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美濃国●神坂〜不破
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より大きな地図で 木曽殿めぐり美濃国 を表示

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 駒つなぎの桜|
岐阜県中津川市神坂|JR中央本線「中津川」駅からバス(北恵那交通バス馬籠線)

義仲駒つなぎの桜。神坂(みさか)峠の岐阜県側にある「広済院顕彰碑」の近くにある。峠の反対側、長野県下伊那郡阿智村の「義経駒つなぎの桜」とは混同しがちだが別物。古く東山道は神坂峠を越えて伊那方面を通っていた。

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 坂下神社|
岐阜県中津川市坂下639|JR中央本線「坂下」駅

坂下八幡神社は、木曽殿の要請でこの地に移され近隣三郷の産土神と合併されたという。
木曽殿はいつも参拝していたが、出陣の際には折からの大雨で木曽川が増水して渡れず、樋口次郎兼房の進言で鏑矢に誓願を結んで対岸に射て渡し、村人がこれを馬の鞍に立てて代参し、木曽殿も対岸の山上から拝した、という。

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 比丘尼寺址(法明寺/菊姫供養塔)|
岐阜県中津川市馬籠|JR中央本線「中津川」駅からバス?

「五輪さま」と呼ばれている。「吾妻鏡」に『菊姫(宮菊)は北条政子の養女となり美濃国遠山荘の一村を与えられた』とある遠山荘が馬籠と目されており、菊姫はここに法明寺(比久尼寺)を建てて住んだという。現在は6基の古い五輪塔だけが残っている。菊姫供養と穿たれた五輪塔がもう1基あるがこれは新しい。
恵那市大井町に住んだという異説もある。

 
 馬籠宿|
長野県|JR中央本線「南木曽」/「中津川」駅からバス(北恵那交通バス馬籠線)

中山道の宿場として栄えた。
現在では江戸の頃の宿場の雰囲気が残されていて、観光としても楽しいので時間があればゼヒ。
JR中央本線南木曽駅からおんたけ交通バス南木曽ー馬籠線バスで「馬籠」下車。
またはJR中央本線中津川駅から北恵那交通バス中津川ー馬籠線で「馬籠」下車。

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 おがらんさま(兼行館址)|
岐阜県中津川市落合|JR中央本線「中津川」駅からバス(北恵那交通バス馬籠線)

落合神社ともいうが、地元では圧倒的に「おがらん様」の名で親しまれている。
木曽義仲の家臣で四天王のひとりともいわれた落合五郎兼行が美濃の勢力に備えてこの地に館を構えたといい、境内には「落合五郎兼行之城跡」の石碑がある。
JR中央本線中津川駅から北恵那交通バス中津川ー馬籠線で「診療所下」下車。

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 八幡神社(落合)|
岐阜県中津川市落合|JR中央本線「中津川」駅からバス(北恵那交通バス馬籠線)

境内の石碑に『白弊社 八幡神社由来』とあり、「当社は「美濃古賎考」によると木曾義仲の家臣落合五郎兼行がこの地に住し創建した社で五郎の兜が奉納されていたと記されている(後略)」とある。
JR中央本線中津川駅から北恵那交通バス中津川ー馬籠線で「診療所下」下車。

 
 落合宿|
岐阜県中津川市落合|JR中央本線「中津川」駅からバス(北恵那交通バス馬籠線)

中山道の宿場「落合宿」として栄えた。
おがらんさま」の前をとおって橋を渡り、国道19号を越えると当時の面影を残す細い道が続いている。時間があったら中山道を歩いてみると楽しい。
どうでもいい話、「13人の刺客」という映画の舞台になっている(といってもここでロケはなかったっぽいけども)。


 
 苗木神明神社|
岐阜県中津川市苗木|JR中央本線「中津川」駅から北恵那交通バス付知峡線「上苗木」

創建は不明。「口碑に木曽義仲が勧請する処なり」とあるとか。

 
 恵那神社|
岐阜県中津川市中津川字正ケ根|JR中央本線「中津川」駅から北恵那交通バス付川上線「恵那山ウェストン公園」

創建は不明だが延長五年(927年)に官社と定められたという。木曽殿旗挙の際、戦勝祈願を行った時の祈願詞が保存されているらしい。その時に奉納したという「伯耆貞綱の名太刀(県指定重文)」がある。

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 諏訪神社(古虎渓)|
岐阜県多治見市諏訪町神田|JR中央本線「古虎渓」駅から徒歩


