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信濃国●洗馬/辰野/岡谷
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より大きな地図で 木曽殿めぐり信濃国(6) を表示

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 床尾神社|
長野県塩尻市宗賀床尾|JR中央本線「洗馬」駅から徒歩

由緒によれば「天孫神に逐われた健御名方命が越から諏訪へ向かう時にここを訪れ、牛鬼という賊を打ち払った」と伝えられ、健御名方命を祀ったところから、社の村を床尾村といった。
木曽殿が挙兵しこの地を通る際に祈願奉納をしたといわれる。

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 義仲乗馬の足跡|
長野県塩尻市上小曽部罠沢口|JR中央本線「塩尻」駅から地域振興バス「すてっぷくん」

洗馬の興龍寺から小曽部川沿いに南下していくと、小曽部川清流のそばに蹄の形をした孔のあいた石がある。木曽殿の馬が清流に足を取られたがここで踏みとどまったという言い伝えがあるという。

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 義仲公宿り木|
長野県塩尻市上小曽部萱野森林公園内|「塩尻」駅から地域振興バス「すてっぷくん」終点から徒歩

小曽部川をたどってさらに東の森林公園に入り、山を登っていくと立派な木がある。由来は書いてないので、なぜ義仲公が宿っているのか分からないが立派なカツラ(木)がある。

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 邂逅(あふた)の清水|
長野県塩尻市宗賀洗馬|JR中央本線「洗馬」駅

木曽殿が木曽で挙兵してここまで行軍してきた時、松本の今井から兼平が出迎えに来て、ここで出会ったという。同じ伝承を持つ「太田の清水」が洗馬にもう一ヶ所ある。
この近くに「洗馬の分され」碑があり、善光寺街道中山道が分岐している。

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 東漸寺|
長野県塩尻市洗馬上町|JR中央本線「洗馬」駅

東漸寺は文明13年(1481年)に愚底運公上人により開山されたという。愚底上人五代の祖・長瀬判官代はこの地を本貫とし、木曽殿の家の子として従った。元は長瀬判官代が祈願所として「至宝山西光寺」を建立したが、木曽殿滅亡後、兵火で失われ再興されず、その跡地(根木内)にこの寺が建てられたという。長瀬判官代の館がここにあったともいい案内板がある。

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 長興寺|
長野県塩尻市洗馬上町|JR中央本線「洗馬」駅

「青松山長興寺」。大永7年(1527年)に三村氏により菩提寺として創建された。敷地の裏手に「義仲母堂墓」がある。

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 太田の清水|
長野県塩尻市洗馬上町|JR中央本線「洗馬」駅

案内によると「今井から駆けつけた兼平が義仲とここで会った。義仲の馬を兼平がこの清水で洗い元気を回復させた。」とあり、もうひとつのあふたのしみず=「邂逅の清水」と同じ伝承が伝わる。古道・善光寺街道から奈良井川を渡ったところにある。

 
 槻井泉神社|
長野県東筑摩郡朝日村|JR篠ノ井線「広丘」駅からバス

清和天皇建立の神社といわれ、神社名に泉の字が入っているとおり大昔から泉が湧いていたという。

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 光輪寺薬師堂|
長野県東筑摩郡朝日村|JR篠ノ井線「広丘」駅からバス

行基が開山したという。治承4年(1180年)木曽殿が中興し、堂宇を建立。木曽殿の位牌が安置され、木曽殿の書状が寺宝とされているとか。境内にあるしだれ桜は義仲手植えといい、現在は二代目(一代目は明治に枯死)。左手奥の山中に「兼平嗽の井戸」という清水があるが行くのは大変らしい。

現在の「光輪寺」。薬師堂から2〜300mくらい北にある。こちらも桜の名所。

 
 足無様|
長野県東筑摩郡朝日村|JR篠ノ井線「広丘」駅からバス

幼少の木曽殿を捕えにきた悪源太義平の家来がここで足を痛めて亡くなったという伝承がある。

 
 義仲の硯水|
長野県塩尻市|JR中央本線「奈良井」駅から徒歩

中山道古道を登って鳥居峠を越えた先にある。案内板によると、木曽殿が宮ノ越で旗揚げをし、北国へ向かう途中、鳥居峠を越えるときに戦勝祈願を書き、御嶽山に奉納した時の硯水と伝わる、という。

