神社は古墳)。

 ★★
 妻女山|
長野県長野市|JR篠ノ井線「屋代」駅からバス

横田河原合戦で井上隊が妻女山を迂回し、北東に出たところで赤旗を掲げて城軍に援軍と思わせた。雨宮の渡を渡ってきた木曽本隊と戦い油断していた所で白旗を掲げ、一気に挟み撃ちの形で城軍を攻め陣形をくずすと城軍は北国街道を越後方面に敗走していった。
後世、武田信玄と上杉謙信もここで地形を利用した戦術を使って戦っている。

 ★★★
 雨宮の渡|
長野県長野市|しなの鉄道「屋代高校前」駅

雨宮(あめのみや)の渡とくれば、世間的には頼山陽の「鞭聲肅肅〜夜河を過る〜」という詩吟、上杉謙信が武田信玄を攻めるため夜に川を渡った故実で有名。
現在は千曲川から7〜800mほど離れているが、これは治水で河流を変えたためで、中世の渡河ポイントはこの場所。
ここから千曲川を渡ると横田河原の古戦場にたどりつく。また、川の方を向いて左手前方にある山が妻女山。

 ★★★
 千曲川(横田河原古戦場)|
長野県長野市|JR信越本線「篠ノ井」駅

篠ノ井駅東口から国道387号をひたすら南下して2.5kmくらい行くと「横田」の地名が残っており、千曲川にぶつかる。このあたりの川の形は中世の頃とは違っているので、正確な位置は掴めないが、たぶんこのあたりが古戦場ではないかと。
南川岸の反対側には中世の頃の渡河ポイント「史跡雨宮の渡」。写真は更科横田神社近くから雨宮の渡し方向をみたところ。

 ★★
 更級横田神社|
長野県長野市|JR信越本線「篠ノ井」駅

建立などの由緒は不明。養和元年木曽義仲により兵火で焼失した、という社伝が残されている。(ちなみに川中島合戦でも焼失している)東横田の地名が残る場所にある。

 ★★★
 横田城址|
長野県長野市|JR信越本線「篠ノ井」駅

地元の方にたずねるときは「会(あい)のお稲荷さん」と行った方が分かりやすい。
城長茂が横田河原で木曽軍と対峙する際にこの城に入ったと伝えられる。周囲にちょっとした土塁のほか堀址もあるらしく、また地名などに城址の名残りが残されている。

 ★★
 可毛羽神社|
長野県長野市|JR信越本線「篠ノ井」駅

可毛羽神社(かもはじんじゃ)。由緒書きによれば、木曽義仲による戦火で社殿を焼失したという。
道を挟んで木曾義仲ご子孫・久保田一族の墓所に「朝日将軍義仲墓」がある。横田城址からすぐだが、住宅地にあってちょっと道が解りづらいので注意。

 ★
 勝鬨八幡社(更級斗女神社)|
長野県長野市川中島町|JR信越本線「今井」駅または長野駅からバス「川中島古戦場」

「更級斗女神社」境内にあり、木曽軍が横田河原合戦で勝った時にこの八幡社の前で勝鬨をあげた事に由来する。現在の場所には明治時代に移転したもので、元はもっと西南にあったという。富部三郎家俊館跡とも目される?更級斗女神社境内には横田河原合戦の兵火から焼け残ったといわれる大欅がある。(長野県神社庁HPより

更級斗女神社の西には戸部城址があり、小さな社が目印。
今井駅東口から出て左手の大通りを東に向かい「御厨公園入口」交差点を左折、信号を越えて須崎商店を左折。徒歩30分。

 ★
 富部御厨岡神明神社|
長野県長野市|JR信越本線「今井」駅

戸部御厨(伊勢神宮所領)に勧進された。富部氏本拠地のランドマーク。

 
 亀伝山常泉寺|
長野県長野市|JR信越本線「今井」駅

富部氏菩提寺。裏の大ケヤキそばに富部家俊供養塔がある。

 ★★
 今井神社(兼平五輪塔)|
長野県長野市|JR信越本線「今井」駅


 ★
 兼平山切勝寺|
長野県長野市|JR信越本線「今井」駅


 ★
 駒洗池(今井池田遊園地)|
長野県|JR信越本線「今井」駅

今井兼平が馬を洗った池があったという。今井の池田遊園地の敷地内にあった。今はわずかに「池跡」が残るのみ。

 ★★★
 犀川(市原古戦場比定地1)|
長野県|JR篠ノ井線「長野」駅からバス

一説では市原古戦場と目されており、古くは市原(市村)といったらしい。この古名から市原合戦古戦場の候補地となっている。
横田河原合戦開戦時にここで小競り合いがあったと見るのが妥当。

もうひとつの候補地・伊那谷には笠原氏の館があったとされ、そちらでも小競り合いがあったと考えられる。

 ★
 寛慶寺|
長野県長野市東之門町|JR信越本線「長野」駅

栗田入道寛覚開基、善光寺下にある。建立時には栗田村(善光寺の東南)にあった。平家物語には栗田寺別当範覚、とある。

 ★★
 善光寺|
長野県長野市|JR信越本線「長野」駅


善光寺。


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