このあたりは古くは小木村といい、平安末期の頃、落武者(一説によれば今井兼平)によって近隣の農民に「棒の手」と呼ばれる武芸が教えられたという。10月にこの諏訪神社に奉納演舞が行われる。

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 今井兼平碑|
岐阜県多治見市諏訪町神田|JR中央本線「古虎渓」駅

旧小木村の一角にある今井兼平の慰霊碑。傍らの塚碑によれば、今井兼平の一族がこの地まで落ち延びて隠れ住んだとある。

西の牛臥山を越えた愛知県春日井市外之原にも源平合戦の頃の落武者が住みついた集落であったという言い伝えがあり、これに関連するように外之原氏神の「外之原白山神社」では『祭神が白色および幡を忌み嫌う』といわれ、現在でも幡をいっさい立てず白馬も奉納しない。こちらにも「棒の手」が伝わっており、毎年10月に奉納されている。

 ◇資料館
 春秋園/木曽古文書歴史館|
岐阜県可児市久々利1644|JR太多線「可児」駅からバス(東鉄バス久々利線「久々利」)

木曽氏末裔千村家の敷地が八十一隣春秋園として公開されており、そこに「木曽古文書歴史館」がある。千村家所蔵の書画が展示されている中に「今井兼平書状」がある。見学は要予約。
⇒公式サイト「八十一隣春秋園」

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 小山観音|
岐阜県美濃加茂市下米田町小山|JR高山本線「古井」駅から徒歩

木曽殿が母の為に建てた観音堂といわれる。木曽殿の母・若菜御前はこの地で病死したといい、ある時、木曽殿が母の菩提を供養するために訪れ、荒れていた木曽川を渡ろうとしたところ、水中から馬頭観音を背負った龍神が現れ波を鎮めた。これを喜んだ木曽殿は堂宇を建ててこの馬頭観音を祀った、という伝承がある。さらにここから北東2~3kmのところに若菜御前のものとされる宝篋印塔がある。

中山道「太田宿」のほど近くで「今渡」という地名が残る辺が木曽川渡河ポイントだったと思われ。

 
 墨俣古戦場(義円公園/義円地蔵)|
岐阜県大垣市墨俣町下宿|JR東海道本線「大垣」駅からバス

【墨俣川合戦】で源行家(木曽殿の叔父)と義圓(義経の兄)が、関東討伐に下向してきた平家軍(平重衡軍)と戦った古戦場で「義円公園」として整備されている。公園左手のお堂の中に、義円を悼んだ近隣の民によるものと伝えられる「義円地蔵」が祀られている。
東に墨俣川、近くに「鎌倉街道」比定の石碑がある。またここから1.6kmの場所には豊臣秀吉の築いた「墨俣一夜城」がある要所。

 
 義円五輪塔|
岐阜県大垣市墨俣町下宿|JR東海道本線「大垣」駅からバス

「義円公園」左手の小道から田んぼ道に入っていって数百mくらいに義円の供養塔と伝わる五輪塔がある。2基あるが特に案内板等はない。

 
 美濃国分寺址|
岐阜県大垣市青野町|JR東海道本線「垂井」駅/JR「美濃赤坂」駅

仁和三年(887年)に火災で焼失したが、寛弘元年(1004年)に当時の美濃国司だった源頼光によって修復されたという。南北朝時代に再び焼失し、現在は国分寺遺跡の北東に「金銀山瑠璃光院美濃国分寺」として再興されている。

 
 南宮大社|
岐阜県不破郡垂井町|JR東海道本線「垂井」駅

創建は古く神武天皇の頃といわれ、延喜式に「美濃国不破郡仲山金山彦神社」と列せられている。国府の南にある宮、ということで南宮と呼ばれる。鉱山・金属関係の総社として信仰を集め、源氏一族も信仰したという。

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 木曽神社|
岐阜県大垣市上石津町牧田|JR東海道本線「関ヶ原」駅

由緒によれば創建は平治年間といわれ、木曽殿が祈願所を建てた?という。元は「義仲寺」といったが禅宗に改宗し「宝聚院」としたが、明治の神仏分離令で「木曽神社」とし、祭神は木曽義仲。木曽殿の娘・糸姫がここに逃れて隠棲したという伝承がある。

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 宝聚院|
岐阜県大垣市上石津町牧田|JR東海道本線「関ヶ原」駅

木曽神社の裏手下にある。明治時代に木曽神社と神仏分離されたが、元は神宮寺。旧境内には糸姫手植え桜などがあった。現在は道路工事のため伐採され、道路脇に若木が植樹されている。


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