 
 阿礼神社|
長野県塩尻市|JR中央本線「みどり湖」駅、または「塩尻」駅からコミュニティバス

信濃国式内社のひとつ。社伝によれば、治承年間は木曾殿の尊信厚く祈願所とされ、柏原(宮ノ越)にも分社された。木曾殿没後、柏原の分社は今井氏・高梨氏子孫により上野国の木曽三社神社に移されたのだという。

 
 慈眼山永福寺|
長野県塩尻市|「みどり湖」駅

木曾殿が信仰したという馬頭観世音(朝日観音)を本尊とし、子孫が元禄10年(1702年)に建立したという。観音堂はお堂を左手にいった先にある(写真左)。

 
 小野/矢彦神社|
長野県上伊那郡辰野町大字小野|JR中央本線「小野」駅(塩尻から辰野方面)

矢彦神社縁起に「高倉天皇の御代、木曽義仲かねて源家再興を当社に祈願、木曽谷から家人を参詣させていたが、寿永年中平氏追討の軍を本社にそろえて戦勝を祈願し大勝した。
そこで義仲は、宮材を木曽山林から伐り出し、社殿を造営し、祈願が成就したお礼参りをした。式年造営材が、寿永年間から慶応3年(1867年)に及ぶ約七百年にわたって木曽山林から出材された典例は、ここから始まった。ついで義仲は、川中島の小布施外六カ郷を神領に寄進した」という。

向かって右にあるのが小野神社。元は矢彦神社とひとつだったという。木曽殿が戦勝祈願をし、砺波合戦の礼として社殿を再建したといい、それにちなんで牛に松明をつけて遷宮式をしたとか。

 
 今井十五社神社|
長野県岡谷市|JR中央本線「岡谷」駅からコミュニティバス

岡谷の北、今井にある旧郷社。このあたりも地名を今井といい、今井兼平ゆかりという説もある。

 
 照光寺|
長野県岡谷市|JR中央本線「岡谷」駅から徒歩15分

文明年間(1469〜86年)に今井兼平の末孫今井兵部兼貫が堂宇を再建した。今井氏の菩提寺でもある。

 
 新倉観音堂|
長野県岡谷市川岸|JR飯田線「川岸」駅

新倉(あらくら)観音堂。境内のしだれ桜は木曽殿お手植えともいわれる。例年、四月の第一土曜日にお祭がある。

 
 新倉毘沙門堂|
長野県岡谷市川岸|JR飯田線「川岸」駅

毘沙門天が祀られており、一節には木曽殿が甲に入れて信仰していた木像が納められているとも。本堂の前庭の大きな杉は、市の天然記念物になっている

 
 平出牧|
長野県上伊那郡辰野町|JR中央本線「辰野」駅

辰野駅の東側一帯が平出(ひらいで)の牧と推定。牧の南には「樋口」の地名があり、樋口兼光の本拠地だったといわれる。

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 荒神社(香蓮寺址)|
長野県上伊那郡辰野町樋口|JR飯田線「荒神山」駅

荒神山中腹にある。案内板によれば、弘仁元年(1261)、権大僧都・明山法印が香蓮寺を開山、弘法大師作の三面六臂の像を神爾とし寺の鎮護神として荒神社が祀られた。木曽義仲の四天王の一人樋口次郎兼光もこの社に戦勝祈願をしており、戦国時代には子孫である樋口氏が守護神とした。

 
 樋口内城址|
長野県上伊那郡辰野町樋口|JR飯田線「荒神山」駅

荒神山のふもと、高速道路側にあったという。高速道路建設の際に主郭や堀切などが確認され、主郭からは中世の遺構・遺物が発見された。場所からみて樋口氏の館であったかもしれないが文献等残されておらず不明。

 
 樋口兼光墓|
長野県上伊那郡辰野町樋口|JR飯田線「荒神山」駅


辰野町にある樋口兼光の墓。樋口氏子孫によって建てられたもの。何故この場所にあるのかは不明。